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今日の北陸 [紀行]

2015年9月23日の日記

シルバーウィークだそうです。こんな時期に5連休なんて....,と言う気がします。そもそも9月15日だった敬老の日を動かしちゃっていいんですか,と言う気がしますけど。それに,オヤジにとっちゃ,こんなに連休続くとどっか連れて行かないとまずいし,連れて行ったら連れて行ったで,ささいなことで嫁はんがイラついて怒り始めるし.....ろくなことありませんね。

今回は北陸の実家に帰りました。 子供も親も喜んだのでいいとしましょう。

オヤジは鉄をしていました.....(^^;)。

いつもの新疋田駅へ出撃です。

3092レ('15.9.20).jpg 3092レ。今日は501号でした。

JR東日本から買ったEF510の500番台もなかなか青が似合ってかっこいいですね。単に,北斗星の星のマークを消しただけですが,なかなかいい色です。このままでもいいんじゃない,と言う気がしますが,いずれ赤に塗り直してしまうんでしょうね。

ただ,残念ながら新疋田で「しらさぎ」52号を待避するのを忘れてアングルを間違えちゃいました。

EF510-501.jpg 正面ドアップ写真です(9月20日)

上下のホームをつなぐ通路から撮影できます。みんな集まってきて撮影会です。

しらさぎ2号('15.9.22).jpg 

      しらさぎ2号。中古車こっちに回すな~!!!!

と言う次第で,今日はリベンジ! のつもりで22日にも実家から出かけましたが,残念ながら3092レ,3096レともに運休でした.....orz。

それに,ひと昔前だったら3092レの後,「日本海」が撮れましたし,「雷鳥」8号が撮影できました。本当に被写体がなくなって残念です。 私は国鉄形しか追いかけないので,EF81もなくなったら本当に撮るものがなくなっちゃいます。まあ,EF510はとても好きなので,これを追いかけようか,と言う気がしています。

それと,「しらさぎ」も北陸新幹線開業後は余剰車が出て,今度は「くろしお」や「こうのとり」 に転用するため,新車の2000番台を転出させ,余剰となった「サンダーバード」の中古車を「しらさぎ」に回してきて頭にきています。今までは快適だったのに.....。681系はどうも違和感があります。車内も直接照明なので明るすぎ,683系の方がいいです。

3095レ('15.9.20).jpg 3095レ('15.9.20)

別に追っかけ,と言うわけじゃありませんが,この日,下りのEF510-501を撮影することが出来ました。快晴のいい天気でした。 

3099レ('15.9.20).jpg 3099レ('15.9.20)

お目当てのEF81牽引4071レの直前,EF510牽引のスジが新たにてきています。こちらも青の500番台です。 なんか,最近は青の方を見かけることが多いです。

3099レ('15.9.21).jpg 3099レ('15.9.21)

残念ながら21日は曇っていて,あまりきれいな写真が撮れませんでした。赤の19号が来ました。 

4071レ('15.9.20).jpg 4071レ('15.9.20)

お目当ての百済発新潟行きの4071レ。もう夕方5時を過ぎているので撮影できるのは今月が最後でしょう。EF81も今年限り,と言う気がするので,この写真が最後かもしれません。 今日は719号でした。 

実を言うと,4071レは日祝休なので20日(日)はウヤのはずです。どうも連休が続くので最後の運転だったようです。あとはずっと運休か,と思いましたが23日は動いたようです。

と言う次第で,貨物は運休ばっかだし,子供がいると疲れるし,連休は本当にイヤっ!! オヤジにとってはいいことなんてありません。あぁ,やっぱり週の真ん中にポコッと休みがある方がいいや....。 

 

2015年10月10日追記 

4071レ('15.10.10).jpg 4071レ(’15.10.10)

EF81 719牽引でした。残念ながら3週間後はこんな状況です。もうスチル写真は無理です。残念。 


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新十津川まで...... [紀行]

2015年9月4日の日記

新十津川駅.jpg

ちょっと,また北海道へ行っておりました。

今回は札沼線を乗りに行きます。

スタートは東北新幹線の「はやぶさ」27号新青森行き。まだ盛岡から北は乗ったことがありません。新幹線の320km/hも初体験です。

でも速い割に,当然のことですが,車内はうるさいですね~。トンネルだと耐えがたい感じです。いつも乗る東海道新幹線の方がはるかにマシ,という感じがします。まあ,速度が270km/hですから当然ですけどね。盛岡から先は整備新幹線のお約束で最高速度は260km/hなので,陸上最長の八甲田トンネル(全長26.5km)も騒音は小さくなりますけど。 また,E5系も車体傾斜制御がなされていますが,さすがに320km/hは遠心力が過大になるのか,どうも制御が足りない感じで,カーブでは強い遠心力を感じますし,制御がうまくいかないのか,段階的にギュッ,ギュッと遠心力が作用するのも気持ち悪い感じでした。

それに.....。

どうしても新幹線で「はやぶさ」なんてしっくりきません。やっぱ,「はやぶさ」はこれ▼じゃないでしょうか。

はやぶさ('89.3)s.jpg 

    どこの駅で撮影したのか忘れちゃいました('89.3撮影)

はやぶさ2s.jpg 鹿児島本線上田浦~田浦間

以前,EF66牽引の写真は載せているので今日は九州での写真です。やっぱ,「はやぶさ」は九州ブルトレの名前で,東北新幹線の新青森行きは「はつかり」じゃないかと私は思うのですけど.....。

架線事故か車両故障かなんかで半日止まって,また新聞に はつかりがっかり なんて書かれるのを警戒したのでせう......。

新青森には19:37に着きました。これから「はまなす」に乗る予定ですが,2時間ほど空いています。

早速,津軽ラーメンを食べに行きます。

観光物産館アスパムの近くにある,まるかいラーメンさんへ。 駅に近く,ほかのお店は7時までのところが多いですし,夕方で閉まってしまう店も多いので,まるかいさんは夜9時まで営業しているのでとても助かります。

まるかい.jpg 

やはり津軽ラーメンらしく,煮干しのだしがきいて,ちょっと日本そばみたいな感じでおいしいです。ほかでは味わえない味だと思います。

ここから南に歩いて青森まちなかおんせんへ。 ぷんと硫黄のにおいのする本格的な温泉です。泡風呂や露天風呂もあって,とてもリラックスできました。

駅に戻るともう「はまなす」は入線しています。21:36には入線するようです。発車まで50分近くあるので,十分写真が撮れます。

はまなす方向幕s.jpg 最後の寝台急行です。

はまなすs.jpg  

ED79ももうこれが最後ですね.....。レンズが広角すぎてゆがんじゃってますけど。

はまなす1s.jpg DD51も....。

東室蘭の手前まで放送はお休みです。青函トンネルに入ったのは覚えていますが,ぐっすり寝てしまい,気がついたらもうじき東室蘭でした。このあたりから早朝,札幌へ出かける人が乗車するので自由席が混んできます。「きたぐに」や「八甲田」なんかもそうでしたね......。

東室蘭付近.jpg 北の大地の夜明けです。

こういう美しい景色を見られるのは夜行列車ならではのことですね。もう楽しめなくなると思うと非常に残念です。  

札幌駅に定時に着きました。ゆっくり朝ご飯を食べて行動開始です。

さて,新十津川に向かいます。

本来なら学園都市線に乗って新十津川へ行けばいいんですけど,盲腸線なので折り返してくるのもなんだし,ということで函館本線の滝川駅に向かいます。

私には学園都市線なんて名前もしっくりきません。札沼線の方がしっくりきます。本来なら札沼線は1935年に留萌本線の石狩沼田まで開通しているので,深川経由で一周することができましたが,1972年に新十津川~石狩沼田間が廃止になっているので,名前の由来がわからなくなってしまいましたし,盲腸線になってしまいました。

もっとも,滝川から近いので,滝川から石狩川を渡って行くことができます。距離にして4.6kmほどなので,1時間ほど歩けばOKですが,さすがに今日は暑く,あきらめました。それに,函館本線も岩見沢以遠は普通列車の本数が少ないため,乗る列車を間違えると結構歩いて行くのは厳しくなります。

と言う次第で,札幌駅バスターミナル8:40発の北海道中央バスで岩見沢へ行き,9:40発の函館本線927D旭川行きに乗ろうかと思いました。

ところが,岩見沢で10分あるはずでしたが,札幌市内で渋滞し,927Dに接続しませんでした。これなら学園都市線の12:59発まで2時間半あるので,ゆっくり昼飯食ってお土産でも,と思っていましたが,しかたないので後続の岩見沢発10:30の2147Mで滝川に行きました。

ちょっと時間も足りないし,暑くて歩くのはしんどいので滝川バスターミナルから新十津川役場行きのバスに乗りました。15分ほどで新十津川役場に着きます。

残念ながらもう駅は町の中心じゃないんですね。役場から歩いて7,8分かかります。標識もないのでスマホの地図で検索しながらでないと行きにくいです。 空知中央病院の横にあります。

バス時刻表.jpg 

    新十津川駅の掲示板にあった北海道中央バスの時刻表 

新十津川駅1.jpg 駅から北を望む。

       ここから石狩沼田につながっていました。

新十津川駅2.jpg

12:59発の5428D石狩当別行きに乗ります。乗客は全員,同業者でした.....。

私が北海道のローカル線に乗っていた頃,廃止寸前の路線でも1日5本くらいは列車がありました。通学生に合わせて大体,6時,7時のあと,12時,15時くらいに列車があり,最終は17時くらいというのが相場でした。札沼線もこのパターンでしたが,今は3往復しかありません。

新十津川駅時刻表.jpg 1日3往復しかありません。

今年6月末,JR北海道再生会議が8線区の廃止を提言し,その中に北海医療大学~新十津川間も含まれています。そもそもこの組織はJR北海道が設置したもので,第3者機関とは言っていますが,本当に中立の立場で発言しているか疑問に思いますし, 実際のところ,早速,JR北海道は留萌本線・留萌~増毛間の廃止を表明した点からも,この提言は自社の意見ではなくて,中立,公平な立場にある第3者の提言だから尊重すべきだというもっともらしい主張をした上で,実際はその第3者委員会というのを隠れ蓑にして提言を自社の都合に合わせて利用しようという意図が見え隠れします。

それにしても廃止が提言された他の線区に線路流出で運休中の日高本線のほか,宗谷本線の名寄~稚内間,根室本線釧路以東が含まれているのに驚きます。稚内や根室に鉄道で行けなくなります。 

確かに,旧国鉄の赤字ローカル線の廃止基準が1日の乗車数2,000人というものでしたし,この数を大幅に下回っている現状(北海医療大学~新十津川間で81人/日)では廃止もしかたないのかもしれません。ただ,この線は北海医療大学から南は電化され,本数も多く,学生をはじめとして乗客は多いし,実際,この日も石狩当別で乗り換えたら立っていなきゃいけないくらい電車は混んでいました。札幌からも近く,30~80kmくらいの距離なので自社で宅地分譲して沿線の開発もできたのではないかと思います。自然豊かな地域でもあり,別荘地などでも売れるのではないかと思います。北海医療大学より北はこういった収入拡大の努力をしないまま,路線を放置した,と言う印象を受けます。

JR北海道は失礼ながら鉄道で採算をとるのは到底無理で,関連事業で収益を確保し,そのお金で鉄道を保守する,と言う体制を早く確立すべきだったと思います。収入が少ないから利益を確保するため経費節減に努めるということになり,安全に関する必要な経費まで削ってしまって今のような状況に陥っています。倒産寸前の企業が事故や不祥事を次々に起こすのもこのあたりが原因ですね。近々上場するJR九州だって鉄道事業は赤字で,上場できるのも関連事業が成功したおかげだったでしょう。多くの私鉄の経営がこういう形態ですしね。

もっとも,札沼線の非電化区間は鉄以外のお客さんは於札内から乗ったおばあさんと,浦臼から乗ったビジネスマン2人,おばさん1人という状況では存続は難しい感じです。路線バスにして近所の病院や役場を通る路線にした方が便利という気もします。しかしながら,路線バスは廃止は届出だけで済み,バス転換即廃止と言うことになりかねず,鉄道の廃止=公共交通機関の喪失となるのは各地で見られる現象です。何とかならないかと考えています。

ようやくこれで札沼線の完乗を果たしました。札幌まで1,640円という運賃の区間が廃止されるというのはどうも納得できません。もっと交通機関として活躍できた路線ではないかと感じました。

一幻エビみそラーメン.jpg エビラーメン

帰りは新千歳空港のラーメン道場で一幻さんのエビみそラーメンで食事です。エビのエキスやトッピングもあっておいしいです。スープもどろどろの粘性の高いもので,ちょっと好みは分かれると思いますが....。店は行列で,30人ほど並んでいました。とても人気なんですね。でも,実を言うと,津軽ラーメンの方が私は好みです。

 

〔北海道のお土産〕

といえば,やっぱり抵抗でしょう!

やっぱ,北海道の抵抗は新鮮でみずみずしくて電流を流すとこんがり焼けて,醤油をかけて食べるとうまい!

...........なんてことがあるわけありません.........(^^;)。  

アナ雪かんかん.jpg これだけ買っちゃいました。

お気に入りのブルボンアナ雪クッキーの空き缶に入れました。エルサが可愛い.......(^^;)。    

利久電器RD-S2TJ-1.jpg 同じ1/4Wでもこんなに違います。 

ススキノの狸小路7丁目にある梅沢無線電機さんで1/4Wのカーボン抵抗を100本入りで安く売ってました。いつも使う,1/4Wのこの小型抵抗がほしいと思っていました。これ,通常の1/4Wの抵抗の半分の大きさで,ひと昔前なら1/8Wか1/16Wの大きさです。プリント基板の大きさがずいぶんと小さくできるので,いつも使っています。

ところが,この抵抗ばかりでなく,アキシャルリードタイプの抵抗はそろそろ製造中止になると思います。Panasonicが製造中止したのはこの春のことです。チップ抵抗をしかたなく使おう,と言う気もしましたが,チップ抵抗自体,どんどん小さくなっていて,今じゃ主流は2012サイズ(2.0×1.25mm)から1005サイズ(1.0×0.5mm)になりつつあります。これじゃ手作業によるハンダ付けは絶望的です。

と言う次第で,リードタイプの抵抗は消えていこうとしています。まだ国産のものが手に入るうちに買いだめしようと思っていました。台湾製や中国製のものは使いたくないですしね。すでに電解コンはこれらの国のものが主流になっています。今回の抵抗はれっきとした国産で,長野県伊那市の利久電器のものです。同サイズのものはKOAもあります。ただ,このサイズで1/6Wのものもあるのでご注意ください。ほかに,同サイズで金属皮膜抵抗もあるのですが,例によって5本帯なので値が読みにくく,買わないことにしています。この抵抗は本当に小さな抵抗なので,これからも愛用したいと思います。

らーめん赤星醤油ラーメン.jpg らーめんサッポロ赤星の醤油ラーメン

梅沢無線さんの近くのらーめんサッポロ赤星さんで夕食です。1杯500円なのに驚き。スープはちょっと濃いめで,トッピングの岩のりがとてもマッチして美味でした。ご飯は昔懐かしい(いったいいくつだ?)麦飯です。健康にもいいし, "貧乏人は麦飯を食え" と言ったゴーマンな首相もいましたけど,今じゃ,麦の方が高いので,ありがたいことです。ところで,何杯ラーメン食ってんだ?


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上高地まで.... [紀行]

2015年8月21日の日記

大正池.jpg 大正池。穂高岳がきれいでした。

今年の夏は子供たちをどこにも連れて行ってやれないので,どこかで楽しい思い出を,と思っていました。でももう今頃から探してもどこも空いていないし....,と思っていたら上高地のキャンプ場で空きがあったので速攻で申し込んで子供を連れて行ってきました。

泊まったのは森のリゾート小梨さんです。2年前にもお世話になっています。ケビン(バンガロー)が何種類かあって,キッチン,水道もついていてとてもきれいで,食堂や風呂もあるので,快適です。何より自然豊かな上高地のど真ん中で泊まれるのはうれしいことです。

松本からアルピコ交通上高地線で新島々へ。どうしてもまだ私はアルピコ交通にはなじめませんけど.....。やっぱ松本電鉄の方がしっくりきます。それに,新島々~島々間が廃止になったのも昨日のことのように覚えているジジイなので,余計ですね.....(^^;)。

ちなみに松本電鉄・新島々~島々間の廃止は1984年12月31日のことです。台風で不通になる前に乗りに行っておけばよかったと後悔しています。

新島々からはアルピコ交通のバスで上高地へ。途中の沢渡駐車場から満員です。でも,マイカー規制のおかげで上高地までの県道は渋滞もなく,無事に上高地に着きました。

これは本当にすばらしいことだと思います。国立公園の自然保護のため,とても重要なことだと思います。乗鞍や富士山などもこうすべきではないでしょうか。また,我々ビジターにとっても渋滞に悩まされることもなく現地に行けるのでとても助かります。 

今回は,終点の上高地バスターミナルじゃなく,大正池で下車します。ここから3kmのハイキングです。前回は,バスで終点まで行ってしまって失敗でした。時間に余裕があればここで下りて歩いて行くのをおすすめします。

バス停から道を下ってすぐの大正池の絶景に驚きます。この日は曇っていましたが,割に天気がよく,焼岳もきれいに見えました。

ここから田代湖~ウェストン碑を巡って,河童橋へ。

田代湖.jpg 田代湖

どうも湖という名前の割に浅いな,と思ったら1975年の水害で大部分が埋まってしまったようです。

ウェストン碑.jpg ウェストン碑

上高地を初めて訪れた外国人ウォルター・ウェストン(1861~1940)の碑が残されています。 「日本アルプスの登山と探検」(岩波文庫)を読んだのでぜひ訪れたい,と思っていました。でも,うっかりすると通り過ぎちゃうのでご注意ください。梓川右岸の上高地ルミエスタホテルの上流側にあります。 

1時間ほどで河童橋に着きます。そこから奥にリゾート小梨のキャンプ場があります。早速コンロを借りて今日は焼き肉です。肉や野菜,お米までレストランでリーズナブルな価格で売っているので,何も持ってこなくても楽しめます。

きれいなお風呂に入ってTVを観たらぐっすり寝てしまいました......。

翌朝は,昨日炊いたご飯で朝食です。

驚いたことにご飯がすばらしくおいしいのです。実を言うと,お米は家から持参して,ケビン備え付けの炊飯器で炊いたので,同じご飯なんですけど,なぜか全然違うのです。ご飯好きの愚息はあっという間にご飯とインスタント味噌汁で大盛りのご飯を2杯食べてしまいました。やはり水が違うのでしょうか。

今日は朝から雨。ちょっと残念ですが,持参したカッパを着て明神池まで往復します。

明神池.jpg 霧に煙る明神池。幽玄ですね~。

幸い,明神池に着く頃には雨もやみ,霧に包まれた明神池を楽しむことができました。この風景も本当にすばらしいもので,日本ではなかなかこういう景色を見ることができないと思います。でも雨が上がったら霧もあっという間に消えてしまいました。▲のような写真はなかなか撮れないようです。

帰りは梓川右岸を通ります。ちょうど河童橋~明神池~河童橋で一周する格好になります。

ところが,途中で大驚き!

ずっと先を歩いていた子供たちが慌てて戻ってきます。なんだ~? と思ったら......。

猿-1.jpg 母猿です。子供が2匹いました。 

5,6匹の猿の群れが食事中でした。子猿がふざけて母親にまとわりついているのがかわいかったです。この猿はこの後,道に出てきて,私の前を堂々と歩いて行きました......。 

昼過ぎにケビンに戻ります。ビジターセンターやバスターミナルでお土産を買って,今日はケビンでカレーを作って食べました。このカレーも普段と違って,とてもおいしかったです。やはりご飯が全然味が違いました。

翌朝,上高地郵便局へ立ち寄って絵はがきを出したりして昼前のバスで帰りました。子供たちは大満足のようで,"また行きたい" といっていますし,もう次の計画をしていました。親としてはほっと一安心です。 


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国鉄下河原線の廃線跡を行く [紀行]

2015年6月20日の日記

下河原線広場公園1.jpg

リストラ寸前のヒマなiruchanは 晴工 (晴れた日は鉄ちゃんをして,雨の日は工作をする)の生活を送っています。今日は晴れたのでどこかへ出かけようと思います.......(^^;)。 

さて,今日は国分寺駅まで電車に乗って,そこからレンタサイクルで旧国鉄の下河原線という貨物線の跡を訪ねます。途中まで旅客営業があり,終点は府中の東京競馬場前でした。

    「日本でいちばん長い駅名は?」

と言う質問に,

    「東京競馬場前!」

と答える人は相当なジジイだと言えると思います。 実は,私もその1人です......(^^;)。

だ~ってぇ~,その後にどんどんできた日本一長い駅名って年取って覚えられないのはもちろん,どこかの地方の第3セクターの鉄道が知名度向上のため命名したりするケースが多いし,それがまた競争のようになって次々に更新されて,毎年タイトルホルダーが変わる,と言う状況ではあきれて覚える気もしません。私も,やながわ何とかとか,長者ヶ浜何とかだとか,その辺くらいまでしか覚えていません。

そういう意味で,そんな競争が始まる前,ごく普通につけられていた駅名として一番長い東京競馬場前駅は今も私は日本で一番長い駅名だと思います。

この駅はもちろん,ガキの頃から鉄ちゃんだったので,本で読んで知っていました。一度,行ってみたいと思っていましたが,さすがに北陸からは遠く,こちらもガキんちょだったので一度も行くことがないまま,廃止になってしまい,残念に思っていました。

さて,今日はその下河原線跡を訪ねます。

下河原線路線図.jpg 下河原線(1944~1955).jpg

   現在    1944~1954年 

まずは路線図です。現在のGoogleマップ上に線を引いてみました。クリックすると拡大します。

古い方の地図は時系列地形図閲覧サイト今昔マップ on the web(C)谷 謙二により作成したものです。日本の古い地図を時系列で年代ごとに表示し,また,現在の状況をGoogleマップと並列して表示してくれるという驚くべきサイトです。ぜひご覧ください。

う~ん,でもこれらの古い地図,見ているととても不思議ですね~。年代ごとに路線が変わっていくのもわかります。最初は南武線も京王線もないけど,そのうち,京王電氣軌道が府中までできて南武鐵道も全通して....,と言う具合でおもしろいです。それにしても途中で分岐して府中刑務所に入っている引き込み線って,ひょっとして囚人護送のため? 

上の古い地図は同サイトの1944~1954年というレンジを選択して表示したものですが,東京急行電鐵京王線と書かれていることから1944~1948年の間の地図と思われます。 なお,戦時中の地図だと戦時改描といって軍用地が畑になっていたりするのであまり信用しちゃいけません。

とゆ~話は昔から知っていたのですが,改めてこの地図を見てびっくり。やっぱり ない のです。

府中刑務所と線路を挟んだ反対側にあるはずの東芝(当時は芝浦製作所)府中工場がありません。

同じ年代の立川市を見ると陸軍の立川飛行場は明らかに不自然な広大な空き地になっています。立川飛行場は第1次世界大戦後の1922年に開設され,この地図の前の年代だと飛行場とはっきり明記されていますから,▼の地図は戦時改描の一つであることは明らかです。まあ,昔の平時の地図にはそう書いてあったわけだし,そんな次第なので,アメリカさんもここに飛行場があることくらい,すでに知ってるだろうから,特に畑に偽装する必要もない,と言うことだったのかもしれません。

もっとも,地図作成に命をかけていた陸軍陸地測量部の部員,職人さんたちは自分たちが測量した地図を改変するのに忍びず,あえて偽装前の土地の境界は明確に残したり,周囲の畑や田んぼとは違う土地にして,はっきりと偽装したことがわかるよう改変した,という証言もあり,確かにこの立川飛行場は単なる空き地で誰が見ても変,とわかるので,そんな感じがします。 

芝浦製作所府中工場は1940年の操業開始なので,この地図が発行された頃には存在していたはずです。しかしながら,立川飛行場のように平和な時代に建設されて地図に記載されていたわけじゃないので,戦時下に電気機関車などを製造する軍需工場として,その場所を教えないよう,地図から抹殺されているのではないかと思います。 敵のみならず,一般市民をもスパイ扱いしていた時代の話です。ちょっとゾッとしました。

とこんなことを書いているiruchanは昔なら即,特高に引っ張って行かれますね......。

あ,今だと特定秘密保護法違反でやっぱり引っ張って行かれますね。誰かさんのおかげで戦前に逆戻りだ。コワ~っ! 

立川飛行場(1944~1955)'.jpg 陸軍立川飛行場はどこ行った? 

平和な時代(かどうだかわかんなくなってきたけど)に生きる私は多摩川沿いにある線路も気になりますけど......。 

さて,今日は周囲はすっかり新しいビルばかりで廃線跡なんて一切ない,国分寺駅から一応,スタート。

本当は幅の広い中央線の線路敷に下河原線の線路が1本走っていて,そのレールもしばらく前まで残っていたらしいのですが,国分寺駅舎の建替に伴い,撤去されてしまったそうです。

線路は次の西国分寺の手前から緩やかに分岐していきます。この駅前も高層マンションが建ち,とても廃線跡なんて,と思うのですが,うまい具合に土地の境界があるせいで建物は境界に沿って建てるのでよく見るとそれなりに廃線跡らしい痕跡が見られます。

西国分寺駅前.jpg 

   かさ上げされて全然レベルは違うのですが....。

西国分寺駅からの分岐です。線路跡だと思いましたが,▼の地図を見ると実際の線路はもっと右で,この地下深くだと思います。右手が西国分寺駅です。左側は国鉄の中央学園がありました。そもそもここには武蔵野線が開業するまで国鉄の駅はありませんでした。

この道路の先,府中街道の泉町交差点の1個北側の交差点西側に線路に沿ってマンションが建っています。

マンション.jpg 斜めに線路が走っていました。  

線路跡は砂利の敷かれた空き地部分ではなく,マンション前の通路のようです。私有地ですからみだりに立ち入ってはいけません。 

東山道武蔵道解説地図.jpg 怪しげな点々が.....。

この泉町地区の再開発に伴い,東山道武蔵路の遺跡がみつかったため,案内の看板がありましたが,その地図がわかりやすいので載せておきます。

ここから北府中駅までは線路は武蔵野線の南行線が使っているので,何も痕跡はありません。

北府中駅南3.jpg 

        中央は武蔵野線,左が下河原線跡 

北府中駅の南側に行くと,このような痕跡がありました。まくらぎが置いてあったりして資材置き場として活用されているようです。

北府中駅南2.jpg 

   ピンクの建物と草の生えているところが線路跡です。

その道路の1本南から見たところです。ピンクの建物は福祉施設です。すぐ横を道がありますが,廃線跡はその道ではなく,この建物そのものです。

この道路の南側からスタートです。レールを一部残して駅みたいな公園がありました。屋根付きの休憩所もあり,市民の憩いの場となっているようです。 

下河原線広場公園公園.jpg 下河原線広場公園

レールやまくらぎも残っています。 これらがオリジナルの下河原線のものかどうか,わかりません。右側に駅舎を模した屋根付きの休憩場所が設けられていました。

下河原線広場公園2.jpg  

ここからは廃線後に下河原緑道として府中市が整備したもので,多くの市民の皆さんが散歩したりジョギングしたりしています。

京王線交差.jpg 京王線交差地点

なんかへろへろ~っと道が続いているのがいい感じですね~。

東京競馬場前分岐.jpg 

  東京競馬場前への線路の分岐地点。左側が東京競馬場前。

線路自体は貨物線で,多摩川の砂利運搬のために作られたものですが,途中から東側に分岐し,東京競馬場への支線がのびていました。競馬に行く人が利用したんですね。▲の写真で言うと,左側に分岐します。

東京競馬場前.jpg 東京競馬場前駅跡

とうとうあれから40年たって,ようやくやってきました。ここが東京競馬場前駅です!! しばし,感慨にふけります.....。

1面2線のホームがあり,1973年3月31日で廃止になっています。 平日はクモハ40の単行が走り,競馬開催日などは101系5両編成が走っていました。多客期には東京駅からも臨時が出たようです。一度,乗ってみたかったな~。

駅前? (▲の写真の左側)は矢崎町防災公園となっていて,広いグランドと木陰がありました。せめてレプリカでいいので駅名標でも建っていればいい記念写真が撮れるのに,と思いました。

電車ごっこ碑.jpg 電車ごっこの碑

細長い線路敷はレールも残っていたりして,周辺の子供たちにとって,格好の遊び場だったでしょう。でも,この子供たちはもういいおじさんだな.....。

さて,もとの分岐点に戻って南に向かいます。

南武線交差地点.jpg 南武線をまたぎます。

圧巻は南武線との交差地点でしょう。線路らしく,緩やかに坂を登っていきます。

南武線交差地点1.jpg まもなく消える205系です。

跨線橋の上からはこんな写真が撮れます。直前にE233系が走っていきましたが,やはり205系を載せておきます。

南武線交差地点2.jpg 南武線を越えて......。 

ここから先,鉄道遺跡としてはめぼしいものはありませんが,のどかな畑の中を木立に囲まれてひんやりとした空気の中を散歩するととてもいい気分になれます。 

終点.jpg 

       終点です。ここも公園になっています。

終点は貨物駅になっていました。この公園はその跡でしょう。さらに手前に分岐して多摩川の河川敷にいく線路がありました。この道の先に京王・中川原駅があります。ここで降りて,北府中まで歩いてもよいかと思います。

あじさい.jpg ガクアジサイがきれいでした。

1910年に多摩川の砂利運送のため東京砂利鐵道として建設された下河原線は1910年には国有化され,1933年には競馬客輸送のため東京競馬場前駅が開業しますが,1973年の武蔵野線の開業に伴い,重複する路線のため廃止となりました。貨物線自体はまだその後もしばらく残っていたのですが,実際に使われていたのかどうか.....。1976年には完全に廃止となりました。一度,東京競馬場前に行ってみたいと思っていましたが,あれから40年も経っています....。 


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さようならトワイライトエクスプレス [紀行]

2015年3月13日の日記

トワイライトエクスプレス大阪行.jpg

今日でとうとう "トワイライト・エクスレス" の運転が終了します。 "北斗星" は今日の発車までです。これで日本の寝台特急列車は廃止となります。

"北斗星" は都合4回乗車することができました。過去にも何度か記事を書いています。ところが, "トワイライトエクスレス" は1回のみで,もう一度乗りたい,と思っていましたが,全然切符が取れず,結局,1回のみとなってしまいました。

"トワイライト" に乗ったのは2011年10月のことで,石北本線のたまねぎ列車を撮りに行った帰りのことです。あのときはたまねぎ列車はもちろん,マヤ検まで撮影することができ,未乗の函館本線の山線をつぶしてあとは "北斗" 14号と "スーパー白鳥" 42号を乗り継いで, "日本海" に乗る予定でした。

ところが......。

北斗14号(長万部).jpg "北斗" 14号(長万部にて)

長万部駅で "北斗" 14号に乗り換えたところ,まったく動きません。どうもこの先の函館本線で先行の普通列車がエンコし,本線の途中で止まっているようです。結局,先行のキハは落部駅であとから来た普通列車? に押し込まれる形で退避し,"北斗" 14号は長万部駅を1時間半遅れで発車となりました。結局,"スーパー白鳥" 42号に乗り継げませんでした。

この約2年後,2013年7月6日に同じ "北斗" 14号がこの先,山崎~鷲ノ巣駅間で出火し, 原因はエンジンブロックの破損によるものでしたが,以後,同形式の4往復が運休する事態となりました。同じ列車というのでびっくりした記憶があります。▲の写真のあと,DF200牽引の貨物列車が横に並んで停車していました。

幸い,救済措置であとから来る "トワイライトエクスプレス" に乗車できた,と言うのが最初で最後の乗車体験となりました。"日本海" はすでに廃止される予感がしていて,はやめにオロネ24に乗ろうと思っていたので,A寝台を押さえてきましたが,まだ廃止のニュースもなく,これはまたの機会にすればよいと思いました。実際,翌年,息子と乗ることができたのでいい思い出です。

"トワイライトエクスプレス" には五稜郭駅から乗車しました。普通,"トワイライトエクスプレス" は函館駅に入らず,五稜郭駅で折り返しますが,この駅は運転停車のみで,ここから乗車することはできません! これだけでもすごい経験だったと思います。忙しい中,乗車手配をして下さった "北斗" 14号の車掌さん,どうもありがとうございました。

冬型で雨の降っている五稜郭駅から乗車しました。函館駅に入らず,そのまま江差線を走行します。

早速,レストランのご案内が....。ご夕食もご用意できますよ,とのことでしたが,長万部駅の名物かに飯を買っていたので朝食だけお願いしました。

木古内を発車したら青函トンネルのご案内がありました。"北斗星" でもありますが,ちょっと詳しいですね。 

 

蟹田駅に運転停車。ここでJR西日本の車掌さんと交代です。

 

次に停車するのは青森信号場。ここで折り返しとなります。青森信号場で折り返す旅客列車はこれだけでしたし,東北本線方面からの旅客列車でもこの信号場に入るのは少ないので,いい経験でした。ただ,"トワイライトエクスプレス" も "北斗星" も,当初は青森信号場経由でしたが, 2012年3月ダイヤ改正から青森駅経由となり,私が乗った "北斗星" はすべて青森駅で停車していました。

あとはよく寝てしまいました。広い青森信号場の構内でずいぶん長い時間,停車していたのを覚えています。

直江津駅出発後,おはよう放送が入ります。

 

朝食は食堂車でいただきました。とてもおいしかったです。 

洋朝食.jpg 洋朝食。豪華~! 

その後,最初は敦賀で下車しようと思っていたのですが,とうとう大阪まで乗ってしまいました。いい経験でした。

それにしてもこれでとうとう日本の寝台特急列車はなくなります。1,000km以上の距離には夜行列車が必要だと思いますし,北海道や九州へ夜行列車で行けないのは残念です。一晩寝れば翌朝は目的地という便利さと同様,飛行機に乗れば当日出発してそれほど時間をむだにせずに済むということはある訳ですし,実際,日本の場合はほとんど1時間ほどでどこへでも飛行機で行けてしまう時代であっても,夜寝ている間に移動し,早朝に目的地に着く,と言う夜行列車は便利です。それに,飛行機の10倍以上の時間をかけてはるばる遠くへ出かける意味もあると思います。

JRも民営化後,独立化がいよいよ定着し,煩わしい他社からの乗り入れ列車は廃止したいとか,途中の線路が第3セクターになって取り分が減るとか,今どき機関士を養成するのは面倒などというJRの本音はそういうところなのだと思いますが,そんな理由で長距離列車が廃止になっていくのは困ります。

一方,"トワイライトエクスプレス" のように列車自体を観光目的化するJR九州の "ななつ星" やJR西日本自体でも "トワイライトエクスプレス瑞風" とか,JR東日本でも豪華寝台列車の計画があるようですが,1泊何十万円もする料金とか,エリア内だけの運行ではまったく魅力を感じません。一晩眠っても隣の県とか,目的地は何度も行ったことのある温泉とか,そういう目的地へ夜行列車に乗って行きたいとは思いません。それに,目的地の温泉地などもお客さんが来たと思ったら泊まりは列車で,温泉入って帰って行った,という具合では歓迎されないんじゃないかと思います。一晩寝たらまわりは出発したところから遠く離れた知らない土地とか,一面の銀世界なんてのがやはり夜行列車のよさではないかと思います。

ラウンジカー.jpg ラウンジカー

こんな車内でゆっくりと車窓の風景を見ながら移動できる,というのは飛行機にはない楽しみだと思うのですが....。 


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依佐美送信所再訪記 [紀行]

2015年1月11日の日記

依佐美送信所.jpg

愛知県刈谷市にある,依佐美(よさみ)送信所記念館へ行ってきました。ラジオや真空管など,古い電気技術に興味があるので,以前から行ってみたいと思っていました。

ここは1929年に開所した長波送信施設で,長波を使って欧州の在外公館へ連絡するために使用された施設です。もちろん,日本には大北電信会社(Great Northern Telegraph Co.)が明治維新直後の1871年に開設した上海~長崎やウラジオストック~長崎間の海底電信ケーブルがあり,翌年には欧亜陸上電信線と接続されたため欧州との通信は可能となっていましたが,この会社は英国系の会社であり, 有事の際には断絶することが懸念されたため,日本独自の設備による通信システムの構築が急がれていました。また,第1次世界大戦後,1923年の日英同盟解消の影響もあると思います。

そこで,愛知県碧海郡依佐美村に送信所を作ることに決定し,1927年に着工して2年後に完成しました。まだ短波による長距離通信が実用化していない時期だったため,大出力の長波送信設備により欧州との通信を可能にしました。世界各地にこのような長波送信設備があり,有名なのは独ナウエンの送信所や世界遺産にもなっているスウェーデンのヴァルベリ送信所でしょう。特にドイツのは1914年8月の第1次世界大戦勃発と同時にイギリスがドイツ~米大陸間の5本の電信線を切断したため,大戦中,独米間の唯一の通信手段となったことは有名です。やはり電信は危ない,と言うことに日本もこの件で気づいたのかもしれません。この通信の米国側受信施設はロングアイランドにあったセイヴィルの送信所で,1911年から翌年にかけて独Telefunken社が作ったものです。もちろん,1917年4月6日にアメリカが参戦すると米海軍に接収されていますが,その前に大戦勃発の1914年8月には米海軍の監視下におかれ通信も検閲されていました。また,イギリスも秘密諜報部隊を組織し,ドイツの暗号電文を解読していました。

もっとも,ドイツもしたたかなもので中立国スウェーデンを介した通信ルートを確立し,在米大使館との連絡に使ったようです。このこともあり,第2次大戦中もイギリスはスウェーデン関連の通信をマークしていたのではないかと思います。 

ただ,日本の長波送信施設の建設は,ナウエンが1906年,ヴァルベリが1924年であることを考えると,後発です。また,すでに完成時には短波の技術が進歩しており,短波だと数Wの出力でも通信が可能であることから長波による対欧通信はすぐに短波にとって代わられることになります。依佐美でも1936年には短波局が完成し,主として海外への通信はこの短波局が行うことになります。

一方,潜水艦への通信には長波が有効であることに気がついた日本海軍が太平洋戦争開戦の1941年に接収し,以後,潜水艦との通信に利用されることとなります。長波は海面下数mから10数mに届くらしいです。

1941年12月2日,択捉島単冠(ひとかっぷ)湾を進発し,ハワイ真珠湾に向かっていた艦船は "ニイタカヤマノボレ一二〇八" の電文を受信します。 ハワイ真珠湾の米太平洋艦隊基地を攻撃すべく,ハワイへ向けて進撃していましたが,もし日米交渉がまとまり,開戦回避となった場合は日本へ帰航することとなっていました。

新高山とは台湾の玉山(ユイシャン,海抜3952m)のことで,当時,日本の最高峰は富士山ではなく,この山でした。この電文は日米交渉を打ち切り,対米英戦を12月8日に開始する,と言うことを意味していました....。

この電文を発信したのはこの依佐美送信所とも長崎の針尾送信所とも千葉の船橋送信所とも,諸説あり,まだどこの送信所から発信されたのか,定説はありません。ただ,長波に関して言えば,この送信所しかなく,長波では依佐美送信所から発信されたのは間違いなく,伊号潜水艦で受信した記録も残っています。

当時,ハワイ攻撃に向かっていたのは南雲忠一中将麾下の空母6隻を擁した機動部隊でしたが,先行して潜水艦5隻がハワイに向かっていました。潜水艦は特殊潜航艇を搭載し,湾内艦船に対する特攻を計画していました。当然,事前の計画発覚を恐れて各艦船は無線封止となっていて,一切の電波の発信を禁じられています。日本からの通信は水上艦艇については短波でよかったと思いますが,潜水艦に関しては長波によらざるを得ません。平時なら浮上して短波のアンテナを上げ,短波で受信することもできたとは思いますが,潜航中は海面近くまで浮上して艦尾から数kmのアンテナを流して本土からの信号を受信することにしていたのだと思います。

戦後,役目を終えた送信所は解体の運命にありましたが,マッカーサーのGHQが接収し,今度は米海軍の長波送信設備として利用されることとなります。冷戦下のアメリカの世界戦略の一環として,潜水艦への通信施設として利用されることとなります。 

1962年10月,キューバ危機に際して,キューバにソ連の核ミサイル基地が建設されているのを知ったケネディ大統領は海上封鎖を指示し,キューバに向かうソビエト艦船の臨検を始めます。キューバ軍も総動員となり,米軍の上陸に備えることとなります。

このとき,局地的な戦闘が始まれば大変なことになったと思います。 実際,米政府内ではカストロ打倒のため上陸作戦を強硬に主張する軍幹部がおり,紛争が始まればもう止められない状況になったと思います。また,もし米軍が上陸することとなればソ連が欧州で行動を起こし,ベルリンに攻撃を開始することは大いに予想されることでした。地上兵力ではワルシャワ条約機構軍がNATO軍を圧倒していましたから,戦術核兵器で応酬することは事前に想定されており,そうなれば第3次世界大戦が勃発する事態でした。もちろん,キューバ海域でも地上,水上,航空戦力ともすべて戦術核を持っていましたから,こちらで偶発的な核戦争が始まれば世界に波及することは必至でした。

戦術核兵器は目前の水上艦艇や地上軍を破壊するための兵器で,1発で15キロトンくらいの小型核兵器のことを指しますが,小型とは言っても広島の原爆がだいたいこのクラスでしたから,1発だけでも大変な損害を与えることは明らかです。報復が報復を呼び,第3次世界大戦を招くことは容易に予想できます。

ここからは私の想像ですが.....

キューバ危機ではこの基地に勤務する米軍人達は異常な緊張感に包まれていたと思います。 

キューバや欧州で核戦争が始まった場合,全世界に展開した米原潜に原爆を搭載したポラリスミサイルを発射する指令が飛んでいたはずです。この依佐美送信所からも発信されていたかもしれません。 その後の世界は.......私も読みましたが,ネヴィル・シュート原作の "渚にて" を読めば大体想像がつきますね....。ご一読をおすすめします。

幸いにして,どうもソ連の指導者フルシチョフは最初から妥協するつもりだったとの最近の研究がありますが,フルシチョフが妥協して危機は回避されます。 私が生まれる前の出来事ですが,本当によかったと思います。

このような戦争遺産という側面もあるのは事実ですが,人類の貴重な科学技術の進歩の記録でもあり,2007年には機械学会の産業遺産に認定されていますし,2009年には米電気学会のIEEEのマイルストーン賞を受賞しています。同年,経済産業省の近代化遺産にも指定されています。2012年に記念館がリニューアルオープンしました。

子供を連れて,見に行ってきました。

2号鉄塔.jpg 2号鉄塔

長波のアンテナは高さ250mの4本の鉄塔を2列並べ,逆L型アンテナを構成して送信していました。8本の鉄塔が夕日に照らされる姿はとても美しかったのを覚えています。残念ながら,1本くらい,元の状態で保存して欲しかったと思いますが,何とか2号鉄塔だけ,下部を少しモニュメント的に保存されています。一見,きれいな鉄塔ですが,近くで見ると重厚なリベット構造で,やはり戦前の構造物であることがわかります。

かつての送信設備を格納した送信所の建屋を模擬して記念館が建てられています。

中は驚き! ドイツ・テレフンケンやアルゲマイネ(AEG)社製のオリジナルの高周波発電機を中心とした設備がきれいな状態で保存・展示されています。アルゲマイネはEC40やDC11でよく知られていますね。

励磁機+補助発電機.jpg 直流補助発電機(手前)と直流電動機(奥)

主直流電動機+高周波発電機.jpg 直流電動機(手前)と高周波発電機(奥) 

まだ大型送信管がない時代なので,高周波の発電機をモータで回すシステムとなっています。高周波発電機はGEのアレキサンダーソンが発明したアレキサンダーソンタイプです。スウェーデンのヴァルベリ送信所に設置されたものと同じ形式ですが,アレキサンダーソンはスウェーデン人だったようで,故国に恩返しをしたわけですね。米国に移民後,高周波発電機を発明したようです。のちに機械式TVの開発もしています。

そういえば,TBSの "世界遺産" でもやっていましたがスウェーデンのヴァルベリ送信所は民間に開放され,市民が電報を打つことができたようです。 ものすごく高価だったようですが,米国へ移民した親戚に連絡するのに重宝がられたようです。アレキサンダーソンも故国の親戚からの電報を受け取ったことでしょう。

誘導電動機で直流発電機を回し,その出力で高周波発電機を制御しています。ワードレオナード式といい,インバータがない時代の回転数制御としてよく用いられた方式です。つい最近までエレベータなどの制御にもよく用いられました。ここでは回転数を1400rpm一定にするように制御しました。高周波発電機の出力周波数は5.814kHzですが,これを三逓倍して17.442kHzを発信しました。空中線電力は700kWと大規模なものです。 

直流補助発電機は直流発電機の界磁を励磁するための発電機で,奥の巨大な直流電動機を励磁します。その左にある直流電動機を回転させます。

高周波チョークコイル.jpg 高周波チョークコイル

驚いたことにこのコイルはリッツ線で巻かれています。高周波だと表皮効果で電流が電線の表面近傍しか流れなくなり,単線の電線では表面積が稼げないので,細い電線を絹で絶縁し,多数束ねたリッツ線が使われますが,このような大電力の送信所でも使われているのは知りませんでした。枠が木でできているのは導電性の材料が使えないためです。 

對歐無線通信発祥地.jpg 對歐通信発祥地の碑(1989年建立)

左にあるのは米IEEEのマイルストーン賞記念碑です。同賞は新幹線0系も受賞しています。 

まわりはフローラルガーデンよさみとして美しい公園に整備され,花と緑が美しく,出店もあるし,素敵なカフェもあり,たくさんの子供連れで賑わっていました。 残念ながらミニSLもあるのですが,この日は運転日じゃなく,次は2月1日とのことです。子連れで訪れても十分楽しめるところです。

実は,ここは19年前に一度,訪れています。1993年に米軍からの送信が停止され,翌年,日本に返還されていましたが,当時,用途がないため,解体,撤去の方針が報道されていました。あまり天気のよくない日だったのと,フィルムで撮影しているので退色がひどいですが,ご覧下さい。

依佐美送信所.jpg 遠景(1996.8.17 撮影)

遠くから見るとこんな感じで,8本の鉄塔がそびえ立っていました。結構住宅地の真ん中に立っている,という印象がしますね。中波の鉄塔と違って各鉄塔のてっぺんをつなぐようにアンテナ線が張られています。

依佐美送信所1.jpg 鉄塔

依佐美送信所2.jpg 上部はこんな感じでした。

依佐美送信所3.jpg 基部。

依佐美送信所4.jpg 本館建屋

もちろん,立ち入り禁止でしたが,門の所から守衛さんに伺ったら撮影してよい,とのことだったので,写真を撮らせていただきました。 

愛知県の建築家竹内芳太郎の設計による逓信省建築様式の優美な建物です。どこか参謀本部(→東部方面総監部)の建物に似ている気がしてなりませんけど。 幸い,参謀本部は大講堂と正面玄関だけ移設されて保存されましたが,こちらは解体されてしまったのが残念でなりません。参謀本部もやはり全体を残すべきだったと思いますけどね。

また,この建物は事務所で,奥に送信機などを格納した送信所の建物があったのですが,撮影してません。とても残念です。 

本館と送信所建屋,鉄塔が残っていれば,世界遺産間違いなしだったと思います。しかし,これだけの設備が残っただけでも素晴らしく,後世に残る遺産となるでしょう。 


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さよなら "北斗星" & 711系ツアー [紀行]

2014年12月27日の日記

北斗星(函館).jpg さよなら "北斗星" ('14.12.26 函館にて)

今年初め,さよならのつもりで愚息と "北斗星" に乗って函館まで行ってきたばかりですが,まだ娘が寝台列車に乗ったことがないので,今度は家族一同連れて北海道に行くことにしました。

北陸出身なので地元から乗れるし,今度は "トワイライト・エクスプレス" にしようかと思っていましたが,残念ながら5月28日には来春廃止のニュースが出て, とても予約が取れる状況じゃありませんでした。8月に旅行会社に問い合わせたところ,「3月まで予約で一杯です」とのこと。仕方ないので,と言うと失礼ですが,やっぱり "北斗星" にしました。行くのは冬の予定なので,日本海側は雪でトワイライトが運休になる可能性もあり,北斗星の方が安全だと思ったのです。これはどうも正解でした....。

まだそのときは "北斗星" も廃止という話じゃなかったし,こちらの方は再来年,北海道新幹線が新函館まで開通するまでは運転されると思っていたので, "北斗星" の廃止が12月5日に発表になったときは驚きました。幸い,切符はその前の発売だったので入手できました。

12月23日に出発です。幸い,先週まではずっと週末になると大雪で,北陸も大変な雪でしたが,この週はほぼ保つような感じです。北海道も雪は降るようですが,吹雪の予報じゃなく,何とかなりそうです。

新千歳空港へ全日空703便で着きました。 

GPS.jpg ちょっとスマホで遊んでみました。ヒコーキってこんなスピードなんですね。

富士山.jpg 富士山がきれいでした。 

CI130.jpg 中華航空130便

まだ新千歳空港には747が飛んでいるはずなので待っていると台北からの中華航空機がやってきました。JALやANAの国内線用747-400D型機と違ってオリジナル? の747-400型機なので翼端にウィングレットがついています。こっちの方がかっこよいですね。 

新千歳空港駅から札幌へ。733系が快速エアポート135号で待っていましたが,ロングシートだし新しい電車は嫌いなのでパス。次の137号で札幌へ。こちらは721系でクロスシートなのでゆったりです。今度,733系5編成を増備して快速エアポートの運用から徐々に721系が減っていくようで残念です。娘が「なんでこの電車は(車内の)扉が多いの?」 と聞くのでやはり北海道は寒いので扉が多いのだ,と説明しました。北陸の521系だってここまでやりませんからね。

時計台.jpg 夜の時計台。とてもきれい。

ホテルには2時過ぎにチェックインしました。疲れたので少し休憩したらどんどん暗くなってしまうので,早めに街に出ました。やっぱ北海道は夜が早いですからね。でも,夜の雪景色はとても美しいですね。何度も訪れていますが,時計台も旧北海道庁舎もとてもきれいでした。 どちらも内部の見学ができ,北海道の歴史や開拓時の苦労がよくわかります。旧道庁舎には旧樺太の資料もあり,圧巻でした。

旧北海道庁1.jpg 旧北海道庁舎

夜は近くのレストランでジンギスカンです。今日は車を借りていないのでオヤジも梅酒で一杯です。残念ながら私はビールが苦手で,北海道に来たのにビールは飲みませんでした。いつも梅酒かカクテルにしています。

酔い覚ましにふらふらと(危ないってば)札幌駅へ.....。目当ては岩見沢行き最終の285Mです。残念ながら札幌駅の一番北の10番線に入線するのであまりきれいな写真は撮れません。711系は札幌近郊では朝に札幌まで出てきて,そのまま運転所に回送となり,また深夜に最終電車として岩見沢へ行く運用があるだけです。 

285M.jpg 夜の札幌駅にて。285M 

翌日は北海道開拓の村へ。朝方,雪が降っていましたが,何とか日中は雪は小降りで,それほど困るほどじゃありませんでした。でも,道中は札幌市内だというのに大変。スタックを警戒してそろそろ運転します。

144M-2.jpg 

   144M。711系は札幌近郊の朝はこの1本だけです(苗穂)。

旧開拓使北海道庁舎.jpg 旧開拓使本庁舎

北海道開拓の村は道内に残っていた古い役所や商店,事務所などを移築し,往時の姿に復元し,北海道開拓時の状況を見せてくれます。やはり冬はこんな感じだったのだと思います。開拓時の苦労が偲ばれました。なぜかふっとユジノサハリンスク(豊原)もこんな感じだったんではと思いました。

さて,翌日は朝から旭川に行きます。その前に711系とトワイライト・エクスプレスを撮影しました。意外? にもこの日のトワイライトは定時で,運良く撮れればよいという程度にしか考えていなかったので(失礼),油断して失敗写真になってしまいました。

トワイライトエクスプレス1.jpg 白石駅にて

朝からレンタカーで旭川へ。目的はもちろん,▼ここです。前から行きたいと思っていましたが,やっと来ることができました。

BSで西田敏行の出た, "旭山動物園物語" も見ましたし,一度,行ってみたいと思っていました。厳寒の旭川で冬の動物たちを見るというのは本当に彼らの冬の生態がわかりますし,ぜひ,ここで動物たちを見たいと思っていました。随所に見せ場を設け,また,手描きの案内看板なんかもとても雰囲気がよく,楽しんでもらおう,という気持ちがよく伝わってきます。とても勉強になります。

ペンギンの散歩.jpg キングペンギンは大きい~!

お目当てのひとつはペンギンのお散歩。11:00と14:30の2回,外でお散歩するそうです。もとは冬場の運動不足を解消するための対策だったらしいですが多くのお客さんはこれが目当て。さすがにキングペンギンは大きいし,近くで見ると迫力があります。それにとてもおとなしく,人がこんなに近くにいてもしずしずとお散歩していました。 

アムールトラ.jpg アムールトラ。怖~~!

ホッキョクグマ.jpg おぉ~っ! 怖っ!

ホッキョクグマもアムールトラも同じ所を行ったり来たりして折り返し地点ではこのようにお客さんにサービス? してくれます。人間が喜ぶのがわかるのでしょうか。

シンリンオオカミ.jpg シンリンオオカミ

オオカミも近くで見ると怖いですね~。こんなに群れているのは冬だからでしょうか。こんなのが襲ってきたらひとたまりもありません。体毛もこのように黒と灰色の2種類がある,なんて知りませんでした。

オランウータン.jpg お外へ出たいよ~!

でも,オオカミたちのように冬場が大好きな動物はいいけど,熱帯にいる動物はここではどーしてるんだろ,と思ってオランウータン舎を見てみたらどこにもいません。冬は別の所か? と思ったらずっと上の方に2匹ならんで外を見ていました。じーっと外を見つめています。大きさがまるで違うので,親子のようで,webを見てみたら親子のようです。なんか,人間の親子みたいで親近感がわきますね。舎の中は暖かく,とても快適そうですが,やはり外に出たいんでしょうね~。 

以前,旭川の駅で711系原色S-110編成を撮影していますが,今回も夜の旭川駅へ。 今日はS-106編成でした。

2284M.jpg 2284M 

今晩は旭川グランドホテルに泊まります。老舗の名ホテルで,室内はとても美しく,B1にはスパもあるし,WiFiもあって便利(札幌で泊まった某航空会社系有名ホテルはWiFiがなかった......)。何よりレストランが素晴らしかったです。カレーが大好きな坊主は豚バラ肉のスープカレーを食べて大満足の様子。デートしているカップルも多かったです。楽しいのなんて1年くらいで,10年後はこうだぞ,と思いましたけど(オヤジの皆さんならおわかりいただけると思います)。私は十勝牛のビーフシチューをいただきましたが,肉がとろとろでとても美味でした。1泊しただけなのが残念。もう1泊すればよかった~。

翌朝は,やはり早朝の2123Mを撮影します。 朝はバンバンに路面が凍っているし,その上に新雪が積もって危ないのでやはり駅撮りです。伊納駅の跨線橋から撮影しました。実際,駅前に車を停めたら除雪してあるところなのにスタックしてやばかったですが,無事に脱出できました。皆さん,冬の北海道は気をつけませう。すでに冬休みも始まっていますし,乗降客はいませんでした。

2123M-2.jpg 2123M(伊納)

この線路の先,まっすぐに昔は単線の線路が延びていました。1969年10月の函館本線・滝川~旭川電化に際して複線の新線に切り替えらました。 今はサイクリングロードになっていて,旧神居古潭駅も休憩所として保存されているようで,ぜひ見に行きたかったですが,この雪の中では八甲田山死の行軍になっちゃうのでやめました.....。

そういえば,旭川で記録された日本での最低気温記録-41.0℃は青森歩兵第5連隊が八甲田山で遭難した翌日(1902年1月25日)に記録されています。 

伊納駅.jpg 最近はこういう駅も少なくなりました。 ヨ5000?

いよいよこれで711系の撮影も終わりです。道内の通勤,通学輸送の主役でしたが,来春,引退です。113系などと同じ国鉄顔の電車もそろそろ終焉が近づいています。私の所だと475系がそろそろ終わりですし,ほかは113系など湘南色のものしか見たことがないので,赤い711系はとても新鮮で,昔から好きな電車でした。長い間,大変ご苦労様でした。

さて,今日はここへ....。

氷の城1.jpg エルサの氷の城 

ここ▲じゃなかった,ここ▼です。 

雪の美術館3.jpg 雪の美術館 

ディズニーの映画 "アナと雪の女王" にはまってしまったので,旭川に行ったらここへ行ってみたいと思っていました。映画の中で出てくる氷の城そっくり,と言う話がありますが,本当にそうでした。

1991年に開館しているので全然,アナ雪とは関係ないのですが,お城の建物も中もそっくりです。特にこの季節に訪れると本当にそうだと実感しますね。 

雪の美術館.jpg らせん階段.jpg

♪The window is open, so's that door. I didn't know they did that anymore.... って思わず歌ってしまいました。

雪の美術館1.jpg まるで氷の城です。

  アナ "エルサの力のせいで旭川の街が雪と氷に包まれたの"

  エルサ "えっ,旭川が~"

なんてオヤジギャグを飛ばしていました。 子供たちはお世辞で笑ってくれました。

雪の美術館2.jpg シャンデリア.jpg

             このシャンデリアもなんだか.....。 

もと北大低温科学研究所の小林先生の資料や研究内容も展示してあり, 雪の結晶や人工雪の研究成果,ビデオなどとても見どころがありました。昔,中谷宇吉郎の"雪" (岩波文庫)も読みましたしね。

さて,ここを見学したら急いで札幌に戻ります。どうも今日は天気がおかしく,旭川は結構晴れていていい天気なんですが,札幌付近は大雪のようで,札幌市には大雪警報が出ています。全国的に冬型が緩んでいい天気なのですが,北海道だけ,留萌沖に隠れた低気圧があり,空気が渦を巻いていて石狩地方は大雪との予報。おまけに朝のラジオでは札樽道が通行止めと言っていましたが,この美術館を出るときは道央道の岩見沢~札幌間が通行止めになっています。やばい.....。

岩見沢ICまでは快調で,何でここで下ろされるの~って思っていましたが....。

江別市内は猛烈な吹雪。最初はあられでしたが,途中からぼたん雪に変わり,そのうちまったく前が見えなくなりました。北陸の人間なのでわかりますが,あられからぼたん雪に変わると危ないです。大雪の予兆です。国道12号をのろのろと進みますが,前どころか路面すら見えなくなり,最後は前の車のテールライトを頼りに進む,と言う状況です。それに,アホなカーナビが渋滞を予測して脇道を指示します。ちょっと走ってみましたが,除雪してないのでとても危なく,やはり国道12号に戻りました。カーナビは信用してはいけません。危ね~~!

これがホワイトアウトという状況ですね。本当に怖かったです。豊幌のあたりでとなりを函館本線が通っていますが,733系などが走っていました。本当にJR北海道も大変だと思いました。3月にたまねぎ列車を撮りに来た帰りに旭川から711系に乗って,ここを電車で通っていますが,今回は自分が車を運転して走っています。

ようやく札幌市内に入る頃には雪が止み,なんとか北斗星までに札幌駅に着きました。幸い,北斗星は運休になっていないようです。ただ,学園都市線が20時まで除雪のため,運休となっていました。

定刻17:12に札幌駅を発車しました。とうとうこれで旅行も終わりです。

発車標.jpg 北斗星は定時のようです。

方向幕.jpg いよいよこれで最後です.....。

途中,伊達紋別駅でスーパー北斗とすれ違いのため,函館には6分遅れで到着しました。子供たちは青函トンネルを楽しみにしています。ずっと起きていました。

22:40に青函トンネルに入りました。これで北海道ともお別れです。 

このまま40分ほど暗闇の中を走りますので,子供たちを寝かしつけ,私も寝てしまいました。ただ,子供たちはコーフンして相当遅くまで起きていたようです。

ところが,1号車だったため,鉄の皆さんがデッキで大騒ぎして大変です。時折,爆笑する声も聞こえて,眠れません。おやすみ放送も流れたのに,騒いではいけません。私も同業ですが,恥ずかしく思いました。列車の廃止が決まるとこうですね。早めに乗っておいてよかったと思います。これから大変でしょう。 

まあ,そのうち,私も眠ってしまったようなのですが....。

嫁はんが「止まっているみたい」というので起きました。どうやらまだ津軽海峡線の中で,おそらく新中小国信号場と思います。ほかにトワイライト,カシオペアも止まっていて,どうやら大雪のため津軽海峡線が抑止になっているようです。

結局,2時間近く止まっていたようで,3時頃,目が覚めて外を見たら御堂駅を通過中で,今ごろここを通過しているようじゃ,相当遅れているな,と思いましたが,おはよう放送では1時間50分遅れのようでした。仙台着も6時過ぎで,本来なら4:51着です。

5:55発の福島駅も8:10頃でした。おかげで? 普段だと食堂車で朝ご飯をいただいても雪のないところで食事,と言うことになりますが,今回は雪の中で美しい雪景色を見ながら子供たちと朝食をいただきました。美しい景色を見ながら,本当においしく朝食をいただきました。もうこういう経験ができなくなる,というのは寂しいですが,子供たちにはよい経験になったと思います。

毎日,北海道でおいしいラーメンやお寿司,ジンギスカンなんかを食べました。ラーメンはいつも当ブログをご覧いただいているsuzuran6さんおすすめの白石区の麺屋おざわへ行きました。きれいな店内でだしのきいた醤油ラーメンがとてもおいしかったです。 

さて,いよいよ年末ですね。皆様もよいお年をお迎えください。 

 

〔おまけ.....北斗星の車内放送〕

 2レ上り "北斗星" 札幌駅発車

 2レ上り "北斗星" おやすみ放送(函館駅発車後)

 2レ上り "北斗星" おはよう放送(仙台駅到着前) 

 2レ上り "北斗星" 上野駅到着

おやすみ放送と到着放送は今回,雑音が多かったので3月の時のものです。 

上りばかりなのも何なので,下り列車も紹介します。今年1月に函館まで乗ったときのものです。

 1レ 下り "北斗星" 上野駅発車

  1レ 下り "北斗星" おやすみ放送

 1レ 下り "北斗星" おはよう放送(函館駅到着前)

おはよう放送をスマホに保存して目覚ましタイマーにしておくと鉄の皆さんはいい気持ちで起床できると思います.....(^^)。 


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赤沢森林鉄道を訪ねて [紀行]

2014年11月8日の日記

以前から行こうと思っていた,長野県上松町の赤沢森林鉄道へ行ってきました。なんと,今週末が今年の運行最終日で, 慌てて子供を連れて行ってきました。すでに最低気温は氷点下になっていて,確かにもう冬の休園期間が近く,日陰は寒かったです。でも,とても紅葉もきれいで,何より木曽の檜に囲まれていい香りにも包まれてとてもよいところでした。

上松駅か木曽福島駅から町営のバスが出ています。車で行こうかとも思いましたが,中津川で中央道を降りて国道19号で行かないといけないのでしんどく,やっぱ電車にしました。その方がエコですしね。木曽地域は高速道が伊那谷経由になったので,車では不便ですが,国道19号がバイパスも整備され,楽です。といって,トラックがビュンビュン走って幅寄せしてきますので,私のようにあまり車が得意じゃない人は鉄道の方が楽です。

上松駅に11:00に着きました。ここからバスで30分ほどで赤沢自然休養林に着きます。もう12時前なので愚息が腹減った~と騒ぐので早速,ロッジ風の食事処で昼ご飯です。あっという間に子供たちはみたらし団子を平らげ,さらに娘はうどんと息子はカレーライスを食べちゃいました。なぜかうちの子はみたらし団子が好物でとても喜びます。

早速,12:30発の森林鉄道に乗車します。

木曽森林1.jpg 

  5tディーゼル機関車牽引の4両編成の列車。機関車は1996年北陸重機工業製

現在運行されている車両は機関車も含め,営業運転再開に伴い1996年に新製されたものです。と言う次第で,オリジナルの森林鉄道の車両ではないのですが,昔の雰囲気をとどめる設計がなされ,往時の森林鉄道の状況を偲ぶには十分すぎる状況です。 

木曽森林2.jpg へろ,へろ~~。

終点の丸山渡停車場に入る前,線路が分岐して奥にこんな車両が留置されていました。1950年頃の酒井工作所製5t B型機と思います。機回し中の5分間に撮りに行きました。何というか非常にそそられますね~~。

森林鉄道記念館から丸山渡停車場までの往復2.4kmほどの間,約20分ほど乗車することができます。かつては総延長400kmにもおよんだ木曽の森林鉄道もここに残るだけとなりました。上松駅へつながっていたので,もし残っていたらバスに乗らずにここまでこれたはずですね.....。 

乗車場所の左側に森林鉄道資料館があり,標識や保線道具,電話交換機などが展示されています。車両もきちんとかつての庫に保存され,とてもきれいな状態です。やはりせっかく保存するといっても屋根のない所じゃすぐに錆びてしまいますし,屋根のあるところで保存するのが一番です。

木曽森林No.1.jpg 

    軸配置0-4-2, 動輪径711mm,総重量12.7tです。

さて,お目当てのボールドウィンに対面.....。アメロコが好きなのでこのボールドウィン君にも一度,会いたいと思っていました。

1914年,米フィラデルフィアのBaldwin Locomotive Works製の1号機がとてもきれいな状態で保存されています。ロッドもきれいに磨き上げられて油が塗られていて,本当に大切に保存されているんだなと思いました。同社製の森林鉄道用蒸気機関車で保存されているのは林野庁の森林技術総合研修所に保存されている北海道置戸森林鉄道の3号機以外はこれしかなく,とても貴重な機関車で,後世に伝えていきたいものです。写真を撮るにも非常にいい位置に留置されていて,皆さん記念撮影をしていました。

Baldwin Locomotive社はアルコことAmerican Locomotive社同様,アメリカの代表的な機関車製作メーカでしたが,ディーゼル機関車の時代が到来するとGM系のEMDとの競争に敗れ,アルコは現在は業務用のボイラーメーカとして細々と存続しているようですが,ボールドウィンは消えてしまいました。すでにない会社が製造した機関車の1バリエーションとしてもこの機関車はとても重要だと思います。 

煙突が膨らんでいるのはもちろん火の粉止めで,ここで圧力を緩和して煙突内で火の粉を燃やし,極力煙突から火がついたまま放出することがないように工夫されています。形状は年代によりかなり変わっていて,この形状は最晩年の頃のようです。 

木曽森林鉄道には最後まで3両の蒸気機関車が残り,日本では1号だけ保存されることになったため,残りの7号と9号の処遇が決まっていませんでしたが,1929年製造の9号は米国の実業家Henry Solensen氏が買い取り, 現在は米カリフォルニア州サクラメントのCalifornia State Railroad Museumにて保存されています。現在はNo.6に改番された上,36インチゲージに改軌され,とても美しい状態で保存されているようです。ただ,カウキャッチャーが取りつけられていたり,米国での製造直後の状態か,彼の地の森林鉄道の蒸気機関車を模した状態に復元されているのじゃないかと思います。でもそうだったらKISO FOREST RAILWAYと書くのも変,と言う気がしますけどね。とはいえ,動態保存されていて動くことができるようですし,大切に保存されているようで安心しました。 

残る7号の消息が不明ですが,同館のwebを見る限り,2004年12月にSolensen家から9号と同じく寄贈されていると言う風に読めますが,番号を17と書いていたり,どうにも変です。調べてみるとロサンゼルスの北西150kmほどの所にあるカリフォルニア州のサン・ルイス・オビスポ市のSan Luis Obispo Railroad Museumにて保存されているようですが,同館のwebにあるcollectionのリンクを見ても出てきませんし,現在の展示状況についてはわかりません。

C4 ディーゼル.jpg 

同じく酒井工作所製のC4形10tディーゼル機関車。1958年製。L型の車体は扱いがしやすいらしく,使いやすい機関車だったようです。草軽のジョフリー君も同じだったのではないでしょうか。

25ps小型モーターカー.jpg 

  20ps小型モーターカー。1958年酒井工作所製。 湘南窓というのが何とも.....。

資料館もとても充実していて,鉄ちゃん大喜びです。うちの子供たちもとても喜びました。

さて, まだ最終のバスまでは2時間ほどあるので,周辺を散策します。結構寒いですが,まだ十分外を散策できます。そろそろ天気が怪しくなってきていますが,今日のうちは雨も降らないようです。

往復2kmの向山コースを散策しました。ずっと奥に向山橋があり,そこからの景色が絶景でした。散策路はとてもきれいに整備され,路面にチップがばらまいてあるので 歩きやすいです。子供たちは大はしゃぎでしたが,しっかり1時間かかって親は疲れました.....orz。

木曽森林3.jpg 檜の香りがとても気持ちいいです。

木曽森林4.jpg 向山橋から。渓流がきれいです。

子供たちは山歩きをしていてもとても大喜びで,普段とは違う印象でした。今日は1日だけでしたが,次回は泊まりがけでゆっくり来てみたいと思います。 

kippu.jpg 檜でできた切符です。

いろいろお土産を買って帰りましたが,うちの子供たちが一番喜んだのはこの切符でした。 


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今日の新疋田 [紀行]

2014年8月18日の日記

8002レ('14.8.18).jpg 8002レ('14.8.18撮影)

なんか,この場所で昔撮った写真がありますが,昔はこんなに草ボウボウじゃなくて,きれいに撮れたんですね....。 

お盆なので北陸の田舎に帰っていました。やはり田舎はいいですねぇ。ゆっくりできたしおいしい魚が食べられてよかったです。

北陸出身なのでまた新疋田に撮影に出かけました。ひと昔前だと8:00前に到着し,貨物列車を1本撮ってしばらくすると「日本海」が撮影できたし,ボンネットの「雷鳥」もたくさん撮れたのでよかったですが,残念ながら今は「トワイライトエクスプレス」のみが被写体と言って過言ではない状況です。"塗り壁" ばっかりじゃあね~~。まだ "電気釜" の方がマシだったと思います。貨物列車も大幅に減り,日中撮影できるのは5本のみです。かつては13:40頃の下りのトワイライトまで粘るのがいつものコースで,その間,貨物も3本撮れましたが,いまは全然です。

ただ,今年の夏は本当に変ですね。北陸ではずっと雨続きで,特にお盆の期間中,晴れたのは今日くらいのもの。何回かトワイライトを撮りに行きましたが,定時に来る日が珍しいくらいで,撮影するのも大変でした。

8001レ('14.8.12).jpg 8001レ 鳩原付近('14.8.12)

この日は上り8002レは運休だったようで,下りのみ撮影できました。ちなみに奥に見える跨線橋は上り線で,ここから先,1963年10月に完成したループ線になっています。北陸本線は電化当初は単線で,この線路が上下線になっていました。複線化に際し,勾配の緩和を図ってループ線となりました。ここのところが旧鳩原(はつはら)信号場の跡で,右側に2本,側線があり,跨線橋のずっと奥から柳ヶ瀬線が分岐していました。柳ヶ瀬線はループ線の開業と同時に廃止になっています。

8001レ('14.8.17).jpg 深坂トンネルを出て....。

       下り8001レは定時でしたが....。 (新疋田 '14.8.17)

サンダーバード.jpg 

大雨警報発令中。大阪方が "塗り壁" じゃない方が先頭なのは珍しいです。

上りの「トワイライトエクスプレス」がなかなかやってきません。途中,時折このような猛烈な雨が降ります。 

8002レ('14.8.17).jpg 

    上り8002レ新疋田通過。ただ今,16:05です。('14.8.17)

この日の上り8002レは金沢発が3時間50分遅れだったらしく,敦賀発は15:55くらいだったようです。通常より5時間遅れです......orz。 

この日,上りを北陸トンネルの敦賀方坑口で待っていましたが,定時の10:30を過ぎても来ないのでスマホで確認するとJR西日本のwebに90分以上遅れていますと出ていました。この時点で昼飯を食いに家に帰りました。

ここに軽自動車に乗った親子連れが見学に来ていました。母親と小5くらいの息子さんでした。自由研究で列車の通過時刻を毎日チェックしているとのこと。90分以上遅れますよ,とお伝えしましたが,この日は夕方まで待っておられたのでしょうか。それに,実はこの時点で90分どころではなかったわけで,まだトワイライトは富山を出ていなかったようです。

昼ごはんを食べてから下りの8001レを撮ろうと新疋田へ行き,下りはほぼ定時で通過したので撮影できましたが, 上りはまだ通過していないとのこと。いったい何時になるんだ~~!

結局,通過したのは16:00過ぎでした。定時から5時間遅れでした。本当に乗客の皆様,列車運行に携わる皆様,それと先ほどのお母さんと息子さん,ご苦労様でした。 

 

閑話休題。

お盆なので近くへ行った折にお参りしてきました。

北陸トンネル列車火災事故慰霊碑.jpg 北陸トンネル事故慰霊碑

1972年11月6日未明,下りの501レ急行「きたぐに」11号車の食堂車(オシ17 2018)から出火し,30人の方がお亡くなりになりました。当時,私は小学生でしたが,その日の夕刊の見出しを今も覚えています。食堂車の石炭レンジが原因とされました。また,10系客車の耐火構造にも問題があるとされ,10系客車の淘汰につながりました。そういえば,北陸線には交流電化路線の特徴として客車列車が多く走っていましたが,10系客車に乗った記憶がほとんどありません。私が "鉄" 心ついた頃にはもう消えていたと思います。その割に戦前製のオハ35なんかがたくさん残っていましたけど。

3年前の5月27日に石勝線・第1ニニウトンネルで発生した「スーパーおおぞら」14号の火災事故は記憶に新しいですがそのニュースを聞いたとき,私は真っ先にこの北陸トンネルでの事故を思い出しました。 こちらの方は6両編成の全車両が全焼するという大惨事にもかかわらず,死者が出なかったのは本当に奇跡的だと思います。

現場となった北陸トンネルの敦賀方坑口に慰霊碑があります。訪れたとき,お盆のためか,花が生けてあり,ろうそくに灯がともっていました。撮影に来た折に合掌してきました。お亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 


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さよなら747&沖縄ツアー [紀行]

2014年3月31日の日記

ANA137便('14.3.26)2.jpg 

  もう夕暮れです。夜の747はとてもきれいですね。('14.3.26 ANA137便。那覇にて)

とうとう,今日,全日空のボーイング747の運航が終了します。 10月末に羽田~札幌便が終了し,いよいよ那覇便が最後になっていましたが,今日,最終の1往復が飛んで運航が終了します。

私は飛行機と言えば747,新幹線と言えば0系という世代なので,やはり747の引退は寂しいです。最初に日本の空に登場したのが1970年と言うことなので,それこそ物心ついた頃には日本の空を飛んでいたことになります。初めて乗ったのは大学を卒業してロンドンへ行ったときのように思いますが,あれから何回か乗ることができ,今日,とうとう最後の日を迎えました。

10月末に,最後,のつもりで札幌へ行きましたが, 娘がまだ飛行機に乗ったことがないし,嫁はんもどこかへ連れて行け,というので沖縄に行くことにしました。折角なので,新幹線でわざわざ東京まで行って,羽田から最後の747に乗ることにしました。ついでに,ネット予約する際に2階席を押さえました。2階席は久しぶりですが,室内がちょっと狭く,何かこぢんまりしてなかなかいい居心地なのは昔,体験しました。まだネット予約や座席指定ななんてできない時代だったのですが,偶然,2階席となってうれしかったのを覚えています。それに,昔はまだ飛行機も喫煙席があり,たいていは後ろの方の席が喫煙席になっていましたが,後ろの方からもうもうと煙が流れてくるのも嫌で,その点,ジャンボの2階席は禁煙だったので楽だったように思います。いまじゃ,飛行機が禁煙じゃなかった,なんて信じてもらえそうにないですけどね。

3月26日の全日空137便に乗りました。旅割を活用したのでちょっと安く乗ることができました。

Thanks Jumbo!.jpg 

    羽田にて。グラデーションは全部関係者の写真です。 

どうも低気圧が近づいているせいで気流が悪く,那覇空港着は10分遅れでしたが,最後の747の旅を楽しむことができました。

747については設計主務者のJoe Sutterが書いた "747:creating the world's first Jumbo jet and other adventures from a life in aviation" が詳しいので,読みました。ちょっと日航機墜落事故については一切触れていないのは不信感を持ちますが,技術的な内容や開発ヒストリーなどはおもしろく読めます。

747は当時,最大級だった707やダグラスDC-8が140席級だったのに対し,350席級として設計が始まり,1969年に登場します。しかしながら,当時,将来は旅客機は超音速になると予想されていたので,ボーイングでもマッハ2.7,座席数250という2707を計画しており,747は当面は旅客機として使用し,将来は貨物機にする計画でした。これだけの大容量だとオール2階建てとする必要があり,最大の顧客だったパンナムの要求も当初はオール2階建てでした。しかしこれでは緊急時の避難時間がFAAの要求する90秒を超え,危険であることは明白で,運転台を2階にあげて1階をフルに使うことで解決します。こうするとノーズから貨物を搬入することもでき,将来の貨物機への転用が楽になるはずでした。また,運転台を2階にするとフェアリングができるので,そこをラウンジとする計画でしたが,座席に転用してさらに大容量化を図ったのは大正解でした。

747は座席数の大幅増をもたらしエアラインの経営改善に大いに貢献しました。一方で,2707はあまりに野心的すぎ,国家的規模の予算が必要となることから開発は中止され,747が主力機として使用されることになったのは周知の通りです。 いまだって2707は作れないんじゃないか,と思います。

ただ,本来は大西洋横断路線などの国際線用の747を大容量だから,と言う理由で日本の国内線に持ってきたのはやはり無理があったのではないかと思います。国際線なら1日か2日に1回の離着陸ですが,日本の国内線だと1日で10回以上にもなることがあります。疲労強度の点で問題があったと思います。ちなみに今回の羽田~沖縄便は1日3往復なので1日6回ですね。日航と全日空は1964年から727を使用してきましたが,羽田~札幌や羽田~福岡はすでに世界有数の大量輸送路線となっており,早期に輸送力を改善したいことから747の使用をボーイングに提案しました。短距離輸送のため,機体や着陸装置の補強をして,1973年に登場したのが747-SR型機で,定員は525人でした。御巣鷹の尾根に墜落したのもこの機種です。

1993年から日航と全日空はSRを747-400D型機と取り替えていきます。定員は568名で,1989年から登場した400型機の改良版です。400型機は2階席が延長され,また,翼端にウィングレットがついているのが特徴ですが,日本向けの400D型機は飛行場の制約からウィングレットはありません。これがあるとちょっとかっこいいんですけどね。

ウィングレットは翼の下面(正圧になっています)から,上面(負圧です)に気流が回り込んで揚力が低下するのを防ぐ目的があります。この現象により翼端渦が生じます。雨の日など,翼端から飛行機雲が出てくるのはこのためです。翼端渦は実質的に翼面積が減ったことになり,揚力を生まない部分が抗力だけは生じるので燃費に影響します。2次零戦が空母のエレベータの制約から翼端をスパッと直角に切った格好になり,抗力が増え,航続距離が短くなったのもこれと同じ原因です。ウィングレットをつければよかったのに.....。 

最後なので音をupしておきます。

出発時のパーサーのご挨拶。特に747であることのアナウンスはありませんけどね。 

機長のご挨拶。この方は今日の朝のNHKニュースに出ていた方ですね。昨日がこの機長のラストフライトだったようです。今日の1往復のラストフライトは別の方のようです。どちらの機長も年配のベテランの方のようで,とても信頼できますね。ちなみに横で叫んでいるガキはうちの子じゃありません。

それにしても私にとっても747の最後の搭乗となりました。どうもありがとう。 さようなら。

那覇空港からレンタカーで移動します。普通,レンタカーは空港内に営業所があるはず,ですが,驚いたことに那覇空港は迎えのバスに乗って営業所まで行きます。ちょっとびっくりです。空港内の土地が狭いのでしょうね。

宿泊は那覇空港すぐ南側の琉球温泉瀬長島ホテルです。窓から飛行機が見えるのもよいですが,展望露天風呂から飛行機が見えるのもGood! です。何より東シナ海の夕陽を見ながら温泉につかる,と言うのも最高でした。 レストランも最高で,沖縄料理のバイキングがよかったです。とてもよいホテルでした。それに,空港に近いからか,窓は全て2重ガラスになっているし,室内が非常に静かだったのがよかったと思います。結構,高級なホテルでも隣の部屋の会話がまる聞こえ,なんてところも多いですよね....。

ANA137便('14.3.27).jpg 瀬長島ホテルから。

あまりいい天気じゃなく,きれいな写真が撮れませんでしたが,これで最後の747です。 

さて,翌日から観光します。まずは首里城へ....。沖縄は3回目ですが,前回のときはまだ再建されていなくて,守礼門を見ただけでした。 美しく再建された世界遺産のお城をぜひ見たいと思いました。

地下に駐車場があるので,そこに停めました。世界遺産の園比屋武御嶽石門や正殿,北殿,国王の執務室である書院など,見所満載です。駐車券には2時間までとありましたが,とてもこの時間じゃ見て回れません。 写真を載せようと思ったら家族の写真ばっかなのでやめておきます。

ひめゆりの塔.jpg  ひめゆりの塔。後ろは慰霊碑。

その後,娘が行きたいというので琉球ガラス村へ。 途中,ひめゆりの塔を通るので,お参りしてきました。ひめゆり平和祈念資料館も見てきました。 やはり子供たちにはきちんと戦争の実態を知ってもらいたいと思っていました。よい経験になったと思います。ひめゆり学徒隊で総員240名中,136人が亡くなっています。沖縄全体でも4人に1人の人が沖縄戦で亡くなっています。重い現実を前に胸が痛みました。 

タコライス.jpg おいしいタコライス。

琉球ガラス村でガラス体験をして,レストランで昼食とって帰りました。

翌日は美ら海水族館へ。那覇から沖縄自動車道を通って1時間半ほどです。ただ,沖縄道の混雑はすごい。那覇付近は名神高速くらいの混雑で驚きます。やっぱ沖縄はクルマ社会なんですね。 OKINAWA KITAなどと米軍向けのローマ字だけの看板があったりするのも沖縄だなーと思いました。

ジンベエザメ.jpg 巨大なジンベエザメ

美ら海水族館は春休みなのでイベントで巨大水槽の上から観察することができました。マンタのえさやりを見られて満足です。

ただ,さすがに春休みなのですごい人。2時間も回っていると魚よりも人に酔ってしまい,イルカショーを見たら疲れたので次のところへ....。 

やはりここまで来たら世界遺産・今帰仁城へ行かないという手はありません。でも,皆さんここでお帰りのようです。美ら海水族館までの道は結構,クルマの量も多かったのですが,そこからさらに北へ向かうクルマはほとんどありません。美ら海水族館から今帰仁城まで20分ほどなのでぜひ行ってみたいと思いました。 

過去2回は会社の仕事だったのでツアーでしたが,ツアーだと沖縄は本部町あたりのリゾートホテルに泊まり,海洋博記念公園や水族館を見てフルーツパークに寄って終わり,というパターンではないでしょうか。やはり今回は自分の計画なので,今まで見たことがなかった歴史的遺産を見てこようと思いました。 

今帰仁城は13世紀に建設された巨大な山城で,琉球を3分割していた三山鼎立の時代に,北部の北山王が支配していました。1416年に,中山王の尚巴志に滅ぼされたあとは監守が置かれていましたが,1609年に薩摩が侵攻し,城は廃墟となりました。

山の中に巨大な石造の城壁ができていて,頂上から見ると日本のマチュピチュという感じで,壮大なところです。世界遺産にも登録され,たくさんの外国人も見学に来ていました。 

今帰仁城.jpg 巨大な石垣。

今帰仁城1.jpg マチュピチュみたいですね。

あっというまに4日間は終わってしまい,今度は737で帰途につきました。それにしても北山王や琉球王国の運命や沖縄戦など,沖縄には悲しい過去があるのですが,その一端に触れることができ,とても有意義だったと思います。子供たちもとても勉強になったと思います。

食べるものも沖縄はとてもおいしいです。毎日沖縄そばを食べました。それに,天ぷらがおいしいのにびっくり。いかの天ぷらが美味でした。さかなの天ぷらと言うのも美味らしいのですが食べ損ねました。何の魚なんでしょう。レンタカーを返す前に近くのスーパーで沖縄そばのだしや3枚豚バラ肉などを買い込んで飛行機に乗りました。

帰宅してからスパムむすびを作ってみました。以前,NHKのドラマで奄美が舞台になっているのがあり,不登校になった少女が母親のスパムむすびを食べて立ち直る,と言うスジのドラマがありました。奄美でも食べるんですね。沖縄や奄美の人々のソウルフードになっているのかもしれません。コンビニでも売っているのですが,探すのを忘れていました。

spamむすび.jpg 自作のスパムむすび。

ネットで調べると作り方が出ていました。スパムを薄く切ってフライパンで焼き,薄焼き玉子と一緒に塩をつけずに握ったおにぎりに載せるようです。塩をつけないのはスパムに塩分があるからだそうです。具がバラバラになってしまうので,海苔で固定します。

食べてみるととても美味。ご飯にとてもよく合います。9歳の愚息はあっという間に4個食べてしまいました。 


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