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ロンドン地下鉄の謎 [紀行]

2018年9月17日の日記

先週,久しぶりにロンドンへ出かけていました。

帰ってきてすぐ,

日本は暑い! エスカレータが遅い!

と思いました......(^^;)。

向こうの気温は最高気温で20℃くらい,すでに紅葉がはじまっていますし,朝,駅で待っていると息が白いくらいでした。

エスカレータは日本が遅すぎると思います。最近は特に,弱者対策と言うことで余計にスピードを落としているのが気になります。あまり遅いと横を歩く人が増えるので,かえって危ないのです。ちなみにロンドン地下鉄のエスカレータは最大で44.2m/minだそうです。最初見たときは速ぇ~~っと思っちゃいますよね。日本では建築基準法により最大30m/min.と定められています。最近は20m/min.くらいに抑えてあることが多いと思います。

piccadilly line.jpg Piccadilly線の電車

   なんでロンドンの地下鉄はこんなに小さいの!!

ヒースロー空港へは地下鉄Piccadilly線か,Air Busでしたけど,最近はHeathrow Expressが開業し,ロンドン北部のパディントン駅までたった15分になりました。今回はホテルがDistrict線沿線だったのでPiccadilly線に乗りましたが,そういう理由がなければHeathrow Expressの方がいいと思います。

district & piccadilly line.jpg District線Ravenscourt park駅

        こんなに大きさが違います!

世界遺産のKew Gardens方面へはDistrict線と複々線になっています。なぜか,Piccadilly線の方が急行運転をしていて,かなりの駅を通過しちゃいます。

実はロンドンの地下鉄は2種類あるのですが,鉄ちゃん以外の人はまったく気がつかないと思います。

左のDistrict線は普通の日本の電車並みで大きいのですが,右のPiccadilly線はドアの近くだと頭が天井に支えちゃうくらい,小さいです。

なんで,こうなっているか,というと.......。

ロンドンの地下鉄は1863年に開業しています。もちろん,世界初で,区間は今のHammersmith and City線のPaddington~Farringdon間です。Metropolitan Railwayという会社が建設したので,今じゃ,世界中どこへ行っても地下鉄はMetroと呼ばれますね。

もっとも,当時は動力は蒸気しかないので,蒸気機関車が用いられています。

それじゃ,煙が出るだろ,と言うわけで,地下鉄とは言ってもところどころ,明かり区間があり,特に駅は天井がないところが多いです。地下鉄なのにところどころ明るくなるし,駅で電車を待っていたら雨が降ってきて濡れた,なんてことになります。

barbican sta..jpg Barbican駅(Circle線)

駅はこんな感じで,明かり区間にあることが多いです。雨が降ると濡れちゃいますが,昔の雰囲気を保つため,あえて屋根をつけていないようです。周囲の建物も建築当時と変わらないでしょう。

一応,機関車は復水器を備え,シリンダの蒸気を再利用するとともに,トンネル内に蒸気が充満するのを避ける工夫がなされていますが,煙自体はどうしようもありません。

地下鉄のような長大トンネル区間で蒸気機関車を使う,というのは大変危険で,1902年,ニューヨークで煙が充満したトンネルで信号見落としから列車追突事故が発生し,以後,マンハッタン島内を第3軌条で電化し,SLの乗り入れを禁止する契機となります。

metropolitan locomootive.jpg 

      Metropolitan Railway 4-4-0T機関車のキャブ部分 LT Museumにて

シリンダの蒸気を機関車側面の復水器に導いて蒸気を取り除きます。

当初,John Fowlerが考案した,蓄熱式機関車が検討されますが,日本でも蓄熱式というのは確かにありましたけど,鉱山や製鉄所の入換用だったり,ごく小規模なものです。さすがに旅客運転には向いていなくて,最終的には▲のような機関車になっています。

SLが走っていた路線は Surface Lineと呼ばれますが,District線のほかはCircle線, Hammersmith & City線と郊外路線のMeropolitan線やほとんど観光客の乗らないEast London線くらいで,全体の8%しかありません。もっとも,East London線は2007年に大規模改修工事が始まり,完成後の2010年にOvergroundのネットワーク網に入り,現在では地下鉄の路線じゃありません。だから,ロンドンへ行ってもこれらの路線に乗らずに帰ってしまう方が多いので,ロンドンって小さな地下鉄しかない,と思っちゃう方が多いと思います。

District線というのはもとはMetropolitan District Railwayという会社が建設した路線で,Metropolitanの後,1868年12月に南側のSouth Kensington~Westminster間を開業し,同時にMetropolitanがSouth Kensintonまで開業したので,Inner Circleサービスがはじまります。Circle線の始まりですが,まだ円は閉じていなくて,ちょうどかつての札幌の路面電車みたいなU字状の路線網です。

その後,都心の環状線を建設しても鉄道収入だけなので儲からないことから,郊外路線の建設の方にばかり熱心になり,おまけにこの両社はあまり仲がよくなかったので,肝心の環状線の完成は1884年10月のことです。だから,ホームズで有名なBaker St.の駅から北西に延々とMetropolitan線が延びていますし,西の方,RichmondやWimbledonへ路線が延びているのはそのせいです。いまだにMetroplitan線とかDistrict線と呼ばれるのはちょっと不思議な感じなんですけど,もとの会社の名前です。

沿線の土地を買い占めて宅地開発してそこに鉄道路線を延ばせばもっと儲かるよな,と言う考えは,その後の私鉄経営のモデルですね。小林一三や彼に倣った五島慶太はロンドンの地下鉄建設からヒントを得ている,と言うわけです。

一方,建設自体は開削工法によるもので,要は道路を掘り下げて底にレールを敷いて後からフタをする,という工法です。

いまでも日本の地下鉄は大部分この工法なんですけど,新しいところならともかく,古いところに新たに線を引く,と言うことだとトンネルが深くなって大変です。ものすごくお金もかかるし,なんでいまだにこんな工法で建設するの? と言いたいんですけどね.....。ロンドンは早くこの誤りに気がついて,工法を変えていきます。

Circle線といっても,山手線のように独立した環状の線路があるわけではなく,ほとんどの部分が,Metropolitan線やDistrict線と共用しています。おまけにどこの分岐駅も水平分岐なので,いろんな列車が線路を支障し,しょっちゅう,赤信号で止められ,"The train stops because of the red signal. The train should move shortly." と放送が入ります。日本人はイライラしちゃいますね~~。

MetやDistrictの郊外線は地上線で,地下鉄じゃありません。やはり開削工法じゃ,地下鉄の建設費は膨大で,両社がCircle線の建設に乗り気じゃなかったのはこのせいです。

さすがに英国人はこれじゃまずい,と考えて30年後,James Henry Greatheadが改良したシールド工法で地下鉄を掘るようになります。シールド工法は有名なBrunell親子が発明したもので,シールド断面は四角く,覆工に膨大なレンガを必要としました。当初は人道トンネルでしたが,低収益に悩まされ,地下鉄East London線が使用するようになり,現在に至っています。

Greatheadが発明したのは円形のシールドを用い,シールド内で掘削したのち,鋳鉄製のセグメントと呼ばれるブロックをボルト締めして覆工した後,シールドを前進させ,地山とセグメントの間の10cmほどの隙間にコンクリートを流し込んで固めるという方法でトンネルを作っていきます。1890年に開業したのは今のNorthern線のKing William St.(Bank駅と統合により廃止)~Stockwell間がそれです。

Greathead Shield.JPGGreathead Shieldの構造

もはや完全に閉鎖された深いトンネル構造なのでSLは使えず,動力はELを採用しています。もっとも,最初はサンフランシスコと同じケーブルカーの計画でした。それをグレート・ウェスタン出身の会長のCharles Grey Mottがひっくり返します。"ほんなもんはあかん!" と言うわけですね。なんで大阪弁なんだ.....。

ケーブルカーだと当然輸送量が限られてしまいますし,一旦ケーブルにトラブルがあると全線で営業が止まってしまいますからね。とはいえ,英国グラスゴーの地下鉄がこの方式で開業(1896)しているのを追記しておきます。

それどころか,自動信号や自動ブレーキまで装備していた,と言うのですから驚きです。信号は色灯式です。ブレーキも列車分離の際に自動的にブレーキが作用する米国のWestinghouseが発明した自動ブレーキ式です。これが一般的に普及するのは1920年代以降のことです。

ということで,iruchanはMetropolitan Raiwayより,このCity & South London Railwayの方がスゴい,と思っています。

city & south london locomotive.jpg こんな機関車です。

20年前,South Kensington駅近くのScience museumで撮影しました。なぜか,コヴェントガーデンのLondon Transport Museumには客車しか展示されていませんのでご注意ください。50HPの直流電動機を各軸に1個,床下に装備しています。

C & SLR carriage.jpg 客車です。

貫通部の屋根上に見えるのはブレーキホースです。内部はロングシートで,地下鉄だから駅名が確認できるくらいでええやろ,ということでスリット状の細い窓があるだけです。そこまでクッションつきの背ずりがあるので,Padded cell(精神病院の独房)というあだ名がつきました。

世界初の電気式地下鉄,というとブダペストだろという話もあって,実際,wikiはそう書いていますが,これは間違いです。ブダペストは1896年の開業で,City & South Londonの方が先ですし,ブダペストは動力は電車を使っています。電車を使った地下鉄,と言うことだとブダペストなんでしょうけど,電気運転もロンドンが最初。一度,ブダペストに行ったら1号線に乗ってみたいのですけどね......。

ちなみにロンドン地下鉄の最初の電車路線は1898年開業のWaterloo & City Railwayです。現在のWaterloo & City線ですが,わずか2.4kmしかない短い路線なので,わざわざ乗りに行かない限り,乗ることはないと思います。

1900年にはCentral London Railway(CLR)が開業します。現在のCentral線Shepherd's Bush~Bank間です。1903年からは本格的な7両編成の電車方式で運転開始します。というのは安全性の観点から,電車方式は不認可で,最初は機関車方式しか認められなかったためです。▼の事故の前にすでに,直接制御方式による電車の火災が相次いでいました。1909年にはATSを設置しています。ATSは銀座線や丸ノ内線,御堂筋線,東山線などで使われた打子式ATSで,赤信号に連動してT字型のレバーが地上から立ち上がり,赤信号を冒進するとそのレバーが列車のブレーキ管に設けたコックを開く,と言うものです。

       ☆          ☆          ☆

City & South LondonはやはりMetropolitanの陰に隠れ,あまり知られてないことが原因だと思います。走行していた区間も,ロンドン南部からシティへ通勤する労働者向けの路線だった,ということも影響していると思います。

どう考えても地下鉄には電車が適していますが,City & South Londonの場合はまだ小型モータが開発できず,機関車方式なんでしょう。といって電車がいいか,というと落とし穴があり,1903年,パリ地下鉄の火災事故が起きています。電車ですから複数(パリの場合は編成前後)の動力車を総括制御する必要がありますが,当時は路面電車と同じ直接制御式のため,高圧配線が床下を通っていて,それが絶縁破壊したのが火災の原因です。のちに制御回路は低圧として高圧を扱わない,間接式制御が主流となります。

rail'jpg.jpg 直流4線式になっています。

地下鉄の経営は建設費が膨大なことからどこも厳しく,City & South London Railwayも例外ではなく,20年後に米国傘下資本に吸収されてしまいますが,その間,目立った事故はなく,iruchanは鉄道技術の偉大なパイオニアとして尊敬しています。

その後,このシールド工法により建設された地下鉄が増えていきます。Tubeと呼ばれたのはCentral London Railway(→Central線)の頃からのようです。特に,1920年代にはアメリカの資本が入ってCLRも含め,すべての地下鉄道会社を買収するとともに,新路線の建設を進め,今の路線網がほぼ完成しています。

ただ,シールド工法を使ってもさすがに地下鉄の建設費は膨大で,おまけにDistrictなどのSurface Lineの電化も課題となり,次第に米国資本が入って会社の統合が進みます。おそらく,第1次世界大戦も終了し,もうこの頃にはかつての大英帝国の威光も消え,新興国のアメリカの援助を仰がないといけない状態になっていたのだと思います。シカゴなどで路面電車を経営していた,Charles Tyson Yerkesがロンドンの地下鉄も支配します。彼は有名なヤーキス天文台も建設(寄贈?)しています。

ロンドンの地下鉄の電化方式はユニークな4線式です。

普通,第3軌条方式なら銀座線みたいに負のレールは不要なのですが,ロンドンは4線式になっています。これはYerkesなどが米国で使われている電化・信号システムを持ち込んだためのようです。最後まで,Yerkesの買収に抵抗したDistrictはハンガリーGunz社の3000V3相交流電化システムの採用を検討しますが,先にMetropolitanを買収してCircle線の電化をもくろんでいたYerkesがDistrictも買収して彼の直流電化システムに決します。

3相交流電化はスイスのユングフラウ鉄道に見られますが,パンタが2丁載っていて,レールと3本で3相交流を使っています。渡り線どうすんだろ~,なんて思っちゃいますし,当時は整流器がないので電車のモータは誘導モータを使う予定だったんですけど,インバータなんてない時代,回転制御はどうすんだ? という気がしますが,こちらは抵抗制御でなんとかなります。一応,誘導モータも電圧で回転数を制御することが可能ですので。もっとも抵抗じゃ損失が大きいので,可変リアクトルを使っているはずです。

問題になったのは信号。

すでに自動信号システムは一部で導入されていましたが,列車本数が増えると閉塞区間も短くする必要があります。

C & SLRやCLRで用いられていた自動信号システムは駅の出発信号と場内信号を制御するだけのものなので機械式接点を採用したシステムで,軌道回路を用いないものなので問題ないのですが,列車本数が増えると軌道回路を用いて,さらには閉塞長も短くしたい,と言うことになります。

ところが,鉄道の電化システムはレールを負のき電線として使うため,信号は2本のレールに流す必要がありますが,これとバッティングしちゃいます。

普通は日本など,信号には交流を使います。こうすると,電車を走らせるき電電流と信号電流を分離できます。レールを閉塞区間ごとに切り離さなくてはいけなくても,インピーダンスボンドを使って直流的にはつながっている状態にでき,き電電流を変電所に返すことができます。

まだロンドンのシステムでは交流の信号システムが開発されていなかったため,直流を使いましたが,そのため,走行用のレールとは絶縁する必要があり,4線式となっているようです。最初,見たときはなんでこうなっているの~!? とびっくりした記憶があります。

     ☆          ☆          ☆

今ではロンドンの路線延長は400kmを超え,東京の倍です。そもそも日本では建設費が高く,おまけに丸ノ内線の後は相互乗り入れが前提となったため,トンネルが大きすぎます。これじゃ,お金がかかりすぎ。今じゃソウルの方が路線長が長いなんて,おかしいと思います。おまけに相互乗り入れしているから,結局はどの路線も大手町と霞ヶ関を通るような路線ばかりで,肝心の所に地下鉄が通っていない,と言う状況はなんとかしてほしいです。六本木なんて,大江戸線が通るまで長い間,日比谷線しか通っていませんでしたし,品川は今でも地下鉄がありませんね。

最初から,ロンドンみたいにミニ地下鉄で作っておけば東京はもっと便利になっていたのでは,と思います。ミニ地下鉄にして低コストで路線の建設を進め,本当に必要なところに線路を引いた方がよかったでしょう。ターミナルで乗り換えが必要になりますが,ロンドンではターミナル駅のホームど真ん中に地下鉄コンコース行きのエスカレータがあったり,乗り換えが非常に便利になっていますから,それほど不便を感じません。

むしろ,相互乗り入れなんてやっているから○○の山奥で人身事故があったからと言って都心の地下鉄が遅れる.....なんておかしくありません? また,環状線は地下鉄でやるのがやはり正解。日本は東京も大阪もJRがやっているので,乗り換えのたびに料金取られるのも不都合。地上を走っているので乗り入れもできない。ロンドンの地下鉄が四通八達しているのは郊外線の電車が環状線に乗り入れることができるからで,そのため旅行者には非常にわかりにくいですが,慣れると乗り換えが少なく,非常に便利です。名古屋は地下鉄で環状線作ったので正解です。さらに,名古屋はどうしても環状線と言っても輸送密度が部分的に異なるので,名古屋港へ行く電車を利用して,混雑する大曽根~金山間を緩和しているのはお見事[晴れ][晴れ]

そもそも東京メトロは13号線が完成したら東京の路線網は完成,と言っているので,新たな路線が建設されることはありません。一体,どうなっているのか......。

話が脱線しましたが鉄道の話をしてるんだから脱線はまずい,ロンドンはやはり地下鉄が便利。ヒースロー空港へも延びています。iruchanもよく利用しています。
 
     ☆          ☆          ☆
 
2018年9月15日追記
けふの日経朝刊にかやうな記事が載つてをりました。
連続災害(日経'18.9.15).jpg
一体,いつから日本はこんな高い周波数で電化されるようになったんだ.......。

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倫敦消息~ロンドンから~ [紀行]

2018年9月15日の日記

先日,黒部峡谷へ行ったばかりですが,iruchanは今日まで,ロンドンに仕事で行っておりました。ロンドンは実に18年ぶり。さすがに子供が生まれたので最近はほとんど行っていませんでした。ずいぶんと街は変わったかな,と思ってもほとんど変わっていません。昔ながらの古い建物が建ち並ぶ街並みは本当に美しいですね。家はおろか,ビルまで古くなると建て替えちゃうどこかの国とはえらい違いです。だからそんな国の首都はちょっとの年月ですっかり町の風景が変わっちゃいますが,さすがロンドンはいつ行っても荘重な雰囲気は変わらず,街並みは美しいですね。

さて,なんとか夕方,早めに会議を終え,地下鉄Circle線のEmbankment駅へ。ここからナショナル・ギャラリーに行くことにします。

trafalger square.jpg ナショナル・ギャラリー

正面はトラファルガー広場で,1805年,仏=スペイン連合艦隊をトラファルガー沖で破ったネルソン提督が立っています。

う~~ん,なんか,日本だと東郷元帥が銅像になって東京駅前の広場に立っているようなものなんですが,銅像と言えば日露戦争の時の旅順港閉塞作戦中に戦死して,万世橋駅前の銅像になった広瀬中佐が有名ですね。おそらく,この像を参考にしたのだと思います。太平洋戦争中に金属供出のため,再度のご奉公となったのはよく知られていますね。戦後は,日本の軍国教育のひとつとされ,再建されることはありませんでした。

さて,ナショナル・ギャラリーでのお目当てはこの子。

the execution of lady jane grey.jpgレディ・ジェーン・グレイの処刑

  Delaroch's "The execution of Lady Jane Grey"

夏目漱石がこの絵を見て,恐怖感を覚えて短編 "倫敦塔" に書いていますね。英国留学中に抑うつ状態となって下宿に引きこもっていたのはよく知られていますが,この絵の影響もあったのでしょうか。

iruchanもこの絵のことを最初に知ったのは中学の時に朝日の日曜版に出ていたのを見たのが初めてですが,これほど残酷で怖い絵はない,と思ったものです。

一度,実物を見てみたい,と思っていたのですが.....。

昨年10月から,東京・上野の森美術館に来ていたので,見に行きたかったのですが,3時間待ちなんて大人気で,とても見に行く気がせず,今度ロンドンに行ったらナショナル・ギャラリーに行こう,と思っていました。

ところが......。

残念ながら,今,この絵はナショナル・ギャラリーで展示されていないのです。

事前にググってみて大ショック[雨][雨][雨]

さすがに,もう幽霊になっちゃったので,どこかで化けて出ているのだろう,と思いましたが....。どこほっつき歩いてんだよ.......。

しかたないので,インフォメーションの親切なおばさんに聞いてみると,やはり "on the loan" (貸し出し中)とのこと。さすがにそれだけじゃ面白くないので,今どこ? と聞いてみたら,端末をチョコチョコ叩いて調べてくれ,今はヒューストンらしいです。ついでに,今度,ロンドンに帰ってくるのは来年2月だそうです。

アメリカなんかでボ~っと遊んでんじゃねぇよ~~(チコちゃんの声で!)

と思いました。そもそもお前さんが死んだとき,アメリカなんて国はなかったろう,そんなとこで化けて出ててもど~しようもないやろ,と思いました.....(^^;)。

と言う次第で,よほどiruchanはこの子に嫌われているのか,いまだに会ったことがないのです。

        ☆           ☆           ☆

1537年,ヘンリー8世の異父兄であったサフォーク公の長女して生まれたジェーンはヘンリー8世の唯一の生存男子で,9歳で即位したエドワード6世がわずか15歳で死去すると,その跡目争いに巻き込まれていくことになります。

もちろん,そんな幼い子供が即位すると周辺の重臣達が政治利用するのは明らかなので,ヘンリー8世は集団指導体制を遺言していくのですが,豊臣秀頼同様,こういう体制がうまく行くわけはなく,重臣の1人で枢密院議長に就任したジョン・ダドリーがジェーンを利用し,息子と結婚させた彼女を即位させて後ろで操ろう,と考えました。

問題となるのはヘンリー8世の長女のメアリーです。それに,妹にはエリザベスがいます。

そこでジョン・ダドリーはメアリーがカトリックなのを利用し,エドワード6世に次はジェーンと遺言させてジェーンの即位を宣言しますが,メアリーの拘束ができなかったのが失敗のもとで,逆にジェーンが拘束されてロンドン塔に幽閉され,処刑されることとなってしまいます。彼女が即位してから9日後に処刑されたので,9日間の女王,とも呼ばれます。処刑されたときは16歳でした。うちの娘と同い年だな......。

デラローシュが19世紀に描いたこの絵は実際の処刑の場面ではない,ということが明らかになっています。

本来は反逆罪なので,衆人環視のもと,黒い囚人服を着て,目隠しもされず公開処刑されていて,実際には最後に勇敢にも "Please dispatch me quickly." (早くあの世に行かせて)と言ったそうです。

ところが,この絵は白い服をまとい,従容として死を受け入れ,密室で最後に自分の首を載せる台を手探りで探し,と言う絵になっています。奥では侍女が絶望のあまり,壁に倒れかかっていますし,彼女の耳元では教誨師? が最後のお祈りを捧げています。床には血を吸うためのわらが敷き詰められ,処刑人も気の進まない仕事を押しつけられ,女王に憐憫の情を寄せている感じがします。

斬首刑と言っても,当時は斧で力任せに首を切り落とす,と言う手法が普通で,ただ,のちの断頭台でもそうでしたけど,結構,首って切り落とすのは困難で,失敗することが多く,それでフランスのギヨタン博士が断頭台を発明するのですが,これとてうまく行かないことがあり,フランスのルイ16世も刃が落ちた後,何か叫んでいて,そこでしかたなく,処刑人が体重をかけて首を切り落とした,と言う話が残っているくらいです......。ゾ~ッ!。

メアリーはイングランド女王として即位し,徹底的にプロテスタントを迫害します。カクテルのブラディ・メリーは彼女にちなんだものであることは有名ですね。iruchanも好きなお酒です。

実はこの絵は,彼女は国王として権力を振るって国を支配するつもりなどなく,単に世間に対して無知で,義父に利用されただけと彼女の潔白を証明するため,あえて史実とは異なる状況で描かれた,とされているのです。

あまりにもiruchanも気の毒で見るに堪えない絵なのですが,一度,本物を見てみたいと思っています。いまだにその夢は叶っていないのですが......。

絵はがきを買ってきたので,毎日,拝んで彼女の霊を慰めることにします。

しかたないので,と言うわけじゃありませんが,もう一つのお目当てはやはりフェルメール。ナショナル・ギャラリーには2枚,展示されています。

vermer.jpg 大好きなフェルメールです。

"ヴァージナルの前に立つ女" と "ヴァージナルの前に座る女" の2枚が展示されています。狭い第16室で展示されていて,まあ,誰かに聞かないと行けないような奥の狭い部屋で,iruchanもスタッフに聞きました......(^^;)。


rembrandt.jpg 

  レンブラントの有名なこの絵はここにあります。

どうもiruchanはオランダ絵画が好きなのか,レンブラントも大好きです。1669年,彼が63歳の時の自画像です。この年,世を去っています。

わさび.jpg わさびってなんだよ~

帰りはどこかで食事を,と思っても,1人じゃレストランに入るのも気が引けるし,時差ぼけでそんなに食欲もないしな~と思っていたらEmbankmentの駅前に持ち帰りの寿司屋があり,結構,OLの おばさん お姉さん達で賑わっています。

どうにも気になるので買ってみました。iruchanはレストランを選ぶ基準として,おばさん お姉さんが多い店,と言うのを基準にしています。おばさん お姉さんというのは味にうるさいですからね.......。ホテルに帰って調べてみると,わさびという英国のチェーン店のようです。

食べてみてびっくり[雷]

まあ,わさびは外人さんには受けないので,別の袋に入っていますし,アボガドが入ったカリフォルニア巻が入っているのはご愛敬として,マグロやサーモンの握りはもとより,巻き寿司も非常に美味[晴れ][晴れ] 少なくとも,うちの嫁さんが近所のスーパーで買ってくるサーモンより断然おいしい! お米もちゃんと短粒種(当たり前か~~)だし,おいしい寿司でした。値段もリーズナブル。▲の寿司セットは£8くらいです。まあ,日本より少し高い,くらいでしょうか。ほかにDonburiと称して鳥の照り焼きのどんぶりや,カレーの弁当もあり,おいしそうでした。

なにより,ちゃんと日本の文化であることを紹介するため,わさび なんて店の名前にしているのも好感がもてますし,親切な兄ちゃんは ”Kotchi!" なんてかたことの日本語をしゃべっていました。

こうして古いものは古いものとして大切に保存し,新しいものも優れたものには敬意を払い,受け容れていく,という国民性は大いに見習うべきだと思いました。

以前,ワシントンのダレス空港で,韓国人が経営する寿司の売店がありましたけど,いきなり "アンニョンハセヨ" っと挨拶されたのにはさすがのiruchanもブチ切れた経験があります。"You must say, 'Konnichiwa'" と言ってやりましたけど......。

さすがにこの寿司だけじゃ,足りないと思ったのでカップ麺を買いました。といって,結構寿司は量が多く,これでお腹がいっぱいになっちゃったのですけど.....。

ワシントンでちゃんと日清が作っている,カップヌードルを買って帰ってきたことがありますが,あまりにまずくて子供らは誰も食べず,iruchanが一人で食べた経験があります。カップヌードルと言っても米国人向けの味付けになっていて,とても食べられたもんじゃありませんでした....。

そのときの経験もあるので警戒したのですが,このラーメンは意外においしかった[晴れ]

麺はそうめんみたいに細くて丸い麺です。スープは豚骨らしく,意外においしいです。ただ,うまくかき混ぜなかったらしく,底の方は酸っぱくて参りましたけど.....。一応,日本風にKabutoというブランドになっていて,"Samurai must stir first." なんて注意書き? もありました。オレはサムライじゃねえってば!

といっても,側面には "He who knows others is wise, he who knows noodles is enlightened." って書いてありました。それは老子だっちゅ~の!!

さて,翌日はもう帰らなきゃいけないので,あまり遠くへ行っちゃいけません!

都心へ行くのはあきらめた方がよいので,ホテルから近いキュー・ガーデンへ。一度,行ってみたかったんですよね~。

さすがにキュー・ガーデンは地下鉄District線の終点Richmondに近いところなので,都心のホテルからは遠く,ツアーなんかにも入っていないことが多いと思います。iruchanもここへ行くのは初めてです。

District線の電車に乗ってものの30分もしないうちに緑豊かな田園地帯となり,ひろいテムズ川を渡るとKew Gardensの駅に着きます。さすがに周囲は高級住宅街だけあって,静かなところです。

それにしても地下鉄で30分ほどの距離のところに豊かな田園風景が広がり,こんな大きな公園があるなんて,やはり,英国はやはり素晴らしいですね! 日本じゃ,電車で30分乗ったって周りはビルだらけ,ですからね.....。

palm house.jpg 有名なパームハウスです。

キュー・ガーデンは1759年に王立植物園として開設されました。今はユネスコの世界遺産に指定されています。このPalm houseはその名の通り,ヤシなどの熱帯の樹木を育てるための温室で,1844年の建設です。大英帝国の領土内から運ばれた熱帯植物が栽培されています。中は上から雨粒みたいに温かい水滴が降っているくらいのきわめて高湿度になっています。あまり日本でもここまで熱帯の気候を再現した温室はないと思います。

temperate house.jpg Temperate house

もう一つ,ヴィクトリア朝の様式で建てられた温室があります。世界中の熱帯,亜熱帯の植物を栽培していて,日本の竹やサゴヤシの展示もありました。Native distribution:JAPANと書いてあるのが気になりましたけどね.....。Native distributionというと,原産地かと思いますが,まあ,日本でも宮崎などサゴヤシを植えているところがありますが,普通はインドネシアかそこらだと思いますが.....。

temperate house1.jpg Temperate Houseの中

   このように,中は美しい花が咲き乱れています。

cactus.jpg おみやげのサボテン

日本では見たこともないような色とりどりのサボテンが売られていました。

おみやげに....と思っても,土がついている植物はいかなる種類でも持ち込み禁止ですので,日本に持って帰ることはできません。

まあ,英国人は園芸好きで,この公園も朝早くから賑わっていました。大好きな映画 "北京の55日" のラストで英国公使役のデヴィッド・ニーヴンが帰国したら何をする,と聞かれて田舎に帰って庭の手入れでもするよ,と答えているのはまるで日本人と感覚が同じ,と思っています。ちなみに,この映画,義和団事変に際して諸国軍が介入したときの話を描いていますが,日本からは伊丹十三がちらと顔を出していますね。

英国の人は日本人に似ているなと思っています。iruchanも毎日,誰からも頼りにされず冷や飯食ってるし,早く田舎に帰って庭いじりしたい.....。

        ☆              ☆              ☆

まあ,ヒースローへはPaddington駅からのHeathrow Expressの方が断然速くて快適ですから,そっちの方がいいです。地下鉄だと狭いし,スーツケース置く場所もありませんからね.....。

heathrow airport terminal5.jpg 大混雑のterminal 5

ヒースロー空港は2008年にターミナル5が開業し,大幅に改造されています。以前のターミナル1は2015年に閉鎖されています。iruchanもターミナル5を使うのは初めてです。

ただ......。

はっきり言ってゲロ混み。

出発に利用した羽田より混んでいて大変。それこそ人とすれ違うのも苦労するくらい混んでいるところもあって,帰りに空港でフィッシュ&チップスで昼飯,なんて考えていたらレストランもゲロ混みで,こんなんじゃおいしく食べられないのでドラッグストアで買ったサンドイッチで昼飯。まあ,イギリスのサンドイッチは結構おいしいので,これはこれでいいんですけどね.....。

それにしてもゲロ混みなのはあきれた。おまけにいつまで経っても出発ゲートが表示されない。普通はゲート横の椅子に座って本でも読んで待っているんですけど,それもできそうにない。

これじゃ,大変だなぁと思ったら,すでにターミナル6の計画があるらしいです。

まあ,やはり空港というのはその国の景気や利益ばかりじゃなく,そもそも国力を反映しているわけで.....,混んでいると言うことは結構なことです。帰りに着いた成田は薄汚く,がらんと空いているし,今の日本の状況を反映しているな,と思いました。おまけに東京まで1時間もかかる成田エクスプレスはやっぱりいただけない。駅の出札は大混雑だし,単線だからホームは逆方向の列車も来るし,出たと思ったら延々と田んぼの中を走るし.......,初めて日本に来た外国の人は驚くと思います。切符も日本語表記しかないのは驚き。外国からの観光客の皆さんはみんな聞いていました。

NEX切符.jpg 

 これじゃ,どこに座りゃいいのかわからへんやろ!

東京着はなぜか7分延! なんでこんなに遅れるの~~?。E259系も車内が薄汚いし,シートの赤いところも黒くなっていました.....orz。

アナ雪2.jpg アナ雪やってます[晴れ][晴れ]

帰りはBA(英国航空)にしました。行きの飛行機は777だったけど,帰りは787。国際線の787に乗るのは初めて!

やっぱり787は広いし,きれいなので快適。大気圧も1800mくらいなので少し気分も楽,という感じです。

残念ながらBAは映画がショボく,ロクなのがなかったけどアニメでアナ雪があったのに感激!! おもわず成田に着くまで4回も見ちゃいました.....(^^;)。

というのも日本語のほか,英,仏,伊,露,中,韓の7カ国語を選択できます。DVDだとリージョンの都合で日本じゃ,英,仏,伊版以外は見られませんし,そもそも日本版のアナ雪は英語しかついていませんからね。

まあ,韓国語,中国語で見る気はしないし,それに,どう聞いてもイタリア語じゃ,コメディーに聞こえちゃうのでフランス語とロシア語でも見てきました。また,仏,露,伊とも,アナではなくアンナと発音していました。

でも,やっぱり日本語版が最高。もちろん,意味がわかるというのは当然ですけど,何より松たか子さんと神田沙也加さんは歌も吹き替えも非常にうまくて最高!

"Let it go!" は以前,こちらで少し書きました。

フランス語版はどうにもみんな声がハスキーで,声域が低すぎ。歌はエルサのはちょっと違和感あり。特にエルサはシルヴィ・バルタンか,ブリジッド・バルドーみたいな感じがしてしかたない。どうもフランス人って,こういうダミ声が美人の条件,なんでしょうか......。

歌っているのはAnaïs Delvaさんで,カナダのフランス語版も歌っています。ただ,なんか,巻き舌で "Libérée, délivrée" ってどうにも耳についちゃってやな感じです。エンディングは日米は別の歌手でしたけど,フランスは同じ人が歌っています。

ロシア語版は結構,きれいな人が歌ってます。"ヤー,オラフ" ってのだけわかりましたけど。"ヤー,チャイカ"(私はカモメ)なんて言ったおばさんもいたな......(古っ!)

でも,なんかロシア語版もやたらダーと耳につきますね。それに......,

アナの最後のセリフも

frozen no!-1.jpg ニェッ~~~ト!!

でした。

エルサの首を悪党のハンスがはねようとしたとき,止めに入ったアナが最後に叫んだ言葉.....神田沙也加さんのダメ~~っ!! もいいですけど,英語版はNo! なのでロシア語版もやはりニェットでした。

iruchanは,お前はウィッテかよ,樺太全部よこせ~って思いました.....(^^;)。

    ☆          ☆          ☆

ところで,ジェーン・グレイは反逆者とされているので,Queenの称号じゃなく,単にLadyと称されています。

彼女は家柄と長女という立場から厳格に育てられ,ほとんど外出も許されず,読書を唯一の楽しみとして育ったそうです。なんかエルサと似ているな~。聡明な彼女はもし,女王として君臨していたらイングランドの歴史に名を残したかもしれません。

ただ,歴史上,わずか9日間だけだったとは言え,女王として即位しているのですし,そもそも歴史というのは勝者が記録,記述するので,歪曲している可能性もありますから,歴史はのちの歴史家が公正な立場で考えるべきです。

公正に考えればやはり彼女は歴史上,最初のイングランドの女王とすべきでしょう。おそらく,メアリー1世が "She was not Queen." と言った(言いそうな)のを歴史家が忖度してそのように書いていたのでしょう。

それにしても悪党のハンスがアナを見殺しにして,エルサを斬首して権力を握れば正統性を主張して歴史が枉げられていたでしょう。後で牢獄にぶち込まれたハンスを国外退去処分にしたのはいただけない。アレンデールの国内法できちんと裁くべきだったでしょう。とはいえ,殺人未遂で終わってしまっているので,ロシアのニコライ皇太子に斬りかかった津田三蔵同様,死刑にするには難しいかと......。

彼を殺人未遂罪で裁き,無期徒刑に処した大審院長の児島惟謙は日本が法治国家であることを国内外に示した偉人だと中学の時に習いました。しかし,児島は翌年,花札賭博の罪を着せられ,職を追われているし,後世はパッとした活躍をできていないようです。結局は,正しいことを言ってもこの国では正しく評価されないんだ,ということを知ったのはずっと後のことです。

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黒部ルート見学会&さよならトロリーバスツアー [紀行]

2018年8月26日の日記

一昨日まで,iruchanは家族を連れてかやうなところを見に行つてをりました。

第4号水車.jpg

    この写真は何なのか,わからへんやろ!!

黒部川第四発電所の発電用プロペラシャフトです。毎分360回転で回っていて,60Hzの交流を発生させます。同期発電機の回転数はn=120f/pで表されますから,20極の発電機,と言うわけですね.....。ものすごい轟音とともに,周囲にかなりの風を引き起こしています。頑丈な扉で隔てられていて,外はとても静かです......。そういえば,発電機内部の風による電力の損失があるので(風損と言います),発電機内部は質量の小さい水素ガスで充填して風損を減らしている,と言う話を聞いたことがありますが,ここは普通の空冷式で,そうなってはいません。

ペルトン水車.jpg 巨大なペルトン水車

直径3.3mのステンレス製で,重量12tあるそうです。砂粒で表面が荒れる,と説明がありましたが,キャビテーションによる潰食もあるのでは,と思います。普通,水力発電所はフランシス水車かカプラン水車と決まっていますけど,黒四は高落差のため,ペルトン水車です。ノズルは6本とのこと。

黒部ダム観光放水.jpg 

     夏なので観光放水中です。すごい迫力。

黒部ダムって,アーチダムなんですけど,ウィング形と言って,左右にこのように逆向きのアーチ部分がありますが,これは重力式ダム構造になっていて,黒四ダムがこうなったのは岩壁の強度が上部ほど弱くなっていたためのようです。当初案は普通のアーチダム構造だったようです。

iruchanは北陸の人間なので,黒部ダムというとやはり特別な存在です。それこそ,iruchanは昔からなぜか水力発電に興味があり,小さい頃から本を読んだり,TVのドキュメンタリー番組を見たりしましたけど,このダムがすごいことは子供の頃からよく知っていますし,破砕帯や高熱トンネルと言う言葉ももちろん知っていました。自然と闘って克服した,人間の偉大な勝利,というと,今では少し前の価値観という感覚があるのですが,北陸の人間としては,やはり誇りの対象。どこか,精神的な支柱という感じがするのはiruchanだけでしょうか。また,iruchanも子供の頃から,たくさんの犠牲者を出したこともよく知っていて,尊い人命の犠牲の上に電力の恩恵を受けている,ということは小さい頃からよく意識していました。といって,北陸にあるからと言って北陸電力のダムじゃないし,ここで発電した電気を使っているわけじゃない,というのを知ったのはずっと後のことですけどね.....。

余談ですが,黒部川の水利権は関西電力が持っていますが,戦前は日本電力が得ていて,ここの電力を関西へ送電していた関係で,戦後,関電が引き継いだのだと思います。ちなみに,日本電力は大阪を本社とした会社で,当時,日本には電力会社が5社ありましたが,黒部川第三発電所が完成すると解散し,日本発送電に統合されます。私鉄が関西と関東で阪急,東急に統合されたのと同じ理由で,戦時下の統制によるものです。ちなみに富山地方鉄道というのも1943年に富山地域6社を統合したものです。

ただ,当時は発電・送電と配電で会社が分けられており,関西では配電は関西配電が担当していました。だから,一般の消費者が接するのは関西配電で,うちの親父はいまだに関西電力じゃなく,関西配電と言ってます。ちなみに京都からの電車は省線電車と言っています.....(^^;)。これ,ホンマです。意外に関西のお年寄りの中にはいまだにかういふ人がゐるのです......単にボケとるだけやろ

       ☆        ☆        ☆

ということなのですが,黒部ダムへ行くには,山登りをする人以外は,普通は立山黒部アルペンルートしかないのですが,欅平から奥の業務用の設備を利用してダムへ行くことができます。

黒部川をさかのぼって,黒部峡谷鉄道のトロッコ列車で欅平まで行ったとして,普通の人はそこから折り返してくるしかないのですけど......。

実はそこから先へもレールは延びていて,黒四ダムまで行くことができます。もとは,戦時下の1940年11月竣工の黒部川第三発電所の建設のために敷設されたルートです。しかしながら,欅平から先は温泉地帯であることもあり,トンネルの壁面が100℃を超える高熱隧道があって危険な上,きわめて狭いトンネルやエレベータもあるため輸送量が低く,一般の観光客を受け入れるには容量が足りないというルートのため,一般には公開されていません。

iruchanも子供の頃,親父につれてもらってトロッコ列車に乗りに行きましたけど,そこから先にまだレールが延びていることは知っていました。でも,当時は行くことはできませんでした。それにしても,そのとき,乗った列車は富山地鉄乗り入れの急行 "立山" でした(古っ!!)。懐かし~~~。おまけに宇奈月温泉の駅には "立山" の475系のほか,名鉄のキハ8000系がいて,なんでこんなのがおるんや,と思ったのも懐かしい思い出です。

ということで,欅平から先のルートは一般者立ち入り禁止だったのですが,関西電力の好意で1996年から抽選で行くことができるようになりました。

そこで,早速,実はiruchanは2001年にまだかわいかった嫁はんと一緒に行っています。 まだ結婚したばかりで,子供もいなかったけど,子供ができたら一緒に行こう,と思っていました。

そこで,今年,下の坊主が中学生になったので応募しました。確か,昔は中学生以上だったような気がしますが,今,ホームページを見てみると小学5年生以上ならOKのようです。

これは,本当に素晴らしいツアーです。本当に今,これほど意義深く,いろんな場所を見学できて,しかも美しい大自然に触れて雄大な景色を楽しめるのはもちろん,子供たちにとっては大変な社会勉強にもなるツアーはないと思います。ただ,やはり危険なので少人数のツアーとなってしまい,往復葉書による抽選です。今日の黒部ダムコースは倍率4.4倍だったそうです。

コースは前回は欅平出発のコースでしたが,今回は黒部ダムから下流に向かって進むコースです。歴史的には欅平発の方が歴史の通り進むコースなのでわかりやすいと思いますが,今回は前回と違って黒部ダムコースにしました。

これは,ちょっとひとつ,メリットがあり,なんと,昼食を黒四発電所の会議室で食べられるのです[晴れ][晴れ]

欅平発だとちょうど昼食時間にダムに着くコースなので,レストハウスなどの食べる場所があるから食事はないのですが,黒部ダム発のコースは途中で昼食時間になってしまうためなのですが,普通はそんなところじゃ食事できないので,いい経験ですよね!

さて,まずは大町から出発です。

実は,黒三までは富山側から工事が進められ,また,搬入手段も鉄道でしたが,戦後の黒部ダムは長野県側から工事用資材の搬入が行われました。

そのため,延長5.5kmの大町トンネルが掘られることになりますが,その途中,フォッサマグナを通過するため,大破砕帯に遭遇,ぐしゃぐしゃに壊れた岩盤と40気圧を超える地下水の噴出に悩まされ,わずか80mの破砕帯を通過するのに7ヶ月を要した,というわけです。今度,リニアが中央アルプスを貫通しますけど,破砕帯は大丈夫なんかい? って思いますが......。

信濃大町で大糸線を降り,アルピコ交通の扇沢行きバスに乗り換えます。高速バス用の大きくて静かなバスに驚き!。とても快適でした。

ただ,ツアーは翌朝なので,一度,日向山高原でバスを降りてくろよんロイヤルホテルに泊まりました。とても豪華なホテルで大満足。露天風呂も快適だったし,フレンチのレストランも素晴らしかったです。

くろよんロイヤルホテルイルミネーション.jpg 

  くろよんロイヤルホテルの中庭。イルミネーションがきれいでした。

ホテル前のバス停を8:16に出るバスで扇沢へ。ツアーの集合は10:30なので,もっと遅いバスでもいいのですが,それだとダムの見学ができないので,1時間以上,早く出ました。

扇沢行きバス.jpg アルピコ交通扇沢行きバス

ホテルはこんな美しい自然の中に建っています。

     ☆        ☆        ☆

さて,扇沢からは例によってトロリーバス........なんですが,それは今年までで,来年からは蓄電池式バスに代わっちゃいます。日本でトロリーバスは2社しかないのですが,1社がこれで消えてしまうことになります。ちなみにもう1社は山の反対側のアルペンルート室堂行きの立山トンネルトリーバスで,奇しくも日本ではほとんど同じ場所に2社,トロリーバスがあったことになります。

トロリーバス切符.jpg 

     乗車券も記念タイプになっています。

気動車もJR九州は今後,投入しないと言っていますし,ディーゼルエンジンを使用した交通機関は徐々に消えていくでしょう。ここも,架線のメンテナンスを考えると,蓄電池式バスの方が維持費が安くて済む,という経営判断なのだと思います。もとから鉄道というのは1日ごとに運用が決められ,1ヶ月単位で事故や不意の運用変更がない限り,決められた行程で車両が運用されて,その中に仕業検査や給油などの作業があらかじめ組み込まれているので燃料の補給はやりやすく,仮にバッテリに切り替わっても給油と同じく,どこかで充電する行程を組み込むだけなので,バスや自家用車より,導入は容易です。燃料電池車もそのうち,同様にどこかで水素を補給するだけなので,導入されるかもしれません。

関電トンネルトロリーバス.jpg 黒部ダム駅にて

関電トンネルトロリーバス架線.jpg 

   架線は直流600Vのプラスとマイナスで2本です。

ただ,水素のインフラが遅々として整備されませんし,車両の初期コストもべらぼうなので,もはやEV車との勝負はついたと思います。EVだと家庭で充電できますしね。動力用の200Vの配線工事は比較的簡単なので,わざわざ水素ステーションまで行くのは面倒ですし,今,ガソリンスタンドがどんどん消えて行っているくらいなのに,今後,水素ステーションがどんどん増えていくとは思えません。間違いなくFCVは自家用車としては使用されないと思います。某社のMIRAIの未来はない,と思っていますけど......。

iruchanはかろうじて,鉄道か,トラック,バスなどでFCVの目があるかもしれませんが,これも大容量,高速充電,低コストのバッテリーが開発されたらどうなるかわからないと考えています。下手すると常温超伝導が実現して,超伝導式の電力貯蔵装置ができたらFCVは不要でしょう。

このバスに乗るのも久しぶりですが,やはり,鉄ちゃんがたくさんいる感じ。バスは4台,発車しましたが,座席は満員で,立つ人も出るくらいで,とても混んでいました。お盆の時期は1本,600人も乗車したそうです.....。

バスだというのに,パンタ(じゃなくてポールですけどね)がついていたり,道路に架線柱がついていたり,色灯式の信号がついているのも不思議な感じ。ちょっと急勾配で,急カーブも多いのが鉄道と違いますが.....。

でも鉄のiruchanとしては,ちょっと寂しい。戦前に作られた富山側のルート同様,信濃大町から鉄軌道で輸送路が作られていたら,今ごろ,信濃大町からアプト式の登山電車で黒部ダムへ行けたかも......スイスみたいだな.....なんて思っちゃいました。

黒部ダムへ着いたら周囲を回ります。1時間半あったのですが,やはり足りませんでした。展望台からレインボー展望台,レストハウスと殉職者の碑を見て,堤体の道路を渡ってダムを一周するには2時間以上必要なようです。

さて,トロリーバス終点の黒部ダム駅駅長室前に集合して親切なガイドの方に案内していただき,ツアーが出発します。

黒部ダムコースの場合はまずはバス(これはディーゼルエンジンの普通のバスです)で30分乗って10.3kmもあるトンネルを通ります。単線トンネルなので,ところどころ待避所が設けられています。このトンネルは黒部ダムから発電所へ行くための資材を運ぶために建設されたものです。

タル沢横坑.jpg タル沢の横坑です。

トンネルはところどころ横坑が設けられ,トンネル残土を排出した跡です。坑口に展望台が設けられています。もちろん,一般の人はそこへ行けませんけどね.....。

タル沢横坑1.jpg 奥に剱岳が見えました[晴れ]

午後になると雲が出て,山頂が見えなくなることが多いそうです。一度,剱岳も登ってみたいのですけどね.......無理[雨][雨]

その次はインクラインに乗車します。斜行エレベータのようなものです。人を運ぶときは人車が台車の上に載り,30人ほど乗ることができます。ケーブルカーのように,途中で交換設備があり,そこで上りの車両とすれ違います。高低差456mで,斜度は30゜のようです。ものすごい急傾斜に驚きます。

これも20分ほど時間がかかります。前回と違って,壁面に液晶モニタがついていて,ビデオを見せていただきました。

インクライン機械室.jpg インクラインと機械室。

インクライン.jpg 途中の交換設備

う~~ん,どこかアポロ宇宙船のランデブーという感じがしました.....(^^;)。

さて,ようやく黒部川第四発電所に到着です[晴れ]

発電機室.jpg 黒四発電所内部

発電機は1963年の送電開始当初,3基設置されていて総出力258,000kWでしたが,1973年に95,000kWの4号機が1基増設されました。今日は電力に余裕があるためか,2基だけ運転されていました。

とてもきれいな内部に驚きます。応接室などもあるのは海外の賓客なども来られるからなんでしょう。それだけ有名なわけです。地下150mに作られているのも驚きで,4基の発電機が設置され,総出力33万5000kWです。

発電機の設置されたホールで記念撮影です。横のスペースにペルトン水車が置いてあります。予備だそうで,時折,クレーンで操作して交換するそうです。

水車は独VOITH(ホイト)社の製造だそうです。DD54の流体継手はMekydro社製ですけど,ほかの国産DLも流体変速機は技術はVOITHが源流ですよね~~。う~~ん,やっぱドイツは強かった.....。

ここの会議室で夢の昼食[晴れ]

ます寿司弁当.jpg ます寿司のお弁当[るんるん]

お弁当は予約制で,iruchanはます寿司のお弁当。子供らはおにぎり(これがでかい!)を扇沢駅で買って食べました。

milestone IEEE.jpg IEEEのマイルストーン賞

名誉ある,米電気学会IEEEのマイルストーン賞です。2010年に受賞しています。ほかに,日本では東海道新幹線が受賞しています。

発電所を見学したらいよいよ上部軌道と呼ばれるトロッコ列車に乗車します。これは黒部峡谷鉄道と同じ軌間762mmですが,建築限界が小さく,さらに小さな客車で,1両あたり定員は10名,機関車もバテロコになっています。なんでそんなに小さいかというと.....高熱隧道があるからです。

ここから先,仙人谷のダムまでは戦後の建設で,黒部川第四発電所の建設のために戦前に設置された軌道を延伸したものです。

黒部発電所前駅.jpg 

中島みゆきが紅白で歌ったのはこの駅で,駅を出て,欅平側に50mほど行ったところだそうです。

上部専用鉄道について.jpg 上部専用軌道

さて,仙人谷ダムまで乗車します。ダムは本当はもう少し上流の十字峡付近に建設する予定だったようですが,1934年に国立公園に指定されたため,下流に移動しました。両側が強固な岩盤だったのが選定された理由のようです。

鉄橋上でトロッコ列車が停車し,仙人谷ダムを見学することができます。

仙人谷ダム1.jpg 仙人谷ダム

さて,ここからいよいよ高熱隧道に入ります。すでに鉄橋上では硫黄の臭いが立ちこめ,ここから先が危険な場所であることがわかります。高熱隧道は壁面の最高温度が160℃にもなるそうです。大部分の壁面がコンクリートで覆工されていて,建設当時とは異なっているようですが,素掘りのところは硫黄が結晶化し,湯ノ花ができていました。

ここでは工事中,高温でダイナマイトが自然発火し,暴発したため多数の犠牲者が出ています。高温のため,冷たい黒部川の水をホースで作業者にかける「かけ屋」が何人もならんで順番に水をかけたそうです。作業も20分が限度で,2時間休憩してまた作業,という今で言えば完全なブラック職場ですね~。いかに戦時下の突貫工事とはいえ,富山県警が問題視し,なんども工事中止を命令してきたそうですが,国策工事が優先され,警察も黙認せざるを得ない状況だったようです。なお,トンネルは1本だけじゃなく,軌道用のトンネルより直径の大きな発電用の導水路も作らないといけないので,高熱隧道は2本あります。

黒部川第三発電所の殉職者は300名を超えると言われています。中には志合谷にあった宿舎が有名な泡(ほう)雪崩で対岸に吹き飛ばされるなど,雪崩による犠牲者も含まれています。

黒四ダムも建設時には171名もの方が亡くなっています。とても戦後の工事とは思えません。今なら工事中止を余儀なくされるでしょう。それほどまでの犠牲を払って電力の恩恵にあずかっていることに感謝したいと思います。

高温隧道壁面.jpg 湯ノ花が咲いています.....。猛烈に暑い!!

レールは硫黄や温泉成分により腐食し,2年ごとに交換しているそうです。

上部軌道バテロコ.jpg 蓄電池式のバテロコ

さて,高熱隧道を抜けると欅平上部駅に着きます。ここからなんと,エレベータで200m下ります。エレベータは米OTIS社製です。さすがに1937年当時,これほど大規模なエレベータを作れる会社はアメリカにしかなかったのでしょう。そんな国と戦争しちゃいけません!!

上部軌道は欅平から仙人谷まで,5.7km線路を延長したのですが,250mも高低差があるため,勾配が40‰を超えてしまうので,線路自体は水平に作り,エレベータで貨車ごと運搬しようと考えたものです。戦後,黒四発電所を作るために,仙人谷からさらに900m延伸しています。

ただ,▼の本を読むと,仙人谷から黒部ダムまで複線の別線を建設し,ダム建設の資材輸送をする案があったようですが,勾配の関係から延長20kmにもなり,経費の点から最終的に大町案が採用されることになったようです。

志合谷.jpg 志合谷を望む

最後の欅平展望台から。上流側に志合谷が見えます。右側に作業員宿舎があり,5階建てのコンクリート+木造の建物がありました。1938年12月27日未明,大規模な泡雪崩が発生し,木造の3階以上の部分のみならず,コンクリート造りの2階部分が対岸まで,600mも吹き飛ばされて84名もの人が亡くなっています。建物の残骸を事故直後には発見できず,結局,翌春,雪が解けてからこの岩壁の上の方で発見されました。2年後の1月9日の午後,今度は阿曽原谷の宿舎を泡雪崩が襲い,火災により28人が亡くなっています。

泡雪崩というのは大規模な表層雪崩の一種で,自然的にはきわめて珍しい現象で,そう滅多に起こるものではないようなので,短期間に続けて2回も起きたのは自然を恐れぬ人間に対する警告,と見る人もいます。

こうしてようやく欅平駅に着きます。ここでツアーは解散。今回のご案内をしていただいたガイドの皆様,本当にどうもありがとうございました。子供たちも大感激で,本当にいい経験になったと思います。また,行きたいと言っています。

黒部川第三発電所.jpg 黒部川第三発電所
欅平の駅のすぐ横に黒部川第三発電所(1940年竣工,81,000kW)があります。この発電所を建設するために高熱隧道が掘られました。今では少し上流に新黒部川第三発電所(1963年竣工,105,000kW)がありますが,これは黒部ダムの完成で水を再利用するために建設されました。

       ☆        ☆        ☆

ここからはいつものトロッコ列車。これ,本当にいつも思うのですけど,日本一楽しい鉄道だと思います。

ただ,驚いたことにむちゃくちゃ暑い!!

台風20号が接近し,南風が吹いているため,富山側はフェーン現象で暑いのですが,前日(22日)の富山市の最高気温は39.5℃でしたから,猛烈に暑いのです。ちなみにこの日は35℃でしたが,欅平でもムッとする暑さで,参りました。

さすがにトンネルの中はひんやりと涼しいのですが,明かり区間は猛烈に暑く,陽が当たった場所は大変な暑さでした。

何度もこのトロッコ列車には乗ったことがありますが,いつも寒く,暑いと感じたことはないのですけど.....。こんなことは初めてでした。

欅平14:38発列車.jpg 欅平駅にて

黒部川第二発電所.jpg 美しい黒部川第二発電所

猫又付近にある1936年竣工の黒部川第二発電所です。総出力は72,000kWで,取水口は小屋平ダムにあります。独バウハウス卒業のグロピウスに学んだ山口文象がデザインしたもので,戦前の名建築のひとつとされています。すでに日中戦争は始まっていますが,まだ周囲の景観に配慮する余裕があったことにホッとします。先ほどの仙人谷ダムも彼がデザインした小屋平ダムを模したそうです。

☆黒部川第一発電所の謎

黒部川は総延長85kmと短いのに標高2,900mのところに水源があるため落差も大きく,また,豪雪地帯にあるため降水量が多い上に周囲は峻険な谷間にあり,ダムの建設に好適な場所のため,早くから開発が進みました。

ちなみに,黒部川でややこしいのは発電所とダムの名前が一致しているのは黒四だけで,あとはバラバラです。簡単にまとめておきませう。

と思ったのですけれど,実は,黒部川第一発電所といふのは存在しないのです........orz。

まあ,次はどうなるかわからないので最初に第一発電所と命名しなかったのでしょう。もっとも,単に第1号ということでは歴史的には弥太蔵発電所がそれで,実際,国土交通省の "黒部川水系河川整備計画" というPDFを見たら,"弥太蔵発電所(黒部川第1号発電所)" と書いてあります。

とは言っても,黒部川第一発電所というのはちゃんと歴史的には存在していて,おまけに過去には第四発電所どころか,第六発電所まで存在したのです。一体,どうなっとるんや.....。

ちょっと本を調べてみました。

関西電力建設部が編者になった,"黒部川第四発電所~世紀の難工事に挑んだ土木技術~" (ダイヤモンド社)という1965年刊行の本に載っていました。

確かに,過去には黒部川第一発電所というのは存在しました。現在は黒東第一発電所というのがそれです。1929年竣工の5,200kWの水路式発電所です。また,黒部川第四発電所というのも存在し,1932年竣工ですが,現在は黒西第一発電所となっています。ただ,いずれもこれらは下流域とされる宇奈月町愛本より下流に位置し,開発したのも黒部川電力(現北陸電力)のため,日本電力(現関西電力)系の黒部川第二や第四発電所のシリーズとは異なります。

まあ,普通は発電会社ごとに名前をつけるでしょうし,名前がダブっていたとしても所有者が違えば,特に社内では混同しない,ということなのでしょうけど,やはり黒部川第一発電所はどこか,と言う問題だと日本電力が建設したもの,と言うことで調べないといけないと思います。

先の本を読むと,黒部川第一発電所は柳河原発電所,と言うことになるでしょう。

  名 前       ダム     有効落差   竣工    総出力

柳河原発電所       ─      125m    1927    54,000kW ※水路式,現存せず

黒部川第二発電所   小屋平ダム   179m    1936    72,000kW

黒部川第三発電所   仙人谷ダム   278m    1940    81,000kW

黒部川第四発電所   黒部ダム    545m    1963   335,000kW

柳河原発電所は1992年,宇奈月ダムの完成に伴い,水没するため廃止になっています。下流側70mのところに新たに新柳河原発電所ができています。

出し平ダム.jpg

  出し平ダム(1985年竣工)。新柳河原発電所の取水口でもあります。

ただ......,この発電所,トロッコ列車からよく見えるんですけど,優美で周囲に調和した黒二発電所と違って,円筒形という発電所とは異なるイメージの建物で,おまけに,まるでシンデレラ城みたいな造りはいただけない。ご丁寧にも外周は石で作ったような模様があるし,てっぺんには西洋のお城みたいにのこぎり形の狭間があるのは驚き! 誰かが攻撃してくるんかい? 湖底深くに発電機があって,湖上には特にエレベータくらいしか設備が必要ないからなんだろうけど,見た人が「あれは何?」って言うようじゃ,まずいんじゃないって思います,って書きながら写真撮るの忘れた......(^^;)。

案外,優れたデザインというものはさっきの黒二発電所もそうですが,お金がない時代の頃の方が多いように感じられます。お金がないのを工夫していいデザインを作った,ということなんでしょう。世の中,そう言うものだと思っています。

黒部川筋発電所の概要.jpg

   黒部川水系の発電所("黒部川第四発電所" から)

なお,愛本発電所というのはさっきの新黒部川第三発電所と同じで,黒部川第二発電所が完成して,その排水を利用して発電するところなので,時代的にも第一発電所とは違います。

黒部川縦断面図3.jpg 黒部川縦断面図(同書)

 う~~ん,それにしても第7ダムまで計画があったとは.....。

なお,黒部川水系で一番古いのは先ほども書いたように,黒部鉄道が建設した弥太蔵発電所(1924年竣工,1,500kW)ですが,1985年に廃止され,現存しません。ただ,その旧導水路などの設備を再利用して1,250kWの発電所を2022年に建設する計画があるようです。

黒部川開発計画平面図'56.jpg 1956年の黒部川開発計画です(同書)

弥太蔵発電所(P/S)の記載もあります。北陸電力の黒部川第一~第六発電所が愛本より下流にあることもわかりますね。各発電所の導水路も描いてあるのでよくわかります。 

     ☆        ☆        ☆

宇奈月温泉で富山地鉄に乗り換え,富山市へ。富山エクセルホテル東急に泊まりました。きれいな部屋に感激。朝食も素晴らしかったです。

ほかにも,新幹線開業に向けてホテルがニョキニョキできていましたけど,やはり新幹線効果はすごいですね。とはいえ,富山発の東京行き最終が21:19なので,ビジネスマンだと(日帰りで)帰ってこい! って言われるわけですから,ホテルは厳しいと思いますけどね....。

翌日は高岡へ出かけます。去年,仕事でiruchanは高岡へ行って,ちょっと観光してきたので子供を連れて瑞龍寺などを見に行きます。やはり高岡の大仏様と瑞龍寺は見ておかないといけないと思います。

さて,富山駅前9:10発の新港東口行きバスに乗ります。ほぼ1時間に1本出ていますが,この後は10:40までないので要注意です。

このバスは廃止になった富山地方鉄道射水線のルートをたどります。途中から廃線跡が見えるのが楽しみです。サイクリングやウォーキング用に整備されているようです。

堀岡発着場.jpg 新港東口渡し船乗り場

1966年に富山新港の建設に伴い,堀岡~越の潟間が廃止になりました。富山県営渡船が開業すると,少し延伸して新港東口まで路線が延びましたが,乗り換えが不便なことから乗客が減り,結局,1980年に全線廃止となっています。残った新湊市側が今は万葉線となっていますね。

射水線跡.jpg 射水線跡の遊歩道

この渡し船も2012年に新湊大橋が開通し,歩道も設けられることになっているので,廃止になるのかと思ったのですが,夜間は歩道が閉鎖されるし,何よりエレベータで上ったりしないといけないのでお年寄りには不便,ということで残っています。ただ,橋開通前にiruchanが以前訪れたときは夜行もあって,夜中にも毎時1本ずつ運航されていたので驚いた記憶がありますが,今は夜行便はなくなり,タクシーによる代行輸送となっています。乗客は少なく,今回はわれわれ家族だけでした。

富山県営渡船.jpg 渡し船です。

無料なのに驚きますが,渡し船が今も残っていて,体験できるのは本当に貴重だと思います。子供らにもいい経験ができたと思います。

万葉線.jpg 越ノ潟駅にて

もっとも,残った加越能鉄道も赤字のため,一時は廃線が危惧されるほどでしたが,2001年に射水市と高岡市が第3セクターを設立し,万葉線となりました。同時に低床式LRTを導入し,運賃も値下げされたことから輸送人員も回復しているようです。実際,この列車も越の潟を出たときはガラガラでしたが,途中からかなり乗ってきて,市民の足として定着しているようで,よかったです。道路交通とは分離されていて定時に運転されるし,何より加減速もスムーズで乗心地もよいのはとても快適です。

もう,うちの子はとっくにドラえもんは卒業しているのですけど,ほかのお子さんが大喜びでした[晴れ]

しずかちゃん.jpg やっぱしずかちゃんはかわいい~~[晴れ]

某社のCMで,大人になったしずかちゃんを水川あさみがやっていて,ぴったりだと思いましたけど,気ぃ強そう~~。こんなの嫁にしたら大変......って思いました[雨]。女はほんまにわがままですからね......。うちの嫁はんも.....(以下,自粛)。

ただ,なんか藤子不二雄のマンガって,女の子はしずかちゃんみたいに誰もかわいく描かれていて,しかも金持ちのお嬢さんと決まっているのに,大人の女性はどれもブサイクでデブだったりするのは何でしょ。特に,母親がどれもメガネかけていたり不美人と決まっているし,性格的にもガミガミとうるさく,きわめて現実的? で,とても理想の母親像というわけじゃないのは何か変!! といつも思います......。普通はアニメの母親って,おじゃる丸の母親(カズマの母親じゃない)や,しまじろうやペネロペの母親(人間じゃないやんか)のように,とても優しくてかわいいと決まっていると思うのですが.....。

富山黒醤油ラーメン(次元).jpg 富山名物ブラックラーメン

なんでこんなに黒いのか,と思うくらい真っ黒なスープが有名な富山のラーメンです。駅前のらぁめん次元さんでいただきました。iruchanは魚介黒醤油ラーメンをいただきました。やっぱ,ラーメンは魚介スープだよなと思っているiruchanなので,同じ魚介スープの津軽ラーメン同様,とてもおいしかったです。親切な女性の店員さんにも感激!

高岡大仏.jpg ハンサムな大仏様。

万葉線・末広町駅から歩いて5分ほどのところにある高岡大仏。1933年に青銅で鋳造された阿弥陀如来座像です。男前なことで有名ですが,神々しいお姿が本当にイケメンな大仏様です。

駅の反対側から歩いて15分ほどで瑞龍寺に着きます。ただ,あまりにも暑い! 女子供連れでは厳しいのでタクシーで行きました.....軟弱者!!

瑞龍寺山門.jpg 国宝の山門です。

昨年,仕事で高岡へ行った折に訪問した瑞龍寺は国宝だけあって本当に素晴らしいところ。前田家第3代当主・前田利常が建立した曹洞宗の寺院です。1997年に山門,仏殿,法堂が国宝に指定されました。立派なお寺に娘はすっかり気に入ってしまい,また行きたいと言っています。皆さんもぜひ,お出かけください。

また,驚いたことに冬はライトアップされているようですね。ネットに写真が出ていましたけど,雪がつもった仏殿の姿は本当にきれい。大仏様も雪化粧したお姿はとてもきれいなので,どちらもまた雪がつもったら見に行きたいと思います。


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湖北史跡巡り [紀行]

2017年8月6日の日記

ちょっと早めにiruchanは北陸の実家に帰省しておりました。

今年は子供の宿題の手伝い。自由研究で滋賀県・湖北地方の史跡をまわってレポートを書くらしいです。

iruchanも北陸から近いので子供の頃,行った記憶があるのですが,再びまわってみます。

【賤ヶ岳古戦場】

まずは北陸からだと近い,賤ヶ岳古戦場から。

北陸道を飛ばして木之本ICへ。駅は木本ですが,ICや旧滋賀県木之本町(現長浜市木之本町)は木之本です。よく知られているのは神戸の三宮ですけど,阪急や阪神は三宮なのに,JRだけ三宮とか,東京でも阿佐谷は街の名前は阿佐谷なのに駅は阿佐谷だったり,ノやケが入っているのはなんででしょう。勝手に昔,東京で駅名を決めていたからなんでしょうけど,読み方もおかしかったりしますね。北海道の旭川駅は長い間ずっと "あさひわ" だったし,北陸線の米原駅は町の名前がまいらなのに,駅名は "まいばら" ですね。もっとも,こっちの方は市になったときに "まいばら" になっちゃったので,北陸道の米原ICが "まいはら" のまま残っちゃいました。

木之本ICをおりて,国道8号線を敦賀方向へ。すぐに大きな山が迫ってきて,それが賤ヶ岳です。国道はトンネルに入りますが,その直前,大音(おおと)の交差点に案内看板が出ていますので右折して賤ヶ岳古戦場跡へ行きます。

ここはとても楽で,リフトで山頂へ行けます。営業日にはご注意ください。

賤ヶ岳リフト.jpg リフトで登れます。

天正11年(1583年)4月,信長亡き後の覇権争いで羽柴秀吉と柴田勝家がぶつかります。敗れた柴田勝家は越前・北ノ庄で自刃することになります。

歴史の教科書にも載っていて,とても有名なのですが,行く人は少ないでしょう。東京からだととても遠いですし。でも,新幹線で米原でおりれば意外に近いし,何より壮大な歴史の舞台に触れることができますし,また,景色がとても素晴らしいところです。

賤ヶ岳.jpg 奥琵琶湖の絶景です。

山頂には展望台があり,琵琶湖と余呉湖の両方の絶景が楽しめます。

余呉湖.jpg 余呉湖側です。

北陸道も国道8号線も賤ヶ岳の琵琶湖側を通っていますが,鉄道だけ,余呉湖の北側を走っています。よく見ると中央を横切るように北陸本線が走っていますが,さらにその奥が旧北陸本線跡の国道365号線で,急勾配緩和のため,戦前から工事されていた,深坂トンネルが1957年に開通して廃止された柳ヶ瀬線の跡です。

【小谷城】

さて,お次は小谷城。小谷三姉妹の悲話でチョ~有名ですし,戦国時代の大河ドラマにも必ず出てくるところなので訪れてみたいですがここは非常に行きにくく,なかなか地元の人以外は訪れることは難しいと思います。iruchanも大昔,父親に連れられて見に行ったのをおぼえていますが,遠くてまいった記憶があります。
ここは賤ヶ岳からしばらく長浜方向に戻って途中から国道365号線に出ればすぐです。北陸道も小谷城スマートICができましたので,ETCの方はそこでおりればすぐです。

小谷城趾絵図.jpg 小谷城地図です。熊に注意!!

ここも非常に有名なのですが,何より最寄りの北陸線の河毛駅から遠いのと,公共交通機関がないのが困るんですね。今はコミュニティバスがあるようですが,クルマがないと行きにくいところです。

まずは,ふもとに小谷城戦国歴史資料館ができていますので,そこを訪れて地図やパンフレットをいただくとよいと思います。無料の駐車場もありますので,そこにクルマを停めて小谷城に登ることもできます。

ここは北近江を支配していた浅井氏の居城で,3代続きました。

小谷城本丸跡.jpg 

      苔むした本丸跡の石垣が残っています。

小谷城大広間.jpg 本丸から。大広間の跡です。

小谷城趾.jpg 

    お市の方もこの景色を眺めたのでせうね。

手前の山が信長が本陣を敷いた虎御前山で,その奥のぽっこりした山が山本山,琵琶湖の島は竹生島です。

元亀元年(1570年)4月に信長が越前の朝倉氏を攻めると(金ケ崎の戦い),同盟関係にあった浅井氏は義兄の信長に反旗を翻し,結果として6月に姉川の戦いとなるのですが,9月に長政はこの城で自刃し,浅井氏は滅びます。信長にとっても交通の要衝である北近江の支配は欠くことができないものだったのですね。

まずは資料館から追手道をたどって登城? します。

ところが.....。

ものすごく大変です。延々と急な登山道が続いて,足元も悪いし,炎天下で疲れた~。息子もグロッキーでしたけど,昔はこうやって多くの家臣が登城したわけですし,合戦時は多くの信長の兵隊がこの山中を登っていったわけですから,いい経験になったと思います。

小谷城追っ手道.jpg こんなに険しい山道です。

楽に行きたい方は舗装された道路が本丸近くまでありますので,そこをクルマで行くとよいと思いますが,戦国の世を経験するにはちょっと不足ですね。

小谷城はもちろん,山城なわけですが,要塞といってよく,しかも天然の要害である小谷山は峻険で,難攻不落の小谷城攻防戦となると甚大な被害が予想されるため,平地の野戦に持ち込んだのは信長の戦略の勝ちでしょう。ただ,姉川の合戦自体は引き分けで,どちらかの決定的勝利,と言う見方は難しいと思います。

【姉川古戦場】

さて,ここからは同じ国道365号線を南下すると姉川古戦場になります。ただ,ちょっと時間的に厳しいので今夜は長浜市内で泊まりました。1日でまわることは十分可能ですが,子連れだとちょっと厳しいかな,という感じです。

翌日は早く起きて,さっそく姉川の古戦場へ。

姉川合戦場.jpg 姉川南岸(旧長浜市側)

場所的には国道365号線が姉川を渡る地点です。もっとも,野村橋は新,旧2つあり,国道は新しい橋に移っているので,古い方です。昔はこちらが国道だったので,こちら側に碑があります。現在の国道からは堤防沿いに少し東に行くと碑があります。

小谷城から来ると北岸なのですぐ碑があります。今回は長浜側からなので南岸に到着しましたが,南岸は看板があるだけです。旧橋はクルマは通行止めですので,歩いて渡ります。

それにしても1570年にここで教科書にも載っている合戦があったとは驚きます。そんな歴史の舞台に立てばいい経験になりますね。でも,歴史好きの人だってなかなかここまで来ることはないでしょう。

姉川古戦場.jpg 周囲は静かな河原です。

姉川戦死者之碑.jpg 姉川戦死者の碑

【関ヶ原古戦場】

さて,ここからは歴史をずっと後に下って関ヶ原の合戦場所まで行ってみます。

このまま国道365号線をたどると関ヶ原に着きます。なんでか,とゆ~と,

実は,ここから先,長浜~関ヶ原間の旧東海道線の跡が国道になっているからなんです。

1883年,東海道線・関ヶ原~長浜間が開通し,長浜から浜大津まで船で連絡することにより,東海道線が(いちおう,)全通します。鉄路での全通は1889年に湖東線が開通してからです。1899年に現在の近江長岡経由の線ができてこちらが廃止となり,跡が道路となりました。クルマだと勾配,カーブともに緩いので走るのはとても楽です。わざわざ北陸道~名神とたどらなくても早く関ヶ原に着きます。あまり知られていないのですが,鉄ちゃんだと一度,クルマで走ってみるとよいと思います。

ま,ここは何も書かなくてもものすごく有名なところですので,解説はなしです。

まずは石田三成本陣跡へ。国道に看板が出ていますし,脇道にそれると田んぼの中に巨大な砦が現れるので,すぐにわかると思います。

すぐ近くに決戦地跡もありますので,そちらも見てきます。

その後,ここも資料館がありますので,そこに行きました。地図をもらいに行くだけでも価値ありですが,中の展示もなかなかのもので,愚息も熱心に見ていました。

資料館脇には徳川家康の最後の陣跡や,東首塚などもありますのでとても有意義です。少し南に行くと,本多忠勝陣跡もあります。

さすがに次は家康の本陣があった桃配山へ行こうとしますが,ここはクルマでずっと国道21号を岐阜側に走ったところにありますので,ちょっと大変です。さらにその先,山内一豊陣跡もありますが,行程上,パスしました。

ただ,桃配山の本陣は総司令部と言っても全然,前線が見えませんし,はるかに笹尾山の三成の本陣の方が高台にあって見晴らしがよく,狭い谷間に続く出口部分にあって周囲に自陣営の部隊を配置しておけば敵を包囲でき,有利です。それこそ,南宮山に陣していた毛利勢を始めとして,まじめに? 西軍全軍が動けば,カンネーの戦いやセダンの戦い同様,世界史上に残る包囲殲滅戦となったと思います。実際,三成が陣をここに構えたのも北国街道沿いにあって,徳川方が逃げ込めないように考えたようです。

関ヶ原合戦陣形図.jpg 陣形図

帝国陸軍が創設当時,諸外国から将官を招いて近代軍の育成を図ります。真偽のほどは知りませんが,ドイツから来たメッケル少佐がここの陣を見て,"西軍が勝った" と言うのも頷けます。どう考えてもこれじゃ,西軍が勝って当たり前,という地の利です。

実際には俗に,選挙は美人コンテストと違って単なる人気投票じゃない,と言われるのと同様,関ヶ原の合戦も自分の利益最優先で,どちらが有利かとみんな日和見を決め込んでいたわけですから,西軍が勝てないのは最初からだったと思います。美人コンテストだと投票したからと言ってその子とデートできるわけじゃありませんが,選挙や合戦には戦後に何らかの見返りがあるわけで,その見返り目当てにほかの連中は参戦しているので合戦は軍事力じゃなく政治力です。さすがに三成もハンニバルやモルトケにはなれなかったのも当たり前なわけです。そういえば,メッケルはモルトケの部下だったので,なにやら因縁を感じます。

石田三成本陣跡.jpg 石田三成本陣跡

石田三成本陣跡1.jpg 関ヶ原古戦場の全景

三成の本陣からは周囲がよく見えます。左中央に最後の決戦地があります。

関ヶ原古戦場決戦地の碑.jpg 決戦地の碑

この碑は宇垣一成(陸軍大将,陸相,朝鮮総督)が揮毫したようです。各地にこのような碑が建っていますが,史跡名勝天然記念物保護法により1931年(昭和6年)3月に建立した旨の記載があります。戦前の軍国主義に基づいて国威発揚の意味合いがあったのだと思います。宇垣が揮毫しているのもそのせいか,という気がします。各地にほぼ同じ時期に建立されたようです。また,明治時代にも小さな石碑が作られたようで,脇に明治の石碑が建っている場合が多いです。

で,何事も世の中斜めに見ているiruchanは平成の時代に作られたカラフルな案内看板を見て,このブログを書いているわけですが,こうして明治,昭和,平成の3時代にわたる碑が各地に並んで建っているんですけど,たぶん,一番最後まで残るのは明治時代の石碑なんだろうな,と思います。

東首塚.jpg 東首塚

    家康が首実検をした後,葬った場所です。

本多忠勝陣跡.jpg 本多忠勝陣跡

猛将の称号がある,本多忠勝の陣跡です。天邪鬼のiruchanは単なる忠犬ポチだと思うんですけどね.....。こういうやつが出世するんだと思います。

桃配山.jpg 桃配山の家康本陣跡

家康の本陣は国道21号線沿いにあります。反対側に駐車場があります。

岡山烽火場.jpg 岡山烽火場

丸山烽火場.jpg 丸山烽火場の碑(明治39年建立)

東軍の最右翼で黒田長政と竹中重門が陣した岡山烽火場です。案内看板では丸山烽火場と書いてあることも多く,表記が入り乱れているので注意が必要です。駐車場がありますが,そのまままっすぐ北に歩くとここには来ませんのでこれも注意が必要です。駐車場の南側に道の入口があります。

島津義弘陣跡.jpg 島津義弘陣跡

最後まで積極的に攻撃しない方針を決め込んでいた島津義弘でしたが,西軍の敗色濃厚となって,周りを見たら敵ばかりという状況になると包囲網を突破するべく家康本陣を目指して敵中突破し,伊勢街道を通って大和に抜け,難波の港から海路,薩摩に無事帰還することになります。このあと,家康が島津を取りつぶしていたらその後の歴史は変わっていたことでしょう。

小西行長陣跡.jpg 小西行長陣跡

小早川秀秋の裏切りによって敗走した小西行長はキリシタンであったことから,自刃できず,自首して三条川原で三成共々処刑されることになります。


さて,さすがに暑いし,腹も減ってきたので古戦場の散策は終了。本当は松尾山の小早川秀秋の陣跡へ行きたかったですけど,ギブアップ。ここは遠いし,山登りも大変なので,またの機会にしましょう。

歴史の舞台を訪れることができて大変有意義な2日間でした。



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何じゃこれ? [紀行]

2017年7月4日の日記

今週はiruchanは北陸の田舎に帰って草刈りや掃除をしておりましたので,工作はお預けです。

さて,畑の草刈りをしていたところ,こんなものを見つけました。

じゃがいもの実.jpg


なんじゃ,こりゃあ~~!!(草薙剛じゃなくて,松田優作の声で!! 古っ!)

と思っちゃいました......(^^;)。

この畑にはじゃがいもを植えておいたので,最初はどー見てもミニトマトなので,おかしいな~,こんなところにミニトマトなんて植えてないけど.....とか,そういえば,トマトの苗をじゃがいもに接ぎ木するとトマトとじゃがいもができるよな~,なんて一瞬,考えましたけど,すぐにじゃがいもの実であることに気づきました。

そういえば,先月,帰宅したときに花が咲いていたのを確認したので,それが受粉して実がなったのでしょう。

調べてみると結構,珍しいらしく,気候がよいとできるとか,品種によりできるものがあるとか,わかりました。そもそもじゃがいもは人間が長年にわたって品種改良したので,受粉する能力が下がってあまり実ができないようです。しかし,それにしても,一体,じゃがいもにとってどの気候がよいのか,よくわからないのですけど.....。品種としてはキタアカリが割に実ができるようですし,男爵もたまにできるそうです。

同じナス科なのでトマトそっくりなのに驚き。

じゃがいもの実1.jpg 食べてみたい気はしますが.....。

残念ながら,じゃがいもの実にはソラニンが含まれているらしく,食べない方がよいらしいです。

さて,ついでに親の家のトイレの修理もしてきました。男子用便器の水が止まりません。

これは水栓内部の汚れが原因で,弁が閉じないのですね。INAXのホームページを見たらちゃんと掃除方法が書いてあり,うまく掃除できました。

inax水栓.jpg バルブは2種類ありますね。

手前のねじが時間調節用です。これを一杯閉めても水が止まりません。モンキーレンチでカップ部分を外して中を清掃します。

inax水栓1.jpg 中のピストン部を抜いて掃除します。

inax水栓2.jpg 特に目詰まりなんてしてませんでした。

特に何か詰まっている,なんて状況じゃありませんでしたけど,古い歯ブラシでごしごしと掃除したらOKでした。


2017年8月5日追記

今日は芋掘りをしました!

実ができた芋でしたが,無事に収穫ができました。むしろ,自宅で作ったのより大きくて,大人の拳より大きいのが一杯穫れました[晴れ]

さっそく,赤味噌で味噌汁にしてしまいました。iruchanは赤味噌が好きなんですよね~。それに昔からじゃがいもの味噌汁は大好きなので。愚息はおいしかったのか,3杯もおかわりしました。

じゃがいも.jpg こんなに穫れました。

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宇高連絡船の思い出 [紀行]

2017年4月5日の日記

先週,四国へ行ってきました。私はほぼ1年ぶりですが,29年前,宇高連絡船に乗りに行きました。廃止になる直前,1988年3月末のことです。廃止は4月9日でした。なんか,本当にギリギリに行っているんだな~と思いました。

以前,青函連絡船の思い出を書きましたが,今日は宇高連絡船の思い出について書きたいと思います。 

さよなら連絡船土佐丸.jpg

青函連絡船は何度も乗っているのですが,どうもiruchanは寒いところが大好きなようで,温暖な四国へ渡ったのもこれが最初です。宇高連絡船もこれが最初で最後でした。ちょっと残念に思っています。

宇野線クモハ84.jpg 宇野線クモハ84

宇野線にはすでに快速マリンライナー用の213系が走っていましたが,ローカルにクモニ83改造のクモハ84形がいました。72系が原型ですが,96年に用途廃止になっているようです。 

土佐丸1.jpg 土佐丸

うどん屋さんは後部デッキにあったと思うのですが.....。すくなくとも,今の高松駅では昔の連絡船のうどん,なんて言っていますけど,こんなに油揚げは大きくなかったと思います。でも,1時間ほどの航海の最中,潮風を浴びながら食べるうどんはおいしかった......。 

伊予丸.jpg 伊予丸

宇高連絡線は青函連絡船と違い,貨車は前部から出し入れするようになっていました。 

阿波丸,讃岐丸1.jpg 阿波丸(左)と讃岐丸(右)

港の反対側からこのようにきれいな写真が撮れました。

讃岐丸だけ,船齢が若いため,連絡船廃止後も少し残り,クルーズ船として活躍しました。 今は蘭印インドネシアにいるようです。

船内.jpg 客室(阿波丸)

ブリッジ.jpg ブリッジにて(阿波丸)

当時,廃止間近と言うことでブリッジが開放されていて,見学ができるようになっていました。

JRとびうお.jpg ホーバークラフト便もありました

急行として運転されていた,JRの "とびうお" 号です。1986年から運航されていましたが,連絡船と同時に廃止となりました。 

四国へ渡って,高松~高知間の夜行普通列車に乗って坪尻,新改のスイッチバックを経験できたのもいい思い出です。残念ながら,すでに旧客は廃止になっていて,50系客車でしたけど。その後,京都発のムーンライト高知がその流れをくんでいましたが,それも2008年に廃止になりました。今もあったら夏なんか,結構,人気が出ると思うのですけどね。四国では松山へも夜行の普通列車がありました。

松山行きの夜行普通列車は,すぐにバスに移管され,しばらく夜行バスが走っていました。今,ミッドナイトEXPとして伊予三島まで夜中に特急が走っていますが,一度,乗ってみたいと思います。

特急しおかぜ(海岸寺).jpg 海岸寺~詫間にて

急行いよ.jpg 急行 "いよ" かな

有名な海岸寺駅で降りて,海岸沿いを走る列車を鉄しました。まだ特急が少なく,キハ58系の急行が間合いに走っていましたが,昔は四国は特急なんてなくて,優等列車は全部急行でしたよね.....。

ただ,四国の急行は▼みたいに丸い小さなヘッドマークで列車名を表示していました。▲の写真はつけていないのでどの列車かわかりません。 間合いの普通列車かもしれません。

急行あしずり.jpg 急行 "あしずり" (高松) 

特急しおかぜ.jpg キハ181系の "しおかぜ" 

それに,民営化間近でも四国は全線非電化単線だし,まくらぎも全部木製で近代化が遅れている,と民営化前に新聞で指摘されていました。国鉄は本当に最後まで四国に設備投資をしませんでした。なんとか,瀬戸大橋が開通する前になって,申し訳程度にキハ185系と121系が投入され,複線化と電化が進むようになりました。まだこのときは宇多津駅は地平の駅で,木造の古い駅舎でした。古いもの大好きなiruchanは写真を撮っておけばよかったと後悔しています。

とはいえ,民営化前に投入されたキハ185系は電車の185系同様,快速列車としても使うことが前提,というコストダウン車で,結局,いまいち特急用としてはアコモも性能も不足だし,快速用としてはオールクロスシートで扉が2扉じゃ使いにくい,ということで九州に売却されたりしていますね。どうも国鉄時代,特急と快速を共通運用にしてコストダウンを図る,ということを考えていたようで,"踊り子" 用の電車の185系もそうでしたが,さすがに通勤時間帯には使用しない,と言っていた割には夕方の通勤時間帯に堂々東京駅に通勤列車として乗り入れてくるのには驚きましたけど。どうやら中京地区のキハ80系もこの考えで新型車にするつもりだった,という話を聞きました。やらなくてよかったです。

121系.jpg 121系

121系は当初はこういう水色の帯ではなく,赤色でした。まだ赤い帯の車両があったような気がしますが,iruchanが撮ったのは全部水色でした。民営化後に水色に塗り替えられました。と言って,実際は樹脂製のシール帯なのですが,はがすのが大変なため,そのまま上に水色の帯を貼ったようです。

今は121系もワンマン化改造され,スカートを履いていますし,側面にLED式の行先表示器が取り付けられています。中も製造時は4人掛けのボックスシートが並んでいたのに,一部ロングシートになっているのを見たときは驚きましたけど。

さらに,今後は例の川崎重工製のFRP製efWING台車を履き,制御器もインバータ式になって,形式も7200系と改められるようです。先日,琴平まで乗ってみましたが,空気ばねになり,インバータ制御なのでスムーズに加速し,乗心地も大幅に改善されていました。 

7200系.jpg 

    琴平行き1225M 7200系('17.3.30 高松)

さきほどの急行 "あしずり" が停まっているホームと同じホームだと思います。 屋根も替わっているんですね。

efWing台車.jpg efWING台車

時代も変わりましたね......。


旧海軍兵学校を訪ねて [紀行]

2017年4月1日の日記

旧海軍兵学校.jpg 旧海軍兵学校 

春休みですね~。全然春らしくなくて,結構寒い春休みですが,体調を崩されませんよう,ご注意ください。

さて,わが家では子供たち(♀,♂)が春休みでいつまでも朝は寝ているし,ついでにわが家では母親まで春休みに入ってしまっていていつまでも寝ているので,いつもiruchanは朝早く起きてゴミ出し,洗濯をして自分の朝めしを作って出勤しています......orz。

せっかくの春休みなので今日は愚息を連れて旅行に行きます。残念ながら娘はそろそろ受験生なので連れて行きません。

どこへ行こうか,と言うことになりますが,鉄ちゃんのiruchanはいつもだったら絶対,北海道なんですけどね.....。といって, "北斗星" が廃止になっちゃって,どうしても魅力半減,と言うところです。 

と言うことで,唯一残った夜行寝台特急 ”サンライズ瀬戸” で四国へ行くことにしました。四国だと金比羅さんへ行って,道後温泉に行って,さらに対岸にフェリーで渡って,呉の大和ミュージアムを見学すれば,なかなか子供にもいい体験をさせられそうです。フェリーもなかなか子供で体験することはないでしょうしね。

ついでに,iruchanは一度,行ってみたいところがありました。

やはり,一度は江田島へ行ってみたいと思っていました。呉からはフェリーで20分ほどと近いですしね!

ということで,東京駅22:00発の "サンライズ瀬戸" に乗りました。

サンライズ瀬戸発車標.jpg いよいよ出発です。

サンライズは3回目ですが,完全に個室だからとても静かだし,中はとても清潔できれいなのもいいです。子供には夜行列車というのはとてもいい体験ですしね!

それにしてもなんでシングルツインなんて名前なの~~!?

それって,C形4動軸蒸気機関車とか,赤い青信号なんてのと同じじゃないかと思います。  

サンライズ切符1.jpg

ひと晩寝たら異国じゃないけど,遠く離れた異境の地,と言うのもいいです。 "北斗星" や "日本海" だとひと晩寝たらあたりは雪景色......なんて最高でしたけどね......。

そういう意味で,七つ星とかトワイライトエクスプレス瑞風とか四季島だとか,なんだかわけのわからない豪華列車には全く興味ありません。ひと晩寝て着いてみたら隣の県の温泉かよって感じですね........(^^;)。

"サンライズ瀬戸" の魅力はやっぱり朝の瀬戸大橋。前回はいい天気でしたけど,今回は曇り気味でいまいちでした。でも,愚息も大喜びでした。

サンライズ瀬戸(高松).jpg 高松駅に着きました。

連絡船のうどんを再現したお店が営業していますので,朝食です。宇高連絡船は青函連絡船と違って時間が短かったのですが,海を見ながらうどんを食べる,というのがとてもよかったです。 

きつねうどん.jpg でっかい油揚げのきつねうどん。

本当は坂出で降りて,伊予三島行きのEF65牽引の3071レを撮りたかったのですが,なぜか "サンライズ瀬戸" は1時間遅れで,撮影できませんでした。どうも小田原駅で線路上に人が立ち入ったらしく,そんなところから遅れてしまったようです。 

さて,20年ぶりに琴平駅に着きました。駅もレトロ調にきれいに改装されていました。

琴平駅.jpg 琴平駅

ここから,例の膨大な参道の階段をどんどん上って金比羅さんにお参りします。やはり四国へ来たらここは逃せませんね。

でも,実は,ここはiruchanはリベンジ。前回は本宮をお参りしただけでしたので。今回はさらに奥にある奥社を制覇したいと思います。

しかし.....。

これは本当にきついです。本宮からさらに30分,階段と坂道が続きます。つづら折りになっていて,その折り返し地点ごとに小さな社が出てくるので,もう終わりか? と思うとそこからさらにきつい階段が延々と続いていたりして,本当に大変です。

奥社.jpg ようやく奥社に着きました。

ここでありがたいお守りを買って帰ります。

ちょうど昼なので麓の参道にある田中屋さんで,骨付き鶏セットを食べました。いつも,四国へ来ると夜は骨付き鶏で一杯,というところですが,今回はランチです。子供はさすがに堅いので鶏唐揚げ定食にしましたけど,子供のげんこつくらいある大きな唐揚げに愚息も大満足でした。

ここからは2000系振子気動車と8000系振子電車を乗り継いで松山へ。2000系は登場時に乗りましたけど,そろそろ30年近い車齢なので次の置き換えが検討されているようです。

3079レ(多度津).jpg 3079レ(高松タ~伊予三島)

なんとか,多度津駅で長時間停車中の伊予三島の大王製紙へ行く3079レは撮影できました。残念ながら牽機がEF210なんですけどね。

8000系は初めて。内装も改装されてとてもきれいでした。130km/h運転しているので本当に速いです。カーブも振子電車なので,非常に快適です。子供は見てると気持ち悪い~~と言ってましたけど。

ただ,いくら速いと言っても多度津からほぼ2時間かかるのはしんどい。今治経由で海岸を通るので,松山まで遠いんですね。これじゃ伊予西条から松山へ直行する高速バスの方が30分ほど余計にかかるけど揺れないし,2,400円も安いので快適です。どうしても北海道や四国,九州とかだと,鉄道の方が設備が古く,路線も時代に合わなかったりして高速バスの方が安くて快適なんてところが多いので困ります。本州だと渋滞にはまって全然速くないし,バスも古いのが多いので,まだ鉄道の方が競争力がありますけどね。

ただ,わが北陸でもいずれ,新幹線が敦賀まで伸びますが,大阪や名古屋から北陸に行くのに敦賀で乗り換え,ということだったらバスか自分の車の方がいいや,という人が大部分でしょう。JRはどうするんでしょ? 

泊まりはやはり道後温泉。"千と千尋の神隠し" に出てくる温泉宿みたいな道後温泉本館は見逃せませんね。ここで温泉に浸かってとてもよかったです。

道後温泉本館.jpg 道後温泉本館

前回,来たときは学生でしたけど......。たくさんの外国のお客様が来ていました。 

道後温泉駅.jpg 夜の道後温泉駅 

本当は翌日,松山城へ行くつもりでしたけど,あいにくの雨。しかたないので,朝早めに琴電とフェリーを乗り継いで呉に行くことにしました。

瀬戸内海フェリーに乗ります。船中2時間ほどあるので,食事をしようかと松山駅の駅弁をゲットしました。今回の旅の目的のひとつです。

鈴木弁当店(松山駅).jpg 鈴木弁当屋さんの売店

松山駅にはユニークな駅弁があり,ぜひ一度,食べてみたいと思っていました。ただ,割に早く売り切れてしまうみたいなので,早めに買っておきます。親切なおばさんにお願いして写真を撮らせていただきました。 

醤油ごはん.jpg 醤油ごはん1.jpg

       前から食べてみたかった松山駅の醤油めし

今どき珍しい掛け紙のついたおいしいお弁当でした。愚息にはおむすび弁当を買いましたが,とてもおいしかったと言ってました。う~ん,あとから思えばあな子寿司もよかったな~。今度,買ってみよ~。

少し歩いて大手町の駅から伊予鉄の郊外線に乗ります。それにしてもいつも思うんですが,どうして高浜駅からもう少し,港まで線路を伸ばしてくれなかったかと。連絡バスが出ていますけど,乗り換えはやはり面倒です。

松山観光港はとてもきれいで,待合所やお土産売り場もあり,お弁当も買えます。空港同様,みんなが待つ場所なので,とてもよいですね。また,空港みたいにゲートが伸びていますが,ドアで密閉されていて空調も効いているので寒い思いをしなくてよかったです。でも,さすがに船に乗るときは寒いですけどね.....。

残念ながら今朝から冷たい雨が降っているし,航路は最初のうちはとても静かでしたけど,途中は結構揺れて,客船の窓にも波しぶきがかかる有様で,愚息はグロッキー。オヤジは全然平気でしたけど,さすがにトイレに行こうとしたら満足に廊下も歩けないし,トイレも何かにつかまっていないと用を足せないくらいで,意外に荒れていました。

iruchanはフェリーが結構好きで,海を見ながらのんびりと昼寝もできるし,実際,絨毯敷きの部屋もあったりしてフェリーはいいですよね。子供に体験させたかったのですが,船酔いでまいったようです。 

と言う次第で,今日は予定変更。大和ミュージアムを今日,見学します。港のターミナルすぐだし,見学も便利です。ターミナルは2Fに無料の休憩所もあり,机もあるので,皆さんお弁当でお昼でした。

松山~呉・広島航路.jpg 

  瀬戸内海フェリーの広島~松山航路。2Fには売店と座席,絨毯敷きの部屋があります。

残念ながらフェリーの中には食堂がありません。食事時なら弁当を持参した方がよいです。

さて,呉港に着いたらターミナルビルのすぐ隣にある,大和ミュージアムへ。エントランスにある1/10の巨大な戦艦・大和の模型に驚かされます。映画のセットに使われたのを譲り受けたのはよく知られていますが,それにしても巨大で,かつ精巧にできています。

戦艦大和.jpg 巨大な戦艦大和

やはり大きすぎて普通のカメラじゃ収まりません。しかたないのでスマホで撮りました。 

翔鶴.jpg 空母 "翔鶴"

iruchanは空母が好きで,中学時代,よく空母のプラモを作りました。お気に入りは翔鶴でした......。 

中は数々の戦争に関する資料が展示されていて,iruchanは映像がとてもよかったと思います。特に,呉周辺の映像などはTVでは見ることがないですし,とても貴重でした。 多くの子供たちが来ていましたが,明治から太平洋戦争終戦までの貴重な記録や資料はいい勉強になると思います。

翌日は朝早くホテルを出て,8:35発の江田島小用(こよう)港行きに乗ります。今日は一転,快晴のよい天気です。20分で小用港に着きます。そこからバスで5分の術科学校で降ります。今日は土曜なので,見学開始は10:00です(平日は10:30)。 

旧海軍兵学校1.jpg 旧海軍兵学校生徒館

1888年に東京・築地にあった兵学校を移設したものです。ちなみに今話題? の築地市場はその跡地に建っています。レンガ造りの生徒館は1893年に建てられたものです。江田島の1期生には軍神・広瀬中佐がいます(海軍兵学校としては15期)。ちなみに秋山真之は海兵17期です。現在は海上自衛隊・第1術科学校となっています。バス停も術科学校です。 

大和砲弾.jpg 巨大な大和の砲弾

膨大な資料を保管した教育参考館(中は撮影禁止)の脇に巨大な砲弾が展示されています。手前は三景艦用と書いてありましたから,松島型防護艦用で,口径32cm砲です。これで独クルップ製の30.5cm砲を搭載した清国艦隊の定遠,鎮遠を圧倒したわけですね。 

奥はもちろん,戦艦大和の46cm砲。射程は42kmです。さすがに目視で弾着を確認できませんから,艦に搭載した零式水上観測機と呼ばれた水上機で確認します。

なんか,正直言ってすこし間の抜けた話,という気がします。当然,敵艦や敵戦闘機はその水上機を標的にしますし,こちらはいくら零戦の仲間と言ってもフロートがついて邪魔なので速力が大きく劣りますしね。無線で連絡すると言っても日本の無線はAM(振幅変調)なのでノイズが大きく,うまく艦に連絡できたのでしょうか。

残念ながら,大和はこの巨大な砲弾を敵艦に発射することはありませんでした。一発でもお見舞いしてやればひと泡吹かせてやれたのに,という気がします。

奥の潜水艦は特殊潜航艇 甲標的です。目的を秘匿するため,わざとこんな名前にしてあるようです。魚雷2本を搭載し,本来は特攻兵器ではないのですが,速力が劣るため,実際には決死の攻撃兵器です。本来は偵察,通商破壊用の潜水艦を通常の水上艦艇と同じ,攻撃兵器として用いたのが日本海軍の特徴ですが,大型の潜水艦も速力が遅く,魚雷を放ったら海底近くで隠れているしかない,と言う作戦では敵に見つかりやすく,潜水艦乗員の損失は激しいものがありました。

教育参考館の中は日本海軍の歴史的資料を保存していますが,特攻隊の隊員の皆さんの遺書も多数展示されています。漢字仮名交じり文でとても子供には読めませんが,愚息は熱心に見ていました。両親について感謝の気持ちを書いたものが多い中に,"遺言ナシ" と書いたものがあり,愚息にも読めたらしいのですが,強く印象に残ったのか,しきりに話をしていました。本当は書きたいことがたくさんあったのに,何も書かず,死に臨んだ隊員のお気持ちを考えると涙なしには読めません。

特攻隊員の殉職年齢は平均,19.2歳だそうです。当日,高校生が研修のためか来館しておられましたけど,17歳とのこと。"皆さん,あと2年で死ななきゃならんのですよ" とのガイドの方の言葉に神妙にしてました。我々は多くの人命の犠牲のあとに生まれていることを忘れてはなりません。

見学は1時間半ほどで終わります。あっという間でした。校内はさすがにかつて世界の3大兵学校(あとは英ダートマス,米アナポリス)のひとつと呼ばれただけあって,とても広いです。

iruchanは反体制派? で,会社じゃ冷や飯食ってますけど.......(^^;),海軍の井上成美をとても尊敬しているので一度,兵学校へ行ってみたいと思っていました。最後の海軍大将として有名ですね。

井上は海軍三羽烏の1人で,戦前,三国同盟や対米英開戦に強硬に反対しました。米内光政や山本五十六と同様,海外経験があり,英米の底力をよく知っていて,必敗だと考えていました。結局,主戦派が勝ち,海軍次官の山本は連合艦隊司令長官,井上も第四艦隊司令長官に異動させられます。正しいことを言う人は邪魔なやつとして,中央から外して現場に飛ばしてしまえ,と言うわけですね。陸軍でもたとえば,硫黄島守備隊の栗林中将もワシントンに駐在した知米派と言うことから最前線に異動させられています。自分たちにとって不都合なことには目をつむり,正論を言う人を排除する,日本の社会は今も昔も同じ,という気がしますね。また,よく,陸軍=悪者,海軍=いい子というイメージで語られますし,事実,A級戦犯で処刑されたのは陸軍関係者ですが,実際,石油が半年しか持たないからと開戦を急がせたのは海軍です。

その後,井上は海軍兵学校長に転じますが,日本の敗戦を見越し,優秀な生徒たちが戦後日本の復興に役立つはずと考え,英語教育に力を入れたのはよく知られています。戦前,海軍兵学校と言えばエリート中のエリート養成校でしたからね。実際,多くの海兵卒の人が戦後の日本を支えました。iruchanの周辺にも戦時中最後の海兵卒,という先生などがいらっしゃいました。

井上成美は戦後,多くの生徒を失ったことや開戦の責任を感じているかのごとく,横須賀の山中に逼塞して暮らしていました。iruchanは尊敬している人物が関与したところへ訪問できてよかったと思います。

江田島桜.jpg 桜はまだつぼみでした。 

帰る前にちょうど昼時なので江田島クラブで食事をして帰ります。昔なら水交社ですね......(^^)。もちろん,カレーを食べて帰ります。 

カツカレー.jpg やっぱ,カツカレーですね!!

少し甘め(海軍のカレーは実は甘かったらしいです)でかなりのボリュームですが,カツも熱々で,とてもおいしかったです。カレー大好きな愚息はぺろりと平らげました。

帰りはさすがにバスがない時間(12時台はありません)なのでタクシーで小用港へ行きました。

呉からは広島空港までバスが出ています。

残念ながら,Googleのルート検索でもYahoo!路線情報でも呉~広島空港間のバスは検索しても出てきません。さすがに呉は大きな街だし,連絡バスがあるはず,と思ったんですけどね。結局,ホテルのフロントにパンフレットがあり,それで時刻がわかりました。案外,Googleも頼りになりません。こちらに時刻が出ています。


冬のタウシュベツ&襟裳岬ツアー [紀行]

2017年3月4日の日記

寒いところ大好きなゐるちやんはまたまた性懲りもなくかやうなところへ行つてをりました。

襟裳岬.jpg すげ~~っ!!

襟裳岬へ一度,行ってみたいと思っておりました。ただ,実を言うと,どんなところか,全く知りませんでした。道内でも全国的な知名度では一,二を争うくらい有名だと思いますけど,有名な割にTVで見たりすることはないのではないでしょうか。こんな素晴らしい絶景を見られるとは思いもしませんでした。岩肌に雪が積もってとてもきれいでした。天気も快晴だったし,風が強くてとても寒かったけど,本当に行ってよかったです。

そして,今回,ぜひ,リベンジしたいと思っていたところがあります。

タウシュベツ1.jpg 本当に美しいですね

昨年8月に一度,来ているのですが,夏は糠平湖はほぼ満水で,文字通り,港内で触雷して着底,という状況でした。

冬だと渇水期でほぼ全景を表しますし,凍った湖面に美しい姿が映え,とても美しいので,今度は冬に来てみたいと思っていました。

と言う次第で,今回,冬にタウシュベツ川橋梁と襟裳岬を訪ねることにしました。ついでに今度のダイヤ改正で廃止になる,千歳線・美々駅と根室本線・稲士別駅を訪ねてみたいと思います。

出発は2月24日(金)と決めました。

ところが.......。

前日の午前4時頃,室蘭本線・洞爺~有珠間を走行中の隅田川発札幌タ行きの3055レの機関車が脱線し,室蘭本線が不通となってしまいました。

朝,ネットでニュースを見て仰天。

機関車は赤スカの8号。おまけに重連で,"おっ,先頭赤スカで重連じゃん" なんて思っちゃいましたけど.....。ちなみに次位の機関車は回送だったようです。

まあ,画像を見ると複線区間だし,機関車の1台車が脱線していますが,それほど線路が傷んでいるように見えませんし,複線だったら最悪,単線で開通するかも,と思いました。実際,JR北海道のホームページを見ても,最初は14時頃開通予定,と出ていました。これなら何とかなるかもしれません。

ところが,じきにその表示は訂正され, "再開の見込みはたっておりません" となりました。NHKもそのようにニュースで伝えています。おそらく,事故も続いているし,国交省の調査が入るのでしょう......orz。

それに,複線区間に見えたのは北入江信号場で,先頭の機関車が分岐器を超えたところで脱線したようで,後続の貨車が本線を支障しているので,単線運転もできるわけがありません。そもそも,札幌~函館間のいわゆる海線の区間はほとんど単線区間がないのに,ごくわずかに残った単線区間で脱線しています.....。 

いままで,実を言うとiruchanが行くところ,必ず事故が起こる,というのがジンクスになっていて,家族からも恐れられています。

最近では,一昨年,旧白滝へ行ったときには翌日,旭川に近いトンネルが漏水による火災で函館本線が不通となっているし,瀬野八へ行った後も大雨で崖崩れが起き,通りがかった普通電車が脱線して山陽本線が不通になっています。どちらも帰りに通ったところなんですけど.....。

さすがに今回は行く前だったので焦りました。この分では,明日も不通となるのは間違いなさそうです。 

残念ながら,今回,室蘭本線の東室蘭~室蘭間が未乗だったので,函館空港へ飛んで,そこからスーパー北斗7号→室蘭→スーパー北斗9号と乗り継いで,この区間を乗りつぶす予定でしたが,あきらめました。

とりあえず,飛行機を探しますが,函館~札幌間は全滅。しかたないので,早割で買っていた函館便をあきらめて速攻で新千歳の便を予約しました。当日中に決済すればよいので,ギリギリまで待ちましたが,夜8時になってJR北海道のwebに明日の運休が出て,飛行機で新千歳へ直行するしかなくなりました。

と言うわけで,予定よりずっと早く,新千歳に着いちゃいました。

早すぎるんですけど,まずは美々駅へ。ここで1時間ほど撮影しました。残念ながら,室蘭本線が不通なので,貨物は来ないし,特急も走っていません。

南千歳駅名標.jpg この駅名標も修正ですね.....。 

新千歳空港から快速エアポートで一駅,地上に出たら南千歳駅で乗り換えます。ここも一駅で美々に着きます。

美々駅4.jpg 

     美々駅。kitacaの読み取り機があります。

まだ札幌都市圏だし,すぐ西側は新千歳空港の滑走路があるし,頻繁に上空を飛行機が飛んで,割りに賑やかなところなんですが,駅前にはなにもなく,人家もありません。まあ,飛行場のすぐ近くだから高い建物は建てられないし,農場ばかりなので人もそれほど住んでない,と言うのもわかりますが,通勤電車が走るようなところで駅が廃止になる,というのはちょっと驚きです。

だから,いくら廃止になるといっても,電子カード式乗車券が使えるし,周囲も人家が少ないと言うだけで,”秘境駅” なんてわけはなく,このカテゴリーに入れちゃって紹介している人がいるのは変な気がするんですけどね.....。でも,廃止になっちゃうくらいなんで,やはり秘境駅なんでしょうか。

美々駅2.jpg  後ろは航空用のレーダー?

美々駅1.jpg 下り本線と中線です。

ここは撮影地としても知られていて,"北斗星" 廃止の頃はすごかったでしょう。上り列車をきれいに撮れる場所のようです。 

美々駅3.jpg 時刻表

秘境駅というなら1日に2,3本しか停まらない駅,と思いますけど,ほぼ1時間に1本の割合で列車が来ます。 ただ,下手すると普通列車も通過するので,ちゃんと時間を調べておかないと鉄ができません。

やはり待っていても貨物列車や特急は来ませんので,改札機でまたピッとやって南千歳に戻りました。

ここからはスーパーおおぞら5号で帯広へ向かいます。 

お昼は本当はスーパー北斗9号の車内で長万部のかにめしを食べる予定で,JR北海道の客室乗務員事務所に電話して予約しておいたのですが,これもキャンセルとなっちゃいました。久しぶりに長万部のかにめしが食べられると思ったのに......。

ほっきめし.jpg 南千歳駅のほっきめし

でも,南千歳の駅ホームの売店でおいしそうな駅弁をゲットしてスーパーおおぞら車内で食べました。ほっきめしって初めて食べましたけど,おいしいですね~(^^)。いつも,回転寿司の店でホッキ貝サラダを食べてるんですけど,ホッキ貝の炊き込みご飯なんてあるのは知りませんでした。また買お~っと!! 

さて,石勝線内はやはり大雪。1時間以上かかるトマムまでは大雪で,外は吹雪いていました。

しかし,山を下りてくると快晴。やはり十勝地方は冬はよく晴れているようです。

帯広の駅レンさんで車を借りて大成駅へ。ほんとうはこの駅と芽室駅の間のカーブで撮りたかったんですけど,除雪してなくて車を停められそうにないし,うっかりスタックすると大変なので駅撮りです。 

2552D('17.2.24 大成).jpg 後ろはキハ40 777。

2両目は旧首都圏色の777号。前後が逆だったらよかったのに.....。

さすがにもう5時近いし,これから山道を走るので早めに糠平へ向かいました。それほど雪は積もっていないとは言っても,所々強風で雪が道路に流れ込み,それが凍ってアイスバーンになっていますから,慎重に車を運転します。大成駅から糠平までは70kmほどで,1時間半ほどでした。 

今夜のお宿は糠平温泉郷のペンション森のふくろうさん。とても親切な奥さんが迎えてくださいました。部屋もとてもきれいで,食事も豆乳鍋や蠣の炊き込みご飯がとても美味でした。 

翌朝は9時集合で,タウシュベツへ行きます。昨年夏同様,ひがし大雪ガイドセンターのツアーに参加します。冬なので凍った湖面をかんじき履いて渡っていきますが,滑るのはもちろんのこと,春近くなると氷が割れたりしますし,陸地も温泉地帯なのでメタンガスが噴出して空洞になっている場合があるらしく,うっかりすると胸までズボッとはまってしまうことがあるので,単独行動は危険です。かんじきを無料で借りられますし,ツアーに参加する方が安全です。 

往復5kmの道のりをかんじき履いて凍った湖面を歩きます。こんなこと経験したことないので,素晴らしい経験でした。

国道からしばらく林の中を歩くと湖岸に出ます。はるか遠くにタウシュベツ橋梁が見えてきます。

タウシュベツ2s.jpg タウシュベツ橋梁を望む

キタキツネ.jpg キタキツネも出てきました。

なぜかキタキツネが1匹,我々の前に現れ,そのまま橋をくぐって湖面の方へ歩いて行きました。人間をちっとも恐れている感じじゃなかったです。

それにしても近くで見るとタウシュベツ橋梁は傷みがひどく,アーチも所々崩れかかっています。いつまでこの姿が拝めるかわかりませんが,美しい滅び行く橋を間近に見られてよかったです。

タウシュベツ4.jpg 

どういうわけか,なぜか廃墟に惹かれます.......。

さて,昼過ぎにツアーを終わって帯広へ。レンタカーの返却期限が4時半なので,早めに帰ります。

西帯広~大成間の直線区間へ。 貨物列車も撮影できました。

2070レ('17.2.25  西帯広~大成).jpg 2070レ 

Sおおぞら7号(大成~西帯広 '17.2.25).jpg スーパーおおぞら5号 

さて,本当は日中にレンタカーで稲士別駅へ行きたかったのですが,時刻表を見ると帯広発17:55の列車で行くと15分ほどで折り返し帰ってくることができます。すでに日は没していますけど,列車で行くことができるなら,そっちの方がよいと思いました。 

残念ながら,近くでは上厚内駅も廃止になりますが,池田の向こうの山の中の駅のため,あきらめました。ちょっと残念に思っています。 

函館~稲士別切符.jpg 目的地までの切符です

もちろん,脱線事故のため,払い戻しになっちゃいました。カード決済なので新千歳の駅で払い戻しを申し出たら親切な駅員さんが不使用証明をしてくださり,購入元のJRで払い戻ししました。 

稲士別駅.jpg 稲士別駅

稲士別駅は駅舎もなく,今回,同時に廃止になる函館本線の東山駅同様,単線の軌道にホームが1面あるだけの駅です。 

稲士別駅1.jpg 帯広駅方向を望む

今日の泊まりは帯広駅のプレミアホテルCABINさん。とてもきれいなレストランと露天風呂もついた温泉の大浴場がよかったです。  

翌朝は7:15発の十勝バス広尾行きに乗ります。さすがに広尾まで乗り通したのはiruchan1人でした.....。 

広尾駅.jpg 広尾駅に着きました。

広尾駅到着時刻.jpg 今も時刻の記載があります。

広尾駅は十勝バスの営業所として活用され,今も中は暖房の効いた待合室がありますし,広尾線の資料室も設けられていて,見学することができます。駅ホームも残っていて,信号設備も転換てこなどが残っています。ただ,レールは埋め立てられ,駐車場となっています。 

30年前,学生だったiruchanは日高本線との組み合わせで広尾線を乗りつぶそう,と思っていましたが,試験があって廃止までに行くことができませんでした。廃止は1987年2月2日のことですが,理科系の学生は3月まで試験がありましたからね......。

結局,日高本線も含めて,バスで乗りつぶし,と言うことになりました。 

広尾駅で休憩した後,10:00発のJR北海道バス日勝線に乗ります。襟裳岬までは1時間です。 結局,この間,ずっとiruchan1人でした......。

それにしても広尾駅って意外に海のすぐそばなんですね。時刻表の地図だと結構,内陸,という感じだったのですが,駅前を出てすぐに国道に出るともう海の横を走っていました。 

襟裳岬バス停.jpg 襟裳岬バス停

北海道でよく見かける休憩室つきのバス停です。もちろん,暖房などはないのですが,扉を閉めると結構暖かいです。

ここから襟裳岬を見学します。次のバスまで2時間半あります。平日だと次のバスは40分ほど早いのですが,今日は日曜なので休日ダイヤです。でもあっという間でした。 

襟裳岬1.jpg ごつごつした岩肌

ゼニガタアザラシの北海道有数の営巣地らしいですが,普段は一番▲の写真の岩が飛び飛びで海に並んでいるところにいるくらいらしく,この岩肌の海岸まで来ることは滅多にないそうです。

それにしても寒い!!! やはり風が強く,あとでアメダス見たらこの時間,気温は-1.8℃ですが,風は9.4m/sも吹いていたようです。

さて,先ほどのバス停でまたバスに乗って様似へ。襟裳岬のバス停から乗ったのはまたiruchan1人でしたが,途中で何人か乗降がありました。

様似駅.jpg 様似駅

     本当は列車で来たかったのですけどね......。 

様似駅駅名標.jpg

様似駅入場券.jpg様似駅入場券

観光記念入場券がありました。通常の硬券もセットで売られていて,いいお土産になりました。

様似~美々切符.jpg様似~美々切符

様似駅から各駅の切符が買えます。新千歳までの運賃も表示されていたので,窓口の女性に聞いてみると,美々までも売れます,と言うことで切符を買いました。驚いたことに手書きの補充券。どうも大変ありがとうございました。 

日高本線はiruchanは未乗でした。広尾線と一緒に乗りつぶそうと思っていたら広尾線が廃止になっちゃいましたし,折り返して帰ってくるのは大変だし,ということでなかなか乗りに行くことができませんでした。

そうかと思っていたら2年前の1月に厚賀~大狩部間で線路が高波で流失し,以後,鵡川以遠はバス代行となってしまいました。いまだに復旧のめどは立たず,それどころか,廃止という話も聞こえてくるので代行バスで乗りつぶしをすることにしました。

静内駅.jpg 静内駅

様似から15:50発の静内行き代行バスに乗ります。このまま,静内から乗り継げば苫小牧で泊まれますが,苫小牧は工業都市だし,途中の静内で泊まりました。結果は大正解。駅から少し歩いてエクリプスホテルに泊まりましたが,レストランがすごくよかったです。夜景がとてもきれいでしたし,朝は太平洋が望めて最高でした。夜はホエー豚のしゃぶしゃぶ,朝食のバイキングはシシャモやベーコンをその場であぶったものがいただけましたし,昼用に,と手作りの昆布と梅のおにぎりがいただけてとてもよかったです。 

静内駅構内.jpg 静内駅構内

入場券を買うと駅の中に入れます。広々とした構内がいいですね。札幌から直通のグルメ列車とか,観光列車を走らせれば結構,乗るのではないかと思いますけど。 今度,JR東日本の四季島が走り始めますけど,北海道にも来るようなので,接続して観光列車でも走らせられれば,と思いました。

静内駅にしやそば.jpg 構内のそば屋さん

静内駅そば.jpg わかめそば。ウマ~!!

残念ながら,もう列車は来ていないのですが,道南バスなどの交通の結節点になっているし,旅行会社の営業所もあったりして,意外に駅に人がいます。

驚いたのは駅そば屋さんがあること。

駅のそばが大好きなiruchanは事前に知っていたのでホテルの朝食を軽く摂ってここでわかめそばを食べてまた代行バスに乗りました。出汁の利いたおそばがとてもうまかったです。それに北海道は何でも量が少し多めなのもいいですが,このおそばも結構量が多くてよかったです。朝だというのに入れ替わり立ち替わりお客さんがきてそばを食べているのもなかなかよいと思いました。最近は,朝,営業してない駅そば屋さんも多いんですよね.....。

さて,最終日は静内発9:07のバスで鵡川へ。ようやく気動車に乗ることができます。

途中の厚賀から,窓の横から線路を眺めてみますが,それほどひどい被害のようには思えませんでした。実際,よく,新聞で見る,厚賀~大狩部間の線路流出部分はこれくらいなら復旧できるんじゃないの,と思えるくらいです。

ところが.......。

実際には被害状況はもっとひどく,盛土が流失している箇所はさらに長いようです。豊郷から北にもかなり長距離に渡って線路がないところがあったので,どうも変だと思ってネットで調べてみると,こちらの方は去年の台風被害のようです。復旧には双方あわせて60億円近い金額が必要なようですし,恒久対策をするとなるともっとかかるわけです。

路盤流失箇所.jpg 被災箇所(清畠付近)

線路が完全に中に浮いちゃってます。ほかのところは完全に線路ごと流されて完全な砂浜に戻ってしまっているところもありました。 

復旧には多額の費用がかかることからJR北海道は昨年,12月に社長が廃止を表明し,以後,地元との協議が続いています。この前日にも社長と地元自治体の町長と話し合いがもたれたようです。

いろいろ報道を見ると鵡川~様似間の廃止が提案されていますが,比較的被害の軽い,日高門別までの再開を望む声も上がっていますし,確かに門別町は大きな病院もあったりしてここまで再開できれば利便性は高いと思います。

いずれにしろ,様似駅まで列車が復活することはよほどのことがない限り,なさそうな風向きになってしまっています。

もともと,鉄道というのはJRで言えば,新幹線とか,山手線とかそういう黒字のところの儲けで赤字のローカル線を維持する,と言う構造的な問題がどの鉄道会社でもあるわけですから,そういう意味で国鉄の分割民営化が正しかったのか,というのは感じます。北海道だけで自立できるわけがない,と思うのですが....。

やはり,北海道の鉄道維持に向けては過疎化が進む中,地元が負担するのも限度があるでしょうし,国費の投入,すなわち鉄道設備の維持は国が行い,列車の運営だけ民間が行う,上下分離が必要だと思います。道路や空港は税金で維持しているのに,鉄道だけ民間が自前でやっている,というのは矛盾を感じます。

それに,今後,どんどん日本は人口が減り,鉄道の廃止は北海道だけの問題ではなく,日本全体の問題になっていきます。北海道は過疎化のため,顕在化が少し早いだけです。早急に,赤字ローカル線をどう維持するか,あらたな政策の検討が望まれます。  

鵡川からようやく日高本線のディーゼルカーに乗ることができました。

日高本線(鵡川).jpg 鵡川

鵡川駅にはたくさんのお客さんがこの列車を待っていました。代行バスは途中,何人か乗降がありましたけど,最高でも4人ほどでしたからガラガラでしたけど....。

やはり鉄道というものが大切だ,と言うことがよくわかります。鉄道を廃止して,路線バスに転換すると急激に利用者が減る,というのはよく見られる現象です。 おまけに,路線バスはずいぶん前から届出制になってしまい,廃止するにも届出1本で済んじゃうことになり,ずいぶんと廃止のハードルが低くなっています。鉄道の廃止によって公共交通機関の喪失につながるのは事実なので,iruchanは鉄道の廃止には反対です。早急に日高本線の復旧を望みます。 

さて,鵡川から予定どおり,11:28に苫小牧に到着しました。

またまたところが.....。

どうにも様子がおかしい。ホームに上り北斗8号が停まったままになっています。これは苫小牧発10:18なので1時間以上,停まっていることになります。

どうやらこの先,糸井駅で人身事故があったらしく,室蘭本線が運転見合わせになっているようです。駅の放送も,札幌方面は代行交通機関をご利用ください,と放送しています。あちゃ~~。

なんとか,苫小牧で折り返す普通列車は動いているようなので新千歳へ行くことができるようです。 そういえば,JR北海道は経営立て直しのため,札幌都市圏の普通列車も見直しとなり,以前は小樽~室蘭間で運転されていた普通列車は2013年のダイヤ改正からすべて苫小牧折り返しとなり,苫小牧~室蘭間は気動車による運転となっています。このため,なんとか新千歳へ行けそうです。

余談ですけど,そういえば,スーパーカムイの新千歳乗り入れもとうに取りやめになっていますね。だったら,最初からもっと編成を少なくできたはずだし,どうもJR北海道の施策はムダが多すぎる,という気がしますね。 

ついでに,新千歳空港まで線路を延ばしたのはいいけど,単線でホームも1面2線というのはどうかと思います。快速エアポートが着くとすぐに反対列車が出て行くので危ない,と言うのもありますけど,それほど線路に余裕がないんですね。それに地下というのもどうかと。これじゃディーゼルは入れませんからね。観光客向けに新千歳~ニセコなんて観光列車を走らせれば儲かると思うんですけど,新千歳空港駅には入れませんね。それに,そもそも地下だからエスカレータを使わないと発着ロビーにも行けませんしね。その点,中部空港はホームからロビーまでエスカレータや階段はなしですから素晴らしいです。もっとも,これが最近の国際空港のデフォルトなんですけどね。新しい香港国際空港もこうです。こういう風に考えて造っておけば,ホームも地上だし,ディーゼルも入れたのに,と思います。 ついでに,線路を美々くらいまで伸ばして千歳線に接続し,スーパー北斗が新千歳空港駅に寄ってもよかったんじゃないかと思います。ついでに,石勝線も新千歳空港へ伸ばして,南千歳~新千歳~追分で三角線を構成し,スーパーとかちなんかも乗り入れできるんじゃないでしょうか。

ちょっと脱線しちゃいました(本当にマジでつい昨日まで脱線してたんですけどね......)。 

12:00頃には運転再開となりましたが,特急すずらんやスーパー北斗などが数珠つなぎになっていて,どんどん,走って行きます。 

DF200(美々).jpg 

  DF200牽引貨物列車。残念ながら事故のため,何列車かわかりません(美々にて)

再び美々へ。切符は美々までですので。

ここで1時間ほど待っている間に多少,写真が撮れました。3日前は何も通過しませんでしたので.....。 

美々駅でまたピッとやって,電車に乗り,新千歳空港にはなんとか間に合いました。無事に飛行機に乗って帰途につきました。

ホッキごはん.jpg 新千歳空港の空弁

南千歳駅のほっきめしが気に入っちゃったiruchanはまた新千歳空港の空弁でホッキごはんを買って機内で食べました。これもおいしかった。北海道限定のとうきび茶もいつも飲んでますけど,少しクセがあるけど,なかなか美味です。

弁当食っていると,親切なスッチーの おばさん お姉さんがおしぼりを持ってきてくれました。最近,よく新幹線みたいに機内で弁当食べてます.......(^^;)。

無事に帰りの飛行場に着きました。

最後まで,ところが.....。

なんと,自宅に帰ってみたら,「おとーさん,よく帰ってきたね~。」と娘が言います。なんと,今,乗ってきたばかりの鉄道路線が人身事故で全線運転見合わせになっているとのこと。

あとで調べてみたら方向は逆でしたけど,さっき通過したばかりのすぐ近くの駅で,私が乗っていた電車が通過した20分ほど後に飛び込みがあったようです。

本当に最後まで,いろいろと大変な旅でした.......。 

 

2017年3月19日追記

庭の畑にじゃがいもを植えました。

今回,十勝地方を旅行したので,"十勝こがね" という品種を植えました。昨年の台風でじゃがいもを始め,農作物には多大な被害が出ています。この種芋は北海道産と書いてありました。少しでも応援になれば,と思いました。収穫が楽しみです。

十勝こがね.jpg 十勝こがねを植えました。

植えつけ状態.jpg うまく育つといいな~~。 

畝を作って,間に溝を掘り,20~30cm間隔で種芋を植えました。間に化成肥料を少し撒きました。 

 

2017年5月23日追記 

もうこんなに大きくなって花も咲きました。十勝の皆さん,どうもありがとうございました。

十勝こがね'17.5.23.jpg  白くて可憐な花が咲きました[晴れ]

 

2017年6月2日追記

今日の朝日新聞に "幻の橋、本当の幻に?タウシュベツ川橋梁" という記事が出ていました。

写真を見てびっくり。大きく,側面が崩壊し,路盤の砂利が見えています。私が行ったときはまだこんなにはなっていませんでした。確かに,右側の崩落は私が行ったときもこうでしたけど,中央部分はこうはなっていませんでした。

記事を見るとどうやら今年限りで見納め,という状況です。とても残念です。見に行きたい,と言う方は早めに行かれることをおすすめします。 

 

2018年9月6日追記

今朝,いつもの通りラジオを目覚ましにして起きているのですが, いきなりニュースをやっていて,北海道で大きな地震が起こったとのこと。大変びっくりしました。

今回,泊まった静内町や新ひだか町,むかわ町などでも亡くなった方がおられますし,震源となった厚真町では大規模な土砂崩れが起き,多数の方が行方不明になっておられます。

また,停電した,北電の苫東厚真発電所も日高線の車窓から見えるので,よく覚えています。ここが北海道の電力の過半を担っていたとは知りませんでした。大量の石炭の山が見えて,CO2をたくさん排出してんだなと思って見ていたのを記憶しています。 

一刻も早く救助されることをお祈りしますとともに,被害に遭われた皆様に心からお見舞い申し上げます。 


タウシュベツ川橋梁へ...... [紀行]

2016年8月5日の日記

iruchanは先週もまた,かやうなところに行つてをりました。

十勝三股駅名標.jpg 十勝三股駅名標

29年前,iruchanは廃止直前の北海道・士幌線に乗りに行きました。当時,北海道は民営化を目前にして,赤字ローカル線の廃止が相次いでいました。

帯広と十勝三股を結ぶ全長78.3kmの士幌線は,すでに末端の糠平以遠が1978年からバス転換されていましたが,1987年3月23日をもって全線廃止となりました。 

今回,その廃線跡を見に行くことにしました。途中,北海道遺産にも指定されて有名になったタウシュベツ川橋梁を通ります。美しいアーチ型のコンクリートの橋が湖面に映える姿は一度,ご覧になったことがあるでしょう。

糠平駅入場券.jpg 糠平駅入場券

   実家に帰ったら出てきました。廃止2週間前ですね...... 。

とはいえ,夏はダムの水位が上がり,ほとんど水没した状態となってしまいます。運がよいと7月でもアーチの姿を望めるらしいですが,今年はこんな状況でした。

ほとんど,触雷して沈没,着座,という状況なのですが........。 

タウシュベツ川橋梁1.jpg 

   ネッシーじゃありませんってば........(^^;)。

橋は10‰の勾配となっているようで,このように水没すると三股側のみ姿を現しています。 

士幌線はもとは十勝と石狩を結ぶ目的で敷設され,本来の終点は石北本線の上川でした。帯広の連隊を有事の際に旭川方面へ動員する計画があったようです。現在の国道273号線に沿ったルートですが,峻険な三国峠を越える273号線自体,現在は舗装された2車線のよい道ですが,道路が改良されて通年通行可能となったのは1993年のことです。そんな具合ですから,鉄道で三国峠を越えるのはやはり無理だったでしょう。

もっとも,よく誤解されるのですが,この橋が廃止になったのはバス転換の1978年のことではなく,ダムにより水没するため新線に切り替えられた1955年のことです。この橋自体は水没するため切り替えられた旧線上にあります。糠平駅自体も西に移設され,従来は近くの温泉郷から遠かったのですが,新線切り替えのため,近くなった,と喜ばれたそうです。

士幌線.jpg 士幌線のアーチ橋群地図

   ひがし大雪自然ガイドセンターのアーチ橋ガイドマップより作成

有名となったタウシュベツ橋梁以外にもたくさんのアーチ橋が存在しています。戦前に敷設されているのですが,周辺で採取される砂利やコンクリートを使う,と言う目的以外にも景観に配慮してこのような橋梁となったようです。戦前にもこのような配慮がなされたことに少し安心します。

残念ながら資材不足を補うためなのか,タウシュベツ川橋梁はアーチ部分こそコンクリート構造ですが,その上は大きな溝のような構造となっていて,その溝にはたくさんの砂利が詰められ,側面のみコンクリートとなっています。側壁は鉄筋が入っていますが,冬期に中の溝にたまった水が凍結するため側壁が崩壊しやすく,一方,夏期は水没するので保存処置をすることは困難で, 橋そのものも消えていく運命にあります。

なにか廃墟というのは心惹かれるものがあり,一度,完全に消えてしまうまでに見に行きたいと思っていました。でも,いざ,行こうとなると大変です。

普通なら帯広からレンタカーなんでしょうけど,公共交通機関で行こうとすると大変です。iruchanは帰りに根室本線の未乗区間を乗りたいので,レンタカーはあきらめました。

一応,帯広から十勝バスが糠平まで運行しているのですが,あくまでも北海道のほかのローカル線同様,通学用に設定されたダイヤのため,日帰りで橋を見て帰ろう,などと考えることは無理です。

一方,旭川から帯広を結ぶ都市間バスもありますが,これも糠平で乗降区間の切り替わりがあり,旭川発のバスは糠平で乗車することはできませんし,逆に帯広からのバスは糠平で下車することはできません。

結局,旭川からのバスに乗って糠平へ行き,その日のうちに橋を見学して翌朝の十勝バスで帯広へ出る計画にしました。

道北バス.jpg 道北バス(層雲峡バス停にて) 

バスは旭川駅北側の藤田観光ワシントンホテルの前から発車します。駅前には何にも案内がないので焦りました。何のことはない,上川駅からも乗車できるので,上川からの方がよかったと思います。でも,バスの時刻表には"上川森のテラスバスタッチ" と表示されています。これって,上川駅ってなんで書けないの~って思いました。駅のすぐ隣に停車するんですけどね。上川駅から乗車できるとは思いもしませんでした。 

三国峠.jpg 三国峠

三国トンネルをくぐってずっと下っていくと突然,展望が開けます。三国峠を越えました。道東の大平原が望めます。昔,根室本線の狩勝峠が日本の3大車窓のひとつと言われていましたが,こんな感じだったのでしょう。これからバスはぐっと左に曲がってこの松見大橋の上を走って行きます。 

十勝バス糠平営業所.jpg 十勝バス糠平営業所

帯広行きのバスは糠平温泉の営業所に止まります。瀟洒な営業所が迎えてくれます。ここで降りたのは私1人だけでした......。 

さて,ここから少し歩いて糠平温泉文化ホールに集合です。ここでNPO法人ひがし大雪自然ガイドセンターのツアーに参加します。タウシュベツ川橋梁へ行く途中の林道が自然保護のため,許可制になっているので車で通ることはできません。まあ,営林署へ行って許可証をもらえば可能なのですが,▼に示す通り,ヒグマ出没地帯でもあり,個人で歩いて行くことは危険です。 

ヒグマ出没.jpg 林道入り口の看板。

← は数年前,この看板に腹を立てた? ヒグマがひっかいた跡だそうです。 そのほかにも周辺のフキ群生地は荒らした跡がたくさんあり,この周辺にはヒグマが多数棲んでいるようです。

それにしても北海道のフキは大きいですね~。うちの庭に生えているのはこれの1/10くらいの大きさです。 

林道.jpg 

 タウシュベツ川橋梁は湖の反対側です。国道から離れてこのゲートを開けて林道に入ります。

タウシュベツ廃線跡.jpg タウシュベツへ続く廃線跡です。

途中から林道から離れて廃線跡に入ります。最初はこのようにきれいな道ですが,最後の橋につながる部分はぬかるみで流木が散乱しているため,長靴が必須です。 

十勝三股.jpg 十勝三股の平野

橋を見学したあと,十勝三股へ案内していただきました。かつては戸数1,500を数え,小学校や神社,郵便局もあって林業で栄えた十勝三股も外材の普及で寂れ,現在は民家が2戸あるだけの寂しいところとなってしまいました。 

驚いたことにこれだけの山の中なのに十勝三股はかなりの平野が広がっています。最近の研究で,カルデラだったことがわかっています。 

十勝三股車両修理工場.jpg 林鉄の車両修理工場

かつては十勝三股駅の駅舎が廃屋となって残っていたそうですが,最近,撤去されたそうです。ここから伸びていた森林鉄道の修理工場の建屋が修理されることもなく保存されています。 

十勝三股駅跡.jpg 十勝三股駅跡

    ここから川を下って糠平に戻っていきます。 

第5音更川橋梁.jpg  第5音更川橋梁

幌加.jpg この駅名標はレプリカです。

途中,幌加駅跡に立ち寄ります。ここは線路が残り,交換用のポイントが上下線とも残っています。ホーム上に鉄道電話のボックスが寂しく建っていました。 

幌加駅跡.jpg きれいに除草されています。

う~ん,なんかしみじみ......。今にも列車が走ってきそう......。ホームの左側には貨車の引き込み線跡が残っていました。 

第3音更川橋梁.jpg 第3音更川橋梁

糠平から帯広寄りにもいくつか美しいアーチ橋が残っています。特に第3音更川橋梁は川面に橋が映え,とても美しい光景です。 

第2音更川橋梁.jpg 第2音更川橋梁

旧線上にある鉄橋です。分岐点はこの写真の左手で,新線はこのずっと山の上を走っています。 

第2音更川橋梁は旧線の上にある橋梁で,この欠落した部分はプレートガーダー橋となっていました。全線廃止後に撤去されたそうです。 ところが,その工事の際にその橋桁が落下し,2人の方が亡くなっているそうです。ほかにも,新線工事中の落盤事故で9名の方が亡くなったり,急勾配で貨車が暴走する事故が相次いでいます。 

今日の泊まりは糠平温泉。透明な温泉につかって山野草の天ぷらのご飯を食べて寝ました。

翌朝は糠平周辺を散策します。 

トロッコ線路.jpg トロッコ線路

もとの糠平駅には上士幌町鉄道資料館が建っています。残念ながら新設のもので,もとの駅舎を利用したものではありません。中はタブレット閉塞機や保線用具などが展示され,なかなか見応えがあります。帯広~糠平間の前面展望映像が見応えがありました。駅舎の裏からトロッコが運転できる線路が敷設されています。

上士幌鉄道資料館.jpg  上士幌町鉄道資料館

廃線跡.jpg 廃線跡です。

さっきの線路は新たに敷き直したもので,そのほかの廃線跡はこのように砂利が残るだけです。一部,遊歩道になっていますので,きれいな空気を吸いながら散策もよいですね。 

本当に楽しめました。29年ぶりに一度,行ったところを訪ねてみて,とてもなつかしかったです。

さて,帰りは糠平温泉から帯広へ十勝バスで出て,帯広から根室本線の新得~滝川間が未乗のため,普通列車に乗りました。かつては帯広から広尾線も出ていたのですが,こちらは乗らないまま廃止になってしまいました。乗っていたら相当自慢できたのに.....と残念に思っています。

御影駅.jpg 御影駅にて

2434Dをスーパーとかち8号が抜いていきました。御影駅なんていうと,どうしてもiruchanは阪神の御影駅を思い出しちゃうんですけどね......(^^;)。

それにキハ261系は例の石勝線事故など一連の事故以来,車体傾斜機構は使わなくなっていて,tilt261の表示は誤りなんですが.....。 

次の平野川信号場でスーパーとかち5号と交換しますが,これが遅れていて,ずいぶん待たされました。 

hiri hiriスープカレー.jpg hiri hiriの厚切りベーコンスープカレー

札幌に戻り,駅西高架下のhiri hiriさんでスープカレーで夕食。数量限定の厚切りベーコンスープカレーが食べられて大満足です。スープカレーっておいしいですね!!!!

上に写っているアナ雪の布は嫁はんに作ってもらったカメラバッグです.....(^^;)。 


高橋是清邸訪問記 [紀行]

2016年2月26日の日記

今年は2.26事件から80年だそうです。これを機に,事件の犠牲になった高橋是清のお屋敷が公開されているので見に行ってきました。

東京都小金井市の小金井公園の中にある,江戸東京たてもの園に保存されています。普段は内部非公開ですが,現在,中に入ることができます。

私は高橋是清をとても尊敬しているので,一度,見に行きたい,と思っていましたが,内部は非公開だったのでいままで行きませんでしたが,中に入れる,と言うので遠路はるばる愚息を連れて見に行ってきました。

中央線武蔵小金井駅からGoogleマップで2.4kmと出ます。歩くと30分くらいかかるのでちょっときついです。子供がいなければ健康のため歩くのですが小さな子供と一緒では厳しいのでバスにしました。

小金井駅から小金井市のCoCoバスというコミュニティーバスが出ています。20分間隔なので利用しやすいです。料金も100円なのでとても助かります。北東部循環系統というバスに乗ります。たてもの園入り口というバス停で降りて玉川上水を越えて近くです。

途中,玉川上水を渡ります。幅3mほどの浅い水路にきれいな水が流れています。よくこんなのを江戸時代に作ったな~と感心します。でも,どうしても玉川上水というと太宰治の入水自殺を思い出しちゃいますね~。太宰が自殺したのは少し下流の三鷹市ですが,こんな水量ではおぼれて死ぬ,と言うより頭を打って死んだのか,と思いましたが当時はいまよりずっと水量が多かったそうです。京都の疎水のような水量があったのでしょうか。

玉川上水.jpg 玉川上水

小金井公園はとても広く,とても都内とは思えない静かでのどかなところでした。中に梅林があり,とてもきれいな花が咲いていました。

梅林.jpg もう梅が咲いていました。 

さて,西側奥にある江戸東京たてもの園へ。大人400円で,小学生以下は無料です。

江戸東京たてもの園.jpg

中の資料館は残念ながら次の展示のための休み,と言うことで見学できませんでした.....orz。

この建物を出てすぐ右側に高橋是清邸があります。

高橋是清邸.jpg

まずは大きなお屋敷にびっくり。明治村で最近展示された最後の元老・西園寺公望の坐漁荘くらいかとおもっていたらその倍くらいはある大きなお屋敷です。

高橋是清邸玄関.jpg 玄関

中もとても広く,1Fは広間と食堂,仏間などがあります。

寝室.jpg 2Fの寝室。

この部屋に寝ているところを青年将校たちが乱入し,6発の銃弾を浴びせた上,銃剣で刺したそうです。今日は命日と言うこともあり,花が供えられていました。

都電7500型'.jpg 鉄ちゃんなので......。

もと都電7500形が展示してあります。新潟鐵工製7514号です。もっとも都電って濃緑とクリームのツートンだと思いましたが,7500形からこの塗色になったとは知りませんでした。

都電⑥⑨⑩系統図.jpg こんな路線が残っていたら.....。

ほかにもいろんな建物が残っており,当時の商家がどんなものだったかよくわかります。保存された洋館を利用したレストランもあって,とても楽しめました。 

1936(昭和11)年2月26日未明,昭和維新を唱えて決起した陸軍皇道派の青年将校たちは現在の政治体制を打ち倒して天皇による親政を実現し,天皇中心の新体制を打ち立てようとしました。 

岡田啓介首相は誤認されて義弟が殺されたので難を逃れましたが,高橋蔵相や斉藤実内大臣など政府要人が殺害され,一時は政府転覆も成功したかに見えました。

しかし,昭和天皇は激怒され,反乱軍として鎮圧するよう命じられたため,29日(その年も閏年でした)には鎮圧されました。

幸いにもクーデターは成功せず,首謀者は死刑など,処罰されましたし,陸軍皇道派の決定的敗北となって以後,皇道派の将軍たちは前線に飛ばされ,統制派が陸軍の行動を決定するようになります。

しかしながらこれで世の中が正常化されたかというと,言論の自由が封殺され,議会制政治も終焉を迎えて戦争への道を突き進むこととなるのは周知の事実です。

また,震災手形が焦げついて発生した1927(昭和2)年の金融恐慌を収拾し,その2年後には,米国発の世界大恐慌のさなかに浜口首相と井上蔵相が実施した金解禁が裏目に出て,まさしく暴風雨のさなかに窓を開け放つ結果となって円が暴騰し,経済破綻寸前だった日本経済を歳出拡大で救った高橋是清も出口戦略として軍費削減を進めたため青年将校の標的となりました。

と考えるとまさに震災後の近年,マイナス金利の導入というのはどうも平成の金解禁なのではないか,と思います。どうにもいまの状況は2.26事件前の状況に似ているのではないかと......。 

昭和のターニングポイントとなった家がいまも保存され,見学できるのはとても素晴らしいことだと思いました。 

帰りは東小金井駅前のキッチンブラウンさんでおいしいビーフシチューをいただいて帰りました。愚息は煮込みハンバーグをぺろりと平らげ,こちらも喜びました。 


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