So-net無料ブログ作成
検索選択

湖北史跡巡り [紀行]

2017年8月6日の日記

ちょっと早めにiruchanは北陸の実家に帰省しておりました。

今年は子供の宿題の手伝い。自由研究で滋賀県・湖北地方の史跡をまわってレポートを書くらしいです。

iruchanも北陸から近いので子供の頃,行った記憶があるのですが,再びまわってみます。

【賤ヶ岳古戦場】

まずは北陸からだと近い,賤ヶ岳古戦場から。

北陸道を飛ばして木之本ICへ。駅は木本ですが,ICや旧滋賀県木之本町(現長浜市木之本町)は木之本です。よく知られているのは神戸の三宮ですけど,阪急や阪神は三宮なのに,JRだけ三宮とか,東京でも阿佐谷は街の名前は阿佐谷なのに駅は阿佐谷だったり,ノやケが入っているのはなんででしょう。勝手に昔,東京で駅名を決めていたからなんでしょうけど,読み方もおかしかったりしますね。北海道の旭川駅は長い間ずっと "あさひわ" だったし,北陸線の米原駅は町の名前がまいらなのに,駅名は "まいばら" ですね。もっとも,こっちの方は市になったときに "まいばら" になっちゃったので,北陸道の米原ICが "まいはら" のまま残っちゃいました。

木之本ICをおりて,国道8号線を敦賀方向へ。すぐに大きな山が迫ってきて,それが賤ヶ岳です。国道はトンネルに入りますが,その直前,大音(おおと)の交差点に案内看板が出ていますので右折して賤ヶ岳古戦場跡へ行きます。

ここはとても楽で,リフトで山頂へ行けます。営業日にはご注意ください。

賤ヶ岳リフト.jpg リフトで登れます。

天正11年(1583年)4月,信長亡き後の覇権争いで羽柴秀吉と柴田勝家がぶつかります。敗れた柴田勝家は越前・北ノ庄で自刃することになります。

歴史の教科書にも載っていて,とても有名なのですが,行く人は少ないでしょう。東京からだととても遠いですし。でも,新幹線で米原でおりれば意外に近いし,何より壮大な歴史の舞台に触れることができますし,また,景色がとても素晴らしいところです。

賤ヶ岳.jpg 奥琵琶湖の絶景です。

山頂には展望台があり,琵琶湖と余呉湖の両方の絶景が楽しめます。

余呉湖.jpg 余呉湖側です。

北陸道も国道8号線も賤ヶ岳の琵琶湖側を通っていますが,鉄道だけ,余呉湖の北側を走っています。よく見ると中央を横切るように北陸本線が走っていますが,さらにその奥が旧北陸本線跡の国道365号線で,急勾配緩和のため,戦前から工事されていた,深坂トンネルが1957年に開通して廃止された柳ヶ瀬線の跡です。

【小谷城】

さて,お次は小谷城。小谷三姉妹の悲話でチョ~有名ですし,戦国時代の大河ドラマにも必ず出てくるところなので訪れてみたいですがここは非常に行きにくく,なかなか地元の人以外は訪れることは難しいと思います。iruchanも大昔,父親に連れられて見に行ったのをおぼえていますが,遠くてまいった記憶があります。
ここは賤ヶ岳からしばらく長浜方向に戻って途中から国道365号線に出ればすぐです。北陸道も小谷城スマートICができましたので,ETCの方はそこでおりればすぐです。

小谷城趾絵図.jpg 小谷城地図です。熊に注意!!

ここも非常に有名なのですが,何より最寄りの北陸線の河毛駅から遠いのと,公共交通機関がないのが困るんですね。今はコミュニティバスがあるようですが,クルマがないと行きにくいところです。

まずは,ふもとに小谷城戦国歴史資料館ができていますので,そこを訪れて地図やパンフレットをいただくとよいと思います。無料の駐車場もありますので,そこにクルマを停めて小谷城に登ることもできます。

ここは北近江を支配していた浅井氏の居城で,3代続きました。

小谷城本丸跡.jpg 

      苔むした本丸跡の石垣が残っています。

小谷城大広間.jpg 本丸から。大広間の跡です。

小谷城趾.jpg 

    お市の方もこの景色を眺めたのでせうね。

手前の山が信長が本陣を敷いた虎御前山で,その奥のぽっこりした山が山本山,琵琶湖の島は竹生島です。

元亀元年(1570年)4月に信長が越前の朝倉氏を攻めると(金ケ崎の戦い),同盟関係にあった浅井氏は義兄の信長に反旗を翻し,結果として6月に姉川の戦いとなるのですが,9月に長政はこの城で自刃し,浅井氏は滅びます。信長にとっても交通の要衝である北近江の支配は欠くことができないものだったのですね。

まずは資料館から追手道をたどって登城? します。

ところが.....。

ものすごく大変です。延々と急な登山道が続いて,足元も悪いし,炎天下で疲れた~。息子もグロッキーでしたけど,昔はこうやって多くの家臣が登城したわけですし,合戦時は多くの信長の兵隊がこの山中を登っていったわけですから,いい経験になったと思います。

小谷城追っ手道.jpg こんなに険しい山道です。

楽に行きたい方は舗装された道路が本丸近くまでありますので,そこをクルマで行くとよいと思いますが,戦国の世を経験するにはちょっと不足ですね。

小谷城はもちろん,山城なわけですが,要塞といってよく,しかも天然の要害である小谷山は峻険で,難攻不落の小谷城攻防戦となると甚大な被害が予想されるため,平地の野戦に持ち込んだのは信長の戦略の勝ちでしょう。ただ,姉川の合戦自体は引き分けで,どちらかの決定的勝利,と言う見方は難しいと思います。

【姉川古戦場】

さて,ここからは同じ国道365号線を南下すると姉川古戦場になります。ただ,ちょっと時間的に厳しいので今夜は長浜市内で泊まりました。1日でまわることは十分可能ですが,子連れだとちょっと厳しいかな,という感じです。

翌日は早く起きて,さっそく姉川の古戦場へ。

姉川合戦場.jpg 姉川南岸(旧長浜市側)

場所的には国道365号線が姉川を渡る地点です。もっとも,野村橋は新,旧2つあり,国道は新しい橋に移っているので,古い方です。昔はこちらが国道だったので,こちら側に碑があります。現在の国道からは堤防沿いに少し東に行くと碑があります。

小谷城から来ると北岸なのですぐ碑があります。今回は長浜側からなので南岸に到着しましたが,南岸は看板があるだけです。旧橋はクルマは通行止めですので,歩いて渡ります。

それにしても1570年にここで教科書にも載っている合戦があったとは驚きます。そんな歴史の舞台に立てばいい経験になりますね。でも,歴史好きの人だってなかなかここまで来ることはないでしょう。

姉川古戦場.jpg 周囲は静かな河原です。

姉川戦死者之碑.jpg 姉川戦死者の碑

【関ヶ原古戦場】

さて,ここからは歴史をずっと後に下って関ヶ原の合戦場所まで行ってみます。

このまま国道365号線をたどると関ヶ原に着きます。なんでか,とゆ~と,

実は,ここから先,長浜~関ヶ原間の旧東海道線の跡が国道になっているからなんです。

1883年,東海道線・関ヶ原~長浜間が開通し,長浜から浜大津まで船で連絡することにより,東海道線が(いちおう,)全通します。鉄路での全通は1889年に湖東線が開通してからです。1899年に現在の近江長岡経由の線ができてこちらが廃止となり,跡が道路となりました。クルマだと勾配,カーブともに緩いので走るのはとても楽です。わざわざ北陸道~名神とたどらなくても早く関ヶ原に着きます。あまり知られていないのですが,鉄ちゃんだと一度,クルマで走ってみるとよいと思います。

ま,ここは何も書かなくてもものすごく有名なところですので,解説はなしです。

まずは石田三成本陣跡へ。国道に看板が出ていますし,脇道にそれると田んぼの中に巨大な砦が現れるので,すぐにわかると思います。

すぐ近くに決戦地跡もありますので,そちらも見てきます。

その後,ここも資料館がありますので,そこに行きました。地図をもらいに行くだけでも価値ありですが,中の展示もなかなかのもので,愚息も熱心に見ていました。

資料館脇には徳川家康の最後の陣跡や,東首塚などもありますのでとても有意義です。少し南に行くと,本多忠勝陣跡もあります。

さすがに次は家康の本陣があった桃配山へ行こうとしますが,ここはクルマでずっと国道21号を岐阜側に走ったところにありますので,ちょっと大変です。さらにその先,山内一豊陣跡もありますが,行程上,パスしました。

ただ,桃配山の本陣は総司令部と言っても全然,前線が見えませんし,はるかに笹尾山の三成の本陣の方が高台にあって見晴らしがよく,狭い谷間に続く出口部分にあって周囲に自陣営の部隊を配置しておけば敵を包囲でき,有利です。それこそ,南宮山に陣していた毛利勢を始めとして,まじめに? 西軍全軍が動けば,カンネーの戦いやセダンの戦い同様,世界史上に残る包囲殲滅戦となったと思います。実際,三成が陣をここに構えたのも北国街道沿いにあって,徳川方が逃げ込めないように考えたようです。

関ヶ原合戦陣形図.jpg 陣形図

帝国陸軍が創設当時,諸外国から将官を招いて近代軍の育成を図ります。真偽のほどは知りませんが,ドイツから来たメッケル少佐がここの陣を見て,"西軍が勝った" と言うのも頷けます。どう考えてもこれじゃ,西軍が勝って当たり前,という地の利です。

実際には俗に,選挙は美人コンテストと違って単なる人気投票じゃない,と言われるのと同様,関ヶ原の合戦も自分の利益最優先で,どちらが有利かとみんな日和見を決め込んでいたわけですから,西軍が勝てないのは最初からだったと思います。美人コンテストだと投票したからと言ってその子とデートできるわけじゃありませんが,選挙や合戦には戦後に何らかの見返りがあるわけで,その見返り目当てにほかの連中は参戦しているので合戦は軍事力じゃなく政治力です。さすがに三成もハンニバルやモルトケにはなれなかったのも当たり前なわけです。そういえば,メッケルはモルトケの部下だったので,なにやら因縁を感じます。

石田三成本陣跡.jpg 石田三成本陣跡

石田三成本陣跡1.jpg 関ヶ原古戦場の全景

三成の本陣からは周囲がよく見えます。左中央に最後の決戦地があります。

関ヶ原古戦場決戦地の碑.jpg 決戦地の碑

この碑は宇垣一成(陸軍大将,陸相,朝鮮総督)が揮毫したようです。各地にこのような碑が建っていますが,史跡名勝天然記念物保護法により1931年(昭和6年)3月に建立した旨の記載があります。戦前の軍国主義に基づいて国威発揚の意味合いがあったのだと思います。宇垣が揮毫しているのもそのせいか,という気がします。各地にほぼ同じ時期に建立されたようです。また,明治時代にも小さな石碑が作られたようで,脇に明治の石碑が建っている場合が多いです。

で,何事も世の中斜めに見ているiruchanは平成の時代に作られたカラフルな案内看板を見て,このブログを書いているわけですが,こうして明治,昭和,平成の3時代にわたる碑が各地に並んで建っているんですけど,たぶん,一番最後まで残るのは明治時代の石碑なんだろうな,と思います。

東首塚.jpg 東首塚

    家康が首実検をした後,葬った場所です。

本多忠勝陣跡.jpg 本多忠勝陣跡

猛将の称号がある,本多忠勝の陣跡です。天邪鬼のiruchanは単なる忠犬ポチだと思うんですけどね.....。こういうやつが出世するんだと思います。

桃配山.jpg 桃配山の家康本陣跡

家康の本陣は国道21号線沿いにあります。反対側に駐車場があります。

岡山烽火場.jpg 岡山烽火場

丸山烽火場.jpg 丸山烽火場の碑(明治39年建立)

東軍の最右翼で黒田長政と竹中重門が陣した岡山烽火場です。案内看板では丸山烽火場と書いてあることも多く,表記が入り乱れているので注意が必要です。駐車場がありますが,そのまままっすぐ北に歩くとここには来ませんのでこれも注意が必要です。駐車場の南側に道の入口があります。

島津義弘陣跡.jpg 島津義弘陣跡

最後まで積極的に攻撃しない方針を決め込んでいた島津義弘でしたが,西軍の敗色濃厚となって,周りを見たら敵ばかりという状況になると包囲網を突破するべく家康本陣を目指して敵中突破し,伊勢街道を通って大和に抜け,難波の港から海路,薩摩に無事帰還することになります。このあと,家康が島津を取りつぶしていたらその後の歴史は変わっていたことでしょう。

小西行長陣跡.jpg 小西行長陣跡

小早川秀秋の裏切りによって敗走した小西行長はキリシタンであったことから,自刃できず,自首して三条川原で三成共々処刑されることになります。


さて,さすがに暑いし,腹も減ってきたので古戦場の散策は終了。本当は松尾山の小早川秀秋の陣跡へ行きたかったですけど,ギブアップ。ここは遠いし,山登りも大変なので,またの機会にしましょう。

歴史の舞台を訪れることができて大変有意義な2日間でした。



nice!(3)  コメント(3) 

何じゃこれ? [紀行]

2017年7月4日の日記

今週はiruchanは北陸の田舎に帰って草刈りや掃除をしておりましたので,工作はお預けです。

さて,畑の草刈りをしていたところ,こんなものを見つけました。

じゃがいもの実.jpg


なんじゃ,こりゃあ~~!!(草薙剛じゃなくて,松田優作の声で!! 古っ!)

と思っちゃいました......(^^;)。

この畑にはじゃがいもを植えておいたので,最初はどー見てもミニトマトなので,おかしいな~,こんなところにミニトマトなんて植えてないけど.....とか,そういえば,トマトの苗をじゃがいもに接ぎ木するとトマトとじゃがいもができるよな~,なんて一瞬,考えましたけど,すぐにじゃがいもの実であることに気づきました。

そういえば,先月,帰宅したときに花が咲いていたのを確認したので,それが受粉して実がなったのでしょう。

調べてみると結構,珍しいらしく,気候がよいとできるとか,品種によりできるものがあるとか,わかりました。そもそもじゃがいもは人間が長年にわたって品種改良したので,受粉する能力が下がってあまり実ができないようです。しかし,それにしても,一体,じゃがいもにとってどの気候がよいのか,よくわからないのですけど.....。品種としてはキタアカリが割に実ができるようですし,男爵もたまにできるそうです。

同じナス科なのでトマトそっくりなのに驚き。

じゃがいもの実1.jpg 食べてみたい気はしますが.....。

残念ながら,じゃがいもの実にはソラニンが含まれているらしく,食べない方がよいらしいです。

さて,ついでに親の家のトイレの修理もしてきました。男子用便器の水が止まりません。

これは水栓内部の汚れが原因で,弁が閉じないのですね。INAXのホームページを見たらちゃんと掃除方法が書いてあり,うまく掃除できました。

inax水栓.jpg バルブは2種類ありますね。

手前のねじが時間調節用です。これを一杯閉めても水が止まりません。モンキーレンチでカップ部分を外して中を清掃します。

inax水栓1.jpg 中のピストン部を抜いて掃除します。

inax水栓2.jpg 特に目詰まりなんてしてませんでした。

特に何か詰まっている,なんて状況じゃありませんでしたけど,古い歯ブラシでごしごしと掃除したらOKでした。


2017年8月5日追記

今日は芋掘りをしました!

実ができた芋でしたが,無事に収穫ができました。むしろ,自宅で作ったのより大きくて,大人の拳より大きいのが一杯穫れました[晴れ]

さっそく,赤味噌で味噌汁にしてしまいました。iruchanは赤味噌が好きなんですよね~。それに昔からじゃがいもの味噌汁は大好きなので。愚息はおいしかったのか,3杯もおかわりしました。

じゃがいも.jpg こんなに穫れました。

nice!(5)  コメント(0) 

宇高連絡船の思い出 [紀行]

2017年4月5日の日記

先週,四国へ行ってきました。私はほぼ1年ぶりですが,29年前,宇高連絡船に乗りに行きました。廃止になる直前,1988年3月末のことです。廃止は4月9日でした。なんか,本当にギリギリに行っているんだな~と思いました。

以前,青函連絡船の思い出を書きましたが,今日は宇高連絡船の思い出について書きたいと思います。 

さよなら連絡船土佐丸.jpg

青函連絡船は何度も乗っているのですが,どうもiruchanは寒いところが大好きなようで,温暖な四国へ渡ったのもこれが最初です。宇高連絡船もこれが最初で最後でした。ちょっと残念に思っています。

宇野線クモハ84.jpg 宇野線クモハ84

宇野線にはすでに快速マリンライナー用の213系が走っていましたが,ローカルにクモニ83改造のクモハ84形がいました。72系が原型ですが,96年に用途廃止になっているようです。 

土佐丸1.jpg 土佐丸

うどん屋さんは後部デッキにあったと思うのですが.....。すくなくとも,今の高松駅では昔の連絡船のうどん,なんて言っていますけど,こんなに油揚げは大きくなかったと思います。でも,1時間ほどの航海の最中,潮風を浴びながら食べるうどんはおいしかった......。 

伊予丸.jpg 伊予丸

宇高連絡線は青函連絡船と違い,貨車は前部から出し入れするようになっていました。 

阿波丸,讃岐丸1.jpg 阿波丸(左)と讃岐丸(右)

港の反対側からこのようにきれいな写真が撮れました。

讃岐丸だけ,船齢が若いため,連絡船廃止後も少し残り,クルーズ船として活躍しました。 今は蘭印インドネシアにいるようです。

船内.jpg 客室(阿波丸)

ブリッジ.jpg ブリッジにて(阿波丸)

当時,廃止間近と言うことでブリッジが開放されていて,見学ができるようになっていました。

JRとびうお.jpg ホーバークラフト便もありました

急行として運転されていた,JRの "とびうお" 号です。1986年から運航されていましたが,連絡船と同時に廃止となりました。 

四国へ渡って,高松~高知間の夜行普通列車に乗って坪尻,新改のスイッチバックを経験できたのもいい思い出です。残念ながら,すでに旧客は廃止になっていて,50系客車でしたけど。その後,京都発のムーンライト高知がその流れをくんでいましたが,それも2008年に廃止になりました。今もあったら夏なんか,結構,人気が出ると思うのですけどね。四国では松山へも夜行の普通列車がありました。

松山行きの夜行普通列車は,すぐにバスに移管され,しばらく夜行バスが走っていました。今,ミッドナイトEXPとして伊予三島まで夜中に特急が走っていますが,一度,乗ってみたいと思います。

特急しおかぜ(海岸寺).jpg 海岸寺~詫間にて

急行いよ.jpg 急行 "いよ" かな

有名な海岸寺駅で降りて,海岸沿いを走る列車を鉄しました。まだ特急が少なく,キハ58系の急行が間合いに走っていましたが,昔は四国は特急なんてなくて,優等列車は全部急行でしたよね.....。

ただ,四国の急行は▼みたいに丸い小さなヘッドマークで列車名を表示していました。▲の写真はつけていないのでどの列車かわかりません。 間合いの普通列車かもしれません。

急行あしずり.jpg 急行 "あしずり" (高松) 

特急しおかぜ.jpg キハ181系の "しおかぜ" 

それに,民営化間近でも四国は全線非電化単線だし,まくらぎも全部木製で近代化が遅れている,と民営化前に新聞で指摘されていました。国鉄は本当に最後まで四国に設備投資をしませんでした。なんとか,瀬戸大橋が開通する前になって,申し訳程度にキハ185系と121系が投入され,複線化と電化が進むようになりました。まだこのときは宇多津駅は地平の駅で,木造の古い駅舎でした。古いもの大好きなiruchanは写真を撮っておけばよかったと後悔しています。

とはいえ,民営化前に投入されたキハ185系は電車の185系同様,快速列車としても使うことが前提,というコストダウン車で,結局,いまいち特急用としてはアコモも性能も不足だし,快速用としてはオールクロスシートで扉が2扉じゃ使いにくい,ということで九州に売却されたりしていますね。どうも国鉄時代,特急と快速を共通運用にしてコストダウンを図る,ということを考えていたようで,"踊り子" 用の電車の185系もそうでしたが,さすがに通勤時間帯には使用しない,と言っていた割には夕方の通勤時間帯に堂々東京駅に通勤列車として乗り入れてくるのには驚きましたけど。どうやら中京地区のキハ80系もこの考えで新型車にするつもりだった,という話を聞きました。やらなくてよかったです。

121系.jpg 121系

121系は当初はこういう水色の帯ではなく,赤色でした。まだ赤い帯の車両があったような気がしますが,iruchanが撮ったのは全部水色でした。民営化後に水色に塗り替えられました。と言って,実際は樹脂製のシール帯なのですが,はがすのが大変なため,そのまま上に水色の帯を貼ったようです。

今は121系もワンマン化改造され,スカートを履いていますし,側面にLED式の行先表示器が取り付けられています。中も製造時は4人掛けのボックスシートが並んでいたのに,一部ロングシートになっているのを見たときは驚きましたけど。

さらに,今後は例の川崎重工製のFRP製efWING台車を履き,制御器もインバータ式になって,形式も7200系と改められるようです。先日,琴平まで乗ってみましたが,空気ばねになり,インバータ制御なのでスムーズに加速し,乗心地も大幅に改善されていました。 

7200系.jpg 

    琴平行き1225M 7200系('17.3.30 高松)

さきほどの急行 "あしずり" が停まっているホームと同じホームだと思います。 屋根も替わっているんですね。

efWing台車.jpg efWING台車

時代も変わりましたね......。


旧海軍兵学校を訪ねて [紀行]

2017年4月1日の日記

旧海軍兵学校.jpg 旧海軍兵学校 

春休みですね~。全然春らしくなくて,結構寒い春休みですが,体調を崩されませんよう,ご注意ください。

さて,わが家では子供たち(♀,♂)が春休みでいつまでも朝は寝ているし,ついでにわが家では母親まで春休みに入ってしまっていていつまでも寝ているので,いつもiruchanは朝早く起きてゴミ出し,洗濯をして自分の朝めしを作って出勤しています......orz。

せっかくの春休みなので今日は愚息を連れて旅行に行きます。残念ながら娘はそろそろ受験生なので連れて行きません。

どこへ行こうか,と言うことになりますが,鉄ちゃんのiruchanはいつもだったら絶対,北海道なんですけどね.....。といって, "北斗星" が廃止になっちゃって,どうしても魅力半減,と言うところです。 

と言うことで,唯一残った夜行寝台特急 ”サンライズ瀬戸” で四国へ行くことにしました。四国だと金比羅さんへ行って,道後温泉に行って,さらに対岸にフェリーで渡って,呉の大和ミュージアムを見学すれば,なかなか子供にもいい体験をさせられそうです。フェリーもなかなか子供で体験することはないでしょうしね。

ついでに,iruchanは一度,行ってみたいところがありました。

やはり,一度は江田島へ行ってみたいと思っていました。呉からはフェリーで20分ほどと近いですしね!

ということで,東京駅22:00発の "サンライズ瀬戸" に乗りました。

サンライズ瀬戸発車標.jpg いよいよ出発です。

サンライズは3回目ですが,完全に個室だからとても静かだし,中はとても清潔できれいなのもいいです。子供には夜行列車というのはとてもいい体験ですしね!

それにしてもなんでシングルツインなんて名前なの~~!?

それって,C形4動軸蒸気機関車とか,赤い青信号なんてのと同じじゃないかと思います。  

サンライズ切符1.jpg

ひと晩寝たら異国じゃないけど,遠く離れた異境の地,と言うのもいいです。 "北斗星" や "日本海" だとひと晩寝たらあたりは雪景色......なんて最高でしたけどね......。

そういう意味で,七つ星とかトワイライトエクスプレス瑞風とか四季島だとか,なんだかわけのわからない豪華列車には全く興味ありません。ひと晩寝て着いてみたら隣の県の温泉かよって感じですね........(^^;)。

"サンライズ瀬戸" の魅力はやっぱり朝の瀬戸大橋。前回はいい天気でしたけど,今回は曇り気味でいまいちでした。でも,愚息も大喜びでした。

サンライズ瀬戸(高松).jpg 高松駅に着きました。

連絡船のうどんを再現したお店が営業していますので,朝食です。宇高連絡船は青函連絡船と違って時間が短かったのですが,海を見ながらうどんを食べる,というのがとてもよかったです。 

きつねうどん.jpg でっかい油揚げのきつねうどん。

本当は坂出で降りて,伊予三島行きのEF65牽引の3071レを撮りたかったのですが,なぜか "サンライズ瀬戸" は1時間遅れで,撮影できませんでした。どうも小田原駅で線路上に人が立ち入ったらしく,そんなところから遅れてしまったようです。 

さて,20年ぶりに琴平駅に着きました。駅もレトロ調にきれいに改装されていました。

琴平駅.jpg 琴平駅

ここから,例の膨大な参道の階段をどんどん上って金比羅さんにお参りします。やはり四国へ来たらここは逃せませんね。

でも,実は,ここはiruchanはリベンジ。前回は本宮をお参りしただけでしたので。今回はさらに奥にある奥社を制覇したいと思います。

しかし.....。

これは本当にきついです。本宮からさらに30分,階段と坂道が続きます。つづら折りになっていて,その折り返し地点ごとに小さな社が出てくるので,もう終わりか? と思うとそこからさらにきつい階段が延々と続いていたりして,本当に大変です。

奥社.jpg ようやく奥社に着きました。

ここでありがたいお守りを買って帰ります。

ちょうど昼なので麓の参道にある田中屋さんで,骨付き鶏セットを食べました。いつも,四国へ来ると夜は骨付き鶏で一杯,というところですが,今回はランチです。子供はさすがに堅いので鶏唐揚げ定食にしましたけど,子供のげんこつくらいある大きな唐揚げに愚息も大満足でした。

ここからは2000系振子気動車と8000系振子電車を乗り継いで松山へ。2000系は登場時に乗りましたけど,そろそろ30年近い車齢なので次の置き換えが検討されているようです。

3079レ(多度津).jpg 3079レ(高松タ~伊予三島)

なんとか,多度津駅で長時間停車中の伊予三島の大王製紙へ行く3079レは撮影できました。残念ながら牽機がEF210なんですけどね。

8000系は初めて。内装も改装されてとてもきれいでした。130km/h運転しているので本当に速いです。カーブも振子電車なので,非常に快適です。子供は見てると気持ち悪い~~と言ってましたけど。

ただ,いくら速いと言っても多度津からほぼ2時間かかるのはしんどい。今治経由で海岸を通るので,松山まで遠いんですね。これじゃ伊予西条から松山へ直行する高速バスの方が30分ほど余計にかかるけど揺れないし,2,400円も安いので快適です。どうしても北海道や四国,九州とかだと,鉄道の方が設備が古く,路線も時代に合わなかったりして高速バスの方が安くて快適なんてところが多いので困ります。本州だと渋滞にはまって全然速くないし,バスも古いのが多いので,まだ鉄道の方が競争力がありますけどね。

ただ,わが北陸でもいずれ,新幹線が敦賀まで伸びますが,大阪や名古屋から北陸に行くのに敦賀で乗り換え,ということだったらバスか自分の車の方がいいや,という人が大部分でしょう。JRはどうするんでしょ? 

泊まりはやはり道後温泉。"千と千尋の神隠し" に出てくる温泉宿みたいな道後温泉本館は見逃せませんね。ここで温泉に浸かってとてもよかったです。

道後温泉本館.jpg 道後温泉本館

前回,来たときは学生でしたけど......。たくさんの外国のお客様が来ていました。 

道後温泉駅.jpg 夜の道後温泉駅 

本当は翌日,松山城へ行くつもりでしたけど,あいにくの雨。しかたないので,朝早めに琴電とフェリーを乗り継いで呉に行くことにしました。

瀬戸内海フェリーに乗ります。船中2時間ほどあるので,食事をしようかと松山駅の駅弁をゲットしました。今回の旅の目的のひとつです。

鈴木弁当店(松山駅).jpg 鈴木弁当屋さんの売店

松山駅にはユニークな駅弁があり,ぜひ一度,食べてみたいと思っていました。ただ,割に早く売り切れてしまうみたいなので,早めに買っておきます。親切なおばさんにお願いして写真を撮らせていただきました。 

醤油ごはん.jpg 醤油ごはん1.jpg

       前から食べてみたかった松山駅の醤油めし

今どき珍しい掛け紙のついたおいしいお弁当でした。愚息にはおむすび弁当を買いましたが,とてもおいしかったと言ってました。う~ん,あとから思えばあな子寿司もよかったな~。今度,買ってみよ~。

少し歩いて大手町の駅から伊予鉄の郊外線に乗ります。それにしてもいつも思うんですが,どうして高浜駅からもう少し,港まで線路を伸ばしてくれなかったかと。連絡バスが出ていますけど,乗り換えはやはり面倒です。

松山観光港はとてもきれいで,待合所やお土産売り場もあり,お弁当も買えます。空港同様,みんなが待つ場所なので,とてもよいですね。また,空港みたいにゲートが伸びていますが,ドアで密閉されていて空調も効いているので寒い思いをしなくてよかったです。でも,さすがに船に乗るときは寒いですけどね.....。

残念ながら今朝から冷たい雨が降っているし,航路は最初のうちはとても静かでしたけど,途中は結構揺れて,客船の窓にも波しぶきがかかる有様で,愚息はグロッキー。オヤジは全然平気でしたけど,さすがにトイレに行こうとしたら満足に廊下も歩けないし,トイレも何かにつかまっていないと用を足せないくらいで,意外に荒れていました。

iruchanはフェリーが結構好きで,海を見ながらのんびりと昼寝もできるし,実際,絨毯敷きの部屋もあったりしてフェリーはいいですよね。子供に体験させたかったのですが,船酔いでまいったようです。 

と言う次第で,今日は予定変更。大和ミュージアムを今日,見学します。港のターミナルすぐだし,見学も便利です。ターミナルは2Fに無料の休憩所もあり,机もあるので,皆さんお弁当でお昼でした。

松山~呉・広島航路.jpg 

  瀬戸内海フェリーの広島~松山航路。2Fには売店と座席,絨毯敷きの部屋があります。

残念ながらフェリーの中には食堂がありません。食事時なら弁当を持参した方がよいです。

さて,呉港に着いたらターミナルビルのすぐ隣にある,大和ミュージアムへ。エントランスにある1/10の巨大な戦艦・大和の模型に驚かされます。映画のセットに使われたのを譲り受けたのはよく知られていますが,それにしても巨大で,かつ精巧にできています。

戦艦大和.jpg 巨大な戦艦大和

やはり大きすぎて普通のカメラじゃ収まりません。しかたないのでスマホで撮りました。 

翔鶴.jpg 空母 "翔鶴"

iruchanは空母が好きで,中学時代,よく空母のプラモを作りました。お気に入りは翔鶴でした......。 

中は数々の戦争に関する資料が展示されていて,iruchanは映像がとてもよかったと思います。特に,呉周辺の映像などはTVでは見ることがないですし,とても貴重でした。 多くの子供たちが来ていましたが,明治から太平洋戦争終戦までの貴重な記録や資料はいい勉強になると思います。

翌日は朝早くホテルを出て,8:35発の江田島小用(こよう)港行きに乗ります。今日は一転,快晴のよい天気です。20分で小用港に着きます。そこからバスで5分の術科学校で降ります。今日は土曜なので,見学開始は10:00です(平日は10:30)。 

旧海軍兵学校1.jpg 旧海軍兵学校生徒館

1888年に東京・築地にあった兵学校を移設したものです。ちなみに今話題? の築地市場はその跡地に建っています。レンガ造りの生徒館は1893年に建てられたものです。江田島の1期生には軍神・広瀬中佐がいます(海軍兵学校としては15期)。ちなみに秋山真之は海兵17期です。現在は海上自衛隊・第1術科学校となっています。バス停も術科学校です。 

大和砲弾.jpg 巨大な大和の砲弾

膨大な資料を保管した教育参考館(中は撮影禁止)の脇に巨大な砲弾が展示されています。手前は三景艦用と書いてありましたから,松島型防護艦用で,口径32cm砲です。これで独クルップ製の30.5cm砲を搭載した清国艦隊の定遠,鎮遠を圧倒したわけですね。 

奥はもちろん,戦艦大和の46cm砲。射程は42kmです。さすがに目視で弾着を確認できませんから,艦に搭載した零式水上観測機と呼ばれた水上機で確認します。

なんか,正直言ってすこし間の抜けた話,という気がします。当然,敵艦や敵戦闘機はその水上機を標的にしますし,こちらはいくら零戦の仲間と言ってもフロートがついて邪魔なので速力が大きく劣りますしね。無線で連絡すると言っても日本の無線はAM(振幅変調)なのでノイズが大きく,うまく艦に連絡できたのでしょうか。

残念ながら,大和はこの巨大な砲弾を敵艦に発射することはありませんでした。一発でもお見舞いしてやればひと泡吹かせてやれたのに,という気がします。

奥の潜水艦は特殊潜航艇 甲標的です。目的を秘匿するため,わざとこんな名前にしてあるようです。魚雷2本を搭載し,本来は特攻兵器ではないのですが,速力が劣るため,実際には決死の攻撃兵器です。本来は偵察,通商破壊用の潜水艦を通常の水上艦艇と同じ,攻撃兵器として用いたのが日本海軍の特徴ですが,大型の潜水艦も速力が遅く,魚雷を放ったら海底近くで隠れているしかない,と言う作戦では敵に見つかりやすく,潜水艦乗員の損失は激しいものがありました。

教育参考館の中は日本海軍の歴史的資料を保存していますが,特攻隊の隊員の皆さんの遺書も多数展示されています。漢字仮名交じり文でとても子供には読めませんが,愚息は熱心に見ていました。両親について感謝の気持ちを書いたものが多い中に,"遺言ナシ" と書いたものがあり,愚息にも読めたらしいのですが,強く印象に残ったのか,しきりに話をしていました。本当は書きたいことがたくさんあったのに,何も書かず,死に臨んだ隊員のお気持ちを考えると涙なしには読めません。

特攻隊員の殉職年齢は平均,19.2歳だそうです。当日,高校生が研修のためか来館しておられましたけど,17歳とのこと。"皆さん,あと2年で死ななきゃならんのですよ" とのガイドの方の言葉に神妙にしてました。我々は多くの人命の犠牲のあとに生まれていることを忘れてはなりません。

見学は1時間半ほどで終わります。あっという間でした。校内はさすがにかつて世界の3大兵学校(あとは英ダートマス,米アナポリス)のひとつと呼ばれただけあって,とても広いです。

iruchanは反体制派? で,会社じゃ冷や飯食ってますけど.......(^^;),海軍の井上成美をとても尊敬しているので一度,兵学校へ行ってみたいと思っていました。最後の海軍大将として有名ですね。

井上は海軍三羽烏の1人で,戦前,三国同盟や対米英開戦に強硬に反対しました。米内光政や山本五十六と同様,海外経験があり,英米の底力をよく知っていて,必敗だと考えていました。結局,主戦派が勝ち,海軍次官の山本は連合艦隊司令長官,井上も第四艦隊司令長官に異動させられます。正しいことを言う人は邪魔なやつとして,中央から外して現場に飛ばしてしまえ,と言うわけですね。陸軍でもたとえば,硫黄島守備隊の栗林中将もワシントンに駐在した知米派と言うことから最前線に異動させられています。自分たちにとって不都合なことには目をつむり,正論を言う人を排除する,日本の社会は今も昔も同じ,という気がしますね。また,よく,陸軍=悪者,海軍=いい子というイメージで語られますし,事実,A級戦犯で処刑されたのは陸軍関係者ですが,実際,石油が半年しか持たないからと開戦を急がせたのは海軍です。

その後,井上は海軍兵学校長に転じますが,日本の敗戦を見越し,優秀な生徒たちが戦後日本の復興に役立つはずと考え,英語教育に力を入れたのはよく知られています。戦前,海軍兵学校と言えばエリート中のエリート養成校でしたからね。実際,多くの海兵卒の人が戦後の日本を支えました。iruchanの周辺にも戦時中最後の海兵卒,という先生などがいらっしゃいました。

井上成美は戦後,多くの生徒を失ったことや開戦の責任を感じているかのごとく,横須賀の山中に逼塞して暮らしていました。iruchanは尊敬している人物が関与したところへ訪問できてよかったと思います。

江田島桜.jpg 桜はまだつぼみでした。 

帰る前にちょうど昼時なので江田島クラブで食事をして帰ります。昔なら水交社ですね......(^^)。もちろん,カレーを食べて帰ります。 

カツカレー.jpg やっぱ,カツカレーですね!!

少し甘め(海軍のカレーは実は甘かったらしいです)でかなりのボリュームですが,カツも熱々で,とてもおいしかったです。カレー大好きな愚息はぺろりと平らげました。

帰りはさすがにバスがない時間(12時台はありません)なのでタクシーで小用港へ行きました。

呉からは広島空港までバスが出ています。

残念ながら,Googleのルート検索でもYahoo!路線情報でも呉~広島空港間のバスは検索しても出てきません。さすがに呉は大きな街だし,連絡バスがあるはず,と思ったんですけどね。結局,ホテルのフロントにパンフレットがあり,それで時刻がわかりました。案外,Googleも頼りになりません。こちらに時刻が出ています。


冬のタウシュベツ&襟裳岬ツアー [紀行]

2017年3月4日の日記

寒いところ大好きなゐるちやんはまたまた性懲りもなくかやうなところへ行つてをりました。

襟裳岬.jpg すげ~~っ!!

襟裳岬へ一度,行ってみたいと思っておりました。ただ,実を言うと,どんなところか,全く知りませんでした。道内でも全国的な知名度では一,二を争うくらい有名だと思いますけど,有名な割にTVで見たりすることはないのではないでしょうか。こんな素晴らしい絶景を見られるとは思いもしませんでした。岩肌に雪が積もってとてもきれいでした。天気も快晴だったし,風が強くてとても寒かったけど,本当に行ってよかったです。

そして,今回,ぜひ,リベンジしたいと思っていたところがあります。

タウシュベツ1.jpg 本当に美しいですね

昨年8月に一度,来ているのですが,夏は糠平湖はほぼ満水で,文字通り,港内で触雷して着底,という状況でした。

冬だと渇水期でほぼ全景を表しますし,凍った湖面に美しい姿が映え,とても美しいので,今度は冬に来てみたいと思っていました。

と言う次第で,今回,冬にタウシュベツ川橋梁と襟裳岬を訪ねることにしました。ついでに今度のダイヤ改正で廃止になる,千歳線・美々駅と根室本線・稲士別駅を訪ねてみたいと思います。

出発は2月24日(金)と決めました。

ところが.......。

前日の午前4時頃,室蘭本線・洞爺~有珠間を走行中の隅田川発札幌タ行きの3055レの機関車が脱線し,室蘭本線が不通となってしまいました。

朝,ネットでニュースを見て仰天。

機関車は赤スカの8号。おまけに重連で,"おっ,先頭赤スカで重連じゃん" なんて思っちゃいましたけど.....。ちなみに次位の機関車は回送だったようです。

まあ,画像を見ると複線区間だし,機関車の1台車が脱線していますが,それほど線路が傷んでいるように見えませんし,複線だったら最悪,単線で開通するかも,と思いました。実際,JR北海道のホームページを見ても,最初は14時頃開通予定,と出ていました。これなら何とかなるかもしれません。

ところが,じきにその表示は訂正され, "再開の見込みはたっておりません" となりました。NHKもそのようにニュースで伝えています。おそらく,事故も続いているし,国交省の調査が入るのでしょう......orz。

それに,複線区間に見えたのは北入江信号場で,先頭の機関車が分岐器を超えたところで脱線したようで,後続の貨車が本線を支障しているので,単線運転もできるわけがありません。そもそも,札幌~函館間のいわゆる海線の区間はほとんど単線区間がないのに,ごくわずかに残った単線区間で脱線しています.....。 

いままで,実を言うとiruchanが行くところ,必ず事故が起こる,というのがジンクスになっていて,家族からも恐れられています。

最近では,一昨年,旧白滝へ行ったときには翌日,旭川に近いトンネルが漏水による火災で函館本線が不通となっているし,瀬野八へ行った後も大雨で崖崩れが起き,通りがかった普通電車が脱線して山陽本線が不通になっています。どちらも帰りに通ったところなんですけど.....。

さすがに今回は行く前だったので焦りました。この分では,明日も不通となるのは間違いなさそうです。 

残念ながら,今回,室蘭本線の東室蘭~室蘭間が未乗だったので,函館空港へ飛んで,そこからスーパー北斗7号→室蘭→スーパー北斗9号と乗り継いで,この区間を乗りつぶす予定でしたが,あきらめました。

とりあえず,飛行機を探しますが,函館~札幌間は全滅。しかたないので,早割で買っていた函館便をあきらめて速攻で新千歳の便を予約しました。当日中に決済すればよいので,ギリギリまで待ちましたが,夜8時になってJR北海道のwebに明日の運休が出て,飛行機で新千歳へ直行するしかなくなりました。

と言うわけで,予定よりずっと早く,新千歳に着いちゃいました。

早すぎるんですけど,まずは美々駅へ。ここで1時間ほど撮影しました。残念ながら,室蘭本線が不通なので,貨物は来ないし,特急も走っていません。

南千歳駅名標.jpg この駅名標も修正ですね.....。 

新千歳空港から快速エアポートで一駅,地上に出たら南千歳駅で乗り換えます。ここも一駅で美々に着きます。

美々駅4.jpg 

     美々駅。kitacaの読み取り機があります。

まだ札幌都市圏だし,すぐ西側は新千歳空港の滑走路があるし,頻繁に上空を飛行機が飛んで,割りに賑やかなところなんですが,駅前にはなにもなく,人家もありません。まあ,飛行場のすぐ近くだから高い建物は建てられないし,農場ばかりなので人もそれほど住んでない,と言うのもわかりますが,通勤電車が走るようなところで駅が廃止になる,というのはちょっと驚きです。

だから,いくら廃止になるといっても,電子カード式乗車券が使えるし,周囲も人家が少ないと言うだけで,”秘境駅” なんてわけはなく,このカテゴリーに入れちゃって紹介している人がいるのは変な気がするんですけどね.....。でも,廃止になっちゃうくらいなんで,やはり秘境駅なんでしょうか。

美々駅2.jpg  後ろは航空用のレーダー?

美々駅1.jpg 下り本線と中線です。

ここは撮影地としても知られていて,"北斗星" 廃止の頃はすごかったでしょう。上り列車をきれいに撮れる場所のようです。 

美々駅3.jpg 時刻表

秘境駅というなら1日に2,3本しか停まらない駅,と思いますけど,ほぼ1時間に1本の割合で列車が来ます。 ただ,下手すると普通列車も通過するので,ちゃんと時間を調べておかないと鉄ができません。

やはり待っていても貨物列車や特急は来ませんので,改札機でまたピッとやって南千歳に戻りました。

ここからはスーパーおおぞら5号で帯広へ向かいます。 

お昼は本当はスーパー北斗9号の車内で長万部のかにめしを食べる予定で,JR北海道の客室乗務員事務所に電話して予約しておいたのですが,これもキャンセルとなっちゃいました。久しぶりに長万部のかにめしが食べられると思ったのに......。

ほっきめし.jpg 南千歳駅のほっきめし

でも,南千歳の駅ホームの売店でおいしそうな駅弁をゲットしてスーパーおおぞら車内で食べました。ほっきめしって初めて食べましたけど,おいしいですね~(^^)。いつも,回転寿司の店でホッキ貝サラダを食べてるんですけど,ホッキ貝の炊き込みご飯なんてあるのは知りませんでした。また買お~っと!! 

さて,石勝線内はやはり大雪。1時間以上かかるトマムまでは大雪で,外は吹雪いていました。

しかし,山を下りてくると快晴。やはり十勝地方は冬はよく晴れているようです。

帯広の駅レンさんで車を借りて大成駅へ。ほんとうはこの駅と芽室駅の間のカーブで撮りたかったんですけど,除雪してなくて車を停められそうにないし,うっかりスタックすると大変なので駅撮りです。 

2552D('17.2.24 大成).jpg 後ろはキハ40 777。

2両目は旧首都圏色の777号。前後が逆だったらよかったのに.....。

さすがにもう5時近いし,これから山道を走るので早めに糠平へ向かいました。それほど雪は積もっていないとは言っても,所々強風で雪が道路に流れ込み,それが凍ってアイスバーンになっていますから,慎重に車を運転します。大成駅から糠平までは70kmほどで,1時間半ほどでした。 

今夜のお宿は糠平温泉郷のペンション森のふくろうさん。とても親切な奥さんが迎えてくださいました。部屋もとてもきれいで,食事も豆乳鍋や蠣の炊き込みご飯がとても美味でした。 

翌朝は9時集合で,タウシュベツへ行きます。昨年夏同様,ひがし大雪ガイドセンターのツアーに参加します。冬なので凍った湖面をかんじき履いて渡っていきますが,滑るのはもちろんのこと,春近くなると氷が割れたりしますし,陸地も温泉地帯なのでメタンガスが噴出して空洞になっている場合があるらしく,うっかりすると胸までズボッとはまってしまうことがあるので,単独行動は危険です。かんじきを無料で借りられますし,ツアーに参加する方が安全です。 

往復5kmの道のりをかんじき履いて凍った湖面を歩きます。こんなこと経験したことないので,素晴らしい経験でした。

国道からしばらく林の中を歩くと湖岸に出ます。はるか遠くにタウシュベツ橋梁が見えてきます。

タウシュベツ2s.jpg タウシュベツ橋梁を望む

キタキツネ.jpg キタキツネも出てきました。

なぜかキタキツネが1匹,我々の前に現れ,そのまま橋をくぐって湖面の方へ歩いて行きました。人間をちっとも恐れている感じじゃなかったです。

それにしても近くで見るとタウシュベツ橋梁は傷みがひどく,アーチも所々崩れかかっています。いつまでこの姿が拝めるかわかりませんが,美しい滅び行く橋を間近に見られてよかったです。

タウシュベツ4.jpg 

どういうわけか,なぜか廃墟に惹かれます.......。

さて,昼過ぎにツアーを終わって帯広へ。レンタカーの返却期限が4時半なので,早めに帰ります。

西帯広~大成間の直線区間へ。 貨物列車も撮影できました。

2070レ('17.2.25  西帯広~大成).jpg 2070レ 

Sおおぞら7号(大成~西帯広 '17.2.25).jpg スーパーおおぞら5号 

さて,本当は日中にレンタカーで稲士別駅へ行きたかったのですが,時刻表を見ると帯広発17:55の列車で行くと15分ほどで折り返し帰ってくることができます。すでに日は没していますけど,列車で行くことができるなら,そっちの方がよいと思いました。 

残念ながら,近くでは上厚内駅も廃止になりますが,池田の向こうの山の中の駅のため,あきらめました。ちょっと残念に思っています。 

函館~稲士別切符.jpg 目的地までの切符です

もちろん,脱線事故のため,払い戻しになっちゃいました。カード決済なので新千歳の駅で払い戻しを申し出たら親切な駅員さんが不使用証明をしてくださり,購入元のJRで払い戻ししました。 

稲士別駅.jpg 稲士別駅

稲士別駅は駅舎もなく,今回,同時に廃止になる函館本線の東山駅同様,単線の軌道にホームが1面あるだけの駅です。 

稲士別駅1.jpg 帯広駅方向を望む

今日の泊まりは帯広駅のプレミアホテルCABINさん。とてもきれいなレストランと露天風呂もついた温泉の大浴場がよかったです。  

翌朝は7:15発の十勝バス広尾行きに乗ります。さすがに広尾まで乗り通したのはiruchan1人でした.....。 

広尾駅.jpg 広尾駅に着きました。

広尾駅到着時刻.jpg 今も時刻の記載があります。

広尾駅は十勝バスの営業所として活用され,今も中は暖房の効いた待合室がありますし,広尾線の資料室も設けられていて,見学することができます。駅ホームも残っていて,信号設備も転換てこなどが残っています。ただ,レールは埋め立てられ,駐車場となっています。 

30年前,学生だったiruchanは日高本線との組み合わせで広尾線を乗りつぶそう,と思っていましたが,試験があって廃止までに行くことができませんでした。廃止は1987年2月2日のことですが,理科系の学生は3月まで試験がありましたからね......。

結局,日高本線も含めて,バスで乗りつぶし,と言うことになりました。 

広尾駅で休憩した後,10:00発のJR北海道バス日勝線に乗ります。襟裳岬までは1時間です。 結局,この間,ずっとiruchan1人でした......。

それにしても広尾駅って意外に海のすぐそばなんですね。時刻表の地図だと結構,内陸,という感じだったのですが,駅前を出てすぐに国道に出るともう海の横を走っていました。 

襟裳岬バス停.jpg 襟裳岬バス停

北海道でよく見かける休憩室つきのバス停です。もちろん,暖房などはないのですが,扉を閉めると結構暖かいです。

ここから襟裳岬を見学します。次のバスまで2時間半あります。平日だと次のバスは40分ほど早いのですが,今日は日曜なので休日ダイヤです。でもあっという間でした。 

襟裳岬1.jpg ごつごつした岩肌

ゼニガタアザラシの北海道有数の営巣地らしいですが,普段は一番▲の写真の岩が飛び飛びで海に並んでいるところにいるくらいらしく,この岩肌の海岸まで来ることは滅多にないそうです。

それにしても寒い!!! やはり風が強く,あとでアメダス見たらこの時間,気温は-1.8℃ですが,風は9.4m/sも吹いていたようです。

さて,先ほどのバス停でまたバスに乗って様似へ。襟裳岬のバス停から乗ったのはまたiruchan1人でしたが,途中で何人か乗降がありました。

様似駅.jpg 様似駅

     本当は列車で来たかったのですけどね......。 

様似駅駅名標.jpg

様似駅入場券.jpg様似駅入場券

観光記念入場券がありました。通常の硬券もセットで売られていて,いいお土産になりました。

様似~美々切符.jpg様似~美々切符

様似駅から各駅の切符が買えます。新千歳までの運賃も表示されていたので,窓口の女性に聞いてみると,美々までも売れます,と言うことで切符を買いました。驚いたことに手書きの補充券。どうも大変ありがとうございました。 

日高本線はiruchanは未乗でした。広尾線と一緒に乗りつぶそうと思っていたら広尾線が廃止になっちゃいましたし,折り返して帰ってくるのは大変だし,ということでなかなか乗りに行くことができませんでした。

そうかと思っていたら2年前の1月に厚賀~大狩部間で線路が高波で流失し,以後,鵡川以遠はバス代行となってしまいました。いまだに復旧のめどは立たず,それどころか,廃止という話も聞こえてくるので代行バスで乗りつぶしをすることにしました。

静内駅.jpg 静内駅

様似から15:50発の静内行き代行バスに乗ります。このまま,静内から乗り継げば苫小牧で泊まれますが,苫小牧は工業都市だし,途中の静内で泊まりました。結果は大正解。駅から少し歩いてエクリプスホテルに泊まりましたが,レストランがすごくよかったです。夜景がとてもきれいでしたし,朝は太平洋が望めて最高でした。夜はホエー豚のしゃぶしゃぶ,朝食のバイキングはシシャモやベーコンをその場であぶったものがいただけましたし,昼用に,と手作りの昆布と梅のおにぎりがいただけてとてもよかったです。 

静内駅構内.jpg 静内駅構内

入場券を買うと駅の中に入れます。広々とした構内がいいですね。札幌から直通のグルメ列車とか,観光列車を走らせれば結構,乗るのではないかと思いますけど。 今度,JR東日本の四季島が走り始めますけど,北海道にも来るようなので,接続して観光列車でも走らせられれば,と思いました。

静内駅にしやそば.jpg 構内のそば屋さん

静内駅そば.jpg わかめそば。ウマ~!!

残念ながら,もう列車は来ていないのですが,道南バスなどの交通の結節点になっているし,旅行会社の営業所もあったりして,意外に駅に人がいます。

驚いたのは駅そば屋さんがあること。

駅のそばが大好きなiruchanは事前に知っていたのでホテルの朝食を軽く摂ってここでわかめそばを食べてまた代行バスに乗りました。出汁の利いたおそばがとてもうまかったです。それに北海道は何でも量が少し多めなのもいいですが,このおそばも結構量が多くてよかったです。朝だというのに入れ替わり立ち替わりお客さんがきてそばを食べているのもなかなかよいと思いました。最近は,朝,営業してない駅そば屋さんも多いんですよね.....。

さて,最終日は静内発9:07のバスで鵡川へ。ようやく気動車に乗ることができます。

途中の厚賀から,窓の横から線路を眺めてみますが,それほどひどい被害のようには思えませんでした。実際,よく,新聞で見る,厚賀~大狩部間の線路流出部分はこれくらいなら復旧できるんじゃないの,と思えるくらいです。

ところが.......。

実際には被害状況はもっとひどく,盛土が流失している箇所はさらに長いようです。豊郷から北にもかなり長距離に渡って線路がないところがあったので,どうも変だと思ってネットで調べてみると,こちらの方は去年の台風被害のようです。復旧には双方あわせて60億円近い金額が必要なようですし,恒久対策をするとなるともっとかかるわけです。

路盤流失箇所.jpg 被災箇所(清畠付近)

線路が完全に中に浮いちゃってます。ほかのところは完全に線路ごと流されて完全な砂浜に戻ってしまっているところもありました。 

復旧には多額の費用がかかることからJR北海道は昨年,12月に社長が廃止を表明し,以後,地元との協議が続いています。この前日にも社長と地元自治体の町長と話し合いがもたれたようです。

いろいろ報道を見ると鵡川~様似間の廃止が提案されていますが,比較的被害の軽い,日高門別までの再開を望む声も上がっていますし,確かに門別町は大きな病院もあったりしてここまで再開できれば利便性は高いと思います。

いずれにしろ,様似駅まで列車が復活することはよほどのことがない限り,なさそうな風向きになってしまっています。

もともと,鉄道というのはJRで言えば,新幹線とか,山手線とかそういう黒字のところの儲けで赤字のローカル線を維持する,と言う構造的な問題がどの鉄道会社でもあるわけですから,そういう意味で国鉄の分割民営化が正しかったのか,というのは感じます。北海道だけで自立できるわけがない,と思うのですが....。

やはり,北海道の鉄道維持に向けては過疎化が進む中,地元が負担するのも限度があるでしょうし,国費の投入,すなわち鉄道設備の維持は国が行い,列車の運営だけ民間が行う,上下分離が必要だと思います。道路や空港は税金で維持しているのに,鉄道だけ民間が自前でやっている,というのは矛盾を感じます。

それに,今後,どんどん日本は人口が減り,鉄道の廃止は北海道だけの問題ではなく,日本全体の問題になっていきます。北海道は過疎化のため,顕在化が少し早いだけです。早急に,赤字ローカル線をどう維持するか,あらたな政策の検討が望まれます。  

鵡川からようやく日高本線のディーゼルカーに乗ることができました。

日高本線(鵡川).jpg 鵡川

鵡川駅にはたくさんのお客さんがこの列車を待っていました。代行バスは途中,何人か乗降がありましたけど,最高でも4人ほどでしたからガラガラでしたけど....。

やはり鉄道というものが大切だ,と言うことがよくわかります。鉄道を廃止して,路線バスに転換すると急激に利用者が減る,というのはよく見られる現象です。 おまけに,路線バスはずいぶん前から届出制になってしまい,廃止するにも届出1本で済んじゃうことになり,ずいぶんと廃止のハードルが低くなっています。鉄道の廃止によって公共交通機関の喪失につながるのは事実なので,iruchanは鉄道の廃止には反対です。早急に日高本線の復旧を望みます。 

さて,鵡川から予定どおり,11:28に苫小牧に到着しました。

またまたところが.....。

どうにも様子がおかしい。ホームに上り北斗8号が停まったままになっています。これは苫小牧発10:18なので1時間以上,停まっていることになります。

どうやらこの先,糸井駅で人身事故があったらしく,室蘭本線が運転見合わせになっているようです。駅の放送も,札幌方面は代行交通機関をご利用ください,と放送しています。あちゃ~~。

なんとか,苫小牧で折り返す普通列車は動いているようなので新千歳へ行くことができるようです。 そういえば,JR北海道は経営立て直しのため,札幌都市圏の普通列車も見直しとなり,以前は小樽~室蘭間で運転されていた普通列車は2013年のダイヤ改正からすべて苫小牧折り返しとなり,苫小牧~室蘭間は気動車による運転となっています。このため,なんとか新千歳へ行けそうです。

余談ですけど,そういえば,スーパーカムイの新千歳乗り入れもとうに取りやめになっていますね。だったら,最初からもっと編成を少なくできたはずだし,どうもJR北海道の施策はムダが多すぎる,という気がしますね。 

ついでに,新千歳空港まで線路を延ばしたのはいいけど,単線でホームも1面2線というのはどうかと思います。快速エアポートが着くとすぐに反対列車が出て行くので危ない,と言うのもありますけど,それほど線路に余裕がないんですね。それに地下というのもどうかと。これじゃディーゼルは入れませんからね。観光客向けに新千歳~ニセコなんて観光列車を走らせれば儲かると思うんですけど,新千歳空港駅には入れませんね。それに,そもそも地下だからエスカレータを使わないと発着ロビーにも行けませんしね。その点,中部空港はホームからロビーまでエスカレータや階段はなしですから素晴らしいです。もっとも,これが最近の国際空港のデフォルトなんですけどね。新しい香港国際空港もこうです。こういう風に考えて造っておけば,ホームも地上だし,ディーゼルも入れたのに,と思います。 ついでに,線路を美々くらいまで伸ばして千歳線に接続し,スーパー北斗が新千歳空港駅に寄ってもよかったんじゃないかと思います。ついでに,石勝線も新千歳空港へ伸ばして,南千歳~新千歳~追分で三角線を構成し,スーパーとかちなんかも乗り入れできるんじゃないでしょうか。

ちょっと脱線しちゃいました(本当にマジでつい昨日まで脱線してたんですけどね......)。 

12:00頃には運転再開となりましたが,特急すずらんやスーパー北斗などが数珠つなぎになっていて,どんどん,走って行きます。 

DF200(美々).jpg 

  DF200牽引貨物列車。残念ながら事故のため,何列車かわかりません(美々にて)

再び美々へ。切符は美々までですので。

ここで1時間ほど待っている間に多少,写真が撮れました。3日前は何も通過しませんでしたので.....。 

美々駅でまたピッとやって,電車に乗り,新千歳空港にはなんとか間に合いました。無事に飛行機に乗って帰途につきました。

ホッキごはん.jpg 新千歳空港の空弁

南千歳駅のほっきめしが気に入っちゃったiruchanはまた新千歳空港の空弁でホッキごはんを買って機内で食べました。これもおいしかった。北海道限定のとうきび茶もいつも飲んでますけど,少しクセがあるけど,なかなか美味です。

弁当食っていると,親切なスッチーの おばさん お姉さんがおしぼりを持ってきてくれました。最近,よく新幹線みたいに機内で弁当食べてます.......(^^;)。

無事に帰りの飛行場に着きました。

最後まで,ところが.....。

なんと,自宅に帰ってみたら,「おとーさん,よく帰ってきたね~。」と娘が言います。なんと,今,乗ってきたばかりの鉄道路線が人身事故で全線運転見合わせになっているとのこと。

あとで調べてみたら方向は逆でしたけど,さっき通過したばかりのすぐ近くの駅で,私が乗っていた電車が通過した20分ほど後に飛び込みがあったようです。

本当に最後まで,いろいろと大変な旅でした.......。 

 

2017年3月19日追記

庭の畑にじゃがいもを植えました。

今回,十勝地方を旅行したので,"十勝こがね" という品種を植えました。昨年の台風でじゃがいもを始め,農作物には多大な被害が出ています。この種芋は北海道産と書いてありました。少しでも応援になれば,と思いました。収穫が楽しみです。

十勝こがね.jpg 十勝こがねを植えました。

植えつけ状態.jpg うまく育つといいな~~。 

畝を作って,間に溝を掘り,20~30cm間隔で種芋を植えました。間に化成肥料を少し撒きました。 

 

2017年5月23日追記 

もうこんなに大きくなって花も咲きました。十勝の皆さん,どうもありがとうございました。

十勝こがね'17.5.23.jpg  白くて可憐な花が咲きました[晴れ]

 

2017年6月2日追記

今日の朝日新聞に "幻の橋、本当の幻に?タウシュベツ川橋梁" という記事が出ていました。

写真を見てびっくり。大きく,側面が崩壊し,路盤の砂利が見えています。私が行ったときはまだこんなにはなっていませんでした。確かに,右側の崩落は私が行ったときもこうでしたけど,中央部分はこうはなっていませんでした。

記事を見るとどうやら今年限りで見納め,という状況です。とても残念です。見に行きたい,と言う方は早めに行かれることをおすすめします。 


タウシュベツ川橋梁へ...... [紀行]

2016年8月5日の日記

iruchanは先週もまた,かやうなところに行つてをりました。

十勝三股駅名標.jpg 十勝三股駅名標

29年前,iruchanは廃止直前の北海道・士幌線に乗りに行きました。当時,北海道は民営化を目前にして,赤字ローカル線の廃止が相次いでいました。

帯広と十勝三股を結ぶ全長78.3kmの士幌線は,すでに末端の糠平以遠が1978年からバス転換されていましたが,1987年3月23日をもって全線廃止となりました。 

今回,その廃線跡を見に行くことにしました。途中,北海道遺産にも指定されて有名になったタウシュベツ川橋梁を通ります。美しいアーチ型のコンクリートの橋が湖面に映える姿は一度,ご覧になったことがあるでしょう。

糠平駅入場券.jpg 糠平駅入場券

   実家に帰ったら出てきました。廃止2週間前ですね...... 。

とはいえ,夏はダムの水位が上がり,ほとんど水没した状態となってしまいます。運がよいと7月でもアーチの姿を望めるらしいですが,今年はこんな状況でした。

ほとんど,触雷して沈没,着座,という状況なのですが........。 

タウシュベツ川橋梁1.jpg 

   ネッシーじゃありませんってば........(^^;)。

橋は10‰の勾配となっているようで,このように水没すると三股側のみ姿を現しています。 

士幌線はもとは十勝と石狩を結ぶ目的で敷設され,本来の終点は石北本線の上川でした。帯広の連隊を有事の際に旭川方面へ動員する計画があったようです。現在の国道273号線に沿ったルートですが,峻険な三国峠を越える273号線自体,現在は舗装された2車線のよい道ですが,道路が改良されて通年通行可能となったのは1993年のことです。そんな具合ですから,鉄道で三国峠を越えるのはやはり無理だったでしょう。

もっとも,よく誤解されるのですが,この橋が廃止になったのはバス転換の1978年のことではなく,ダムにより水没するため新線に切り替えられた1955年のことです。この橋自体は水没するため切り替えられた旧線上にあります。糠平駅自体も西に移設され,従来は近くの温泉郷から遠かったのですが,新線切り替えのため,近くなった,と喜ばれたそうです。

士幌線.jpg 士幌線のアーチ橋群地図

   ひがし大雪自然ガイドセンターのアーチ橋ガイドマップより作成

有名となったタウシュベツ橋梁以外にもたくさんのアーチ橋が存在しています。戦前に敷設されているのですが,周辺で採取される砂利やコンクリートを使う,と言う目的以外にも景観に配慮してこのような橋梁となったようです。戦前にもこのような配慮がなされたことに少し安心します。

残念ながら資材不足を補うためなのか,タウシュベツ川橋梁はアーチ部分こそコンクリート構造ですが,その上は大きな溝のような構造となっていて,その溝にはたくさんの砂利が詰められ,側面のみコンクリートとなっています。側壁は鉄筋が入っていますが,冬期に中の溝にたまった水が凍結するため側壁が崩壊しやすく,一方,夏期は水没するので保存処置をすることは困難で, 橋そのものも消えていく運命にあります。

なにか廃墟というのは心惹かれるものがあり,一度,完全に消えてしまうまでに見に行きたいと思っていました。でも,いざ,行こうとなると大変です。

普通なら帯広からレンタカーなんでしょうけど,公共交通機関で行こうとすると大変です。iruchanは帰りに根室本線の未乗区間を乗りたいので,レンタカーはあきらめました。

一応,帯広から十勝バスが糠平まで運行しているのですが,あくまでも北海道のほかのローカル線同様,通学用に設定されたダイヤのため,日帰りで橋を見て帰ろう,などと考えることは無理です。

一方,旭川から帯広を結ぶ都市間バスもありますが,これも糠平で乗降区間の切り替わりがあり,旭川発のバスは糠平で乗車することはできませんし,逆に帯広からのバスは糠平で下車することはできません。

結局,旭川からのバスに乗って糠平へ行き,その日のうちに橋を見学して翌朝の十勝バスで帯広へ出る計画にしました。

道北バス.jpg 道北バス(層雲峡バス停にて) 

バスは旭川駅北側の藤田観光ワシントンホテルの前から発車します。駅前には何にも案内がないので焦りました。何のことはない,上川駅からも乗車できるので,上川からの方がよかったと思います。でも,バスの時刻表には"上川森のテラスバスタッチ" と表示されています。これって,上川駅ってなんで書けないの~って思いました。駅のすぐ隣に停車するんですけどね。上川駅から乗車できるとは思いもしませんでした。 

三国峠.jpg 三国峠

三国トンネルをくぐってずっと下っていくと突然,展望が開けます。三国峠を越えました。道東の大平原が望めます。昔,根室本線の狩勝峠が日本の3大車窓のひとつと言われていましたが,こんな感じだったのでしょう。これからバスはぐっと左に曲がってこの松見大橋の上を走って行きます。 

十勝バス糠平営業所.jpg 十勝バス糠平営業所

帯広行きのバスは糠平温泉の営業所に止まります。瀟洒な営業所が迎えてくれます。ここで降りたのは私1人だけでした......。 

さて,ここから少し歩いて糠平温泉文化ホールに集合です。ここでNPO法人ひがし大雪自然ガイドセンターのツアーに参加します。タウシュベツ川橋梁へ行く途中の林道が自然保護のため,許可制になっているので車で通ることはできません。まあ,営林署へ行って許可証をもらえば可能なのですが,▼に示す通り,ヒグマ出没地帯でもあり,個人で歩いて行くことは危険です。 

ヒグマ出没.jpg 林道入り口の看板。

← は数年前,この看板に腹を立てた? ヒグマがひっかいた跡だそうです。 そのほかにも周辺のフキ群生地は荒らした跡がたくさんあり,この周辺にはヒグマが多数棲んでいるようです。

それにしても北海道のフキは大きいですね~。うちの庭に生えているのはこれの1/10くらいの大きさです。 

林道.jpg 

 タウシュベツ川橋梁は湖の反対側です。国道から離れてこのゲートを開けて林道に入ります。

タウシュベツ廃線跡.jpg タウシュベツへ続く廃線跡です。

途中から林道から離れて廃線跡に入ります。最初はこのようにきれいな道ですが,最後の橋につながる部分はぬかるみで流木が散乱しているため,長靴が必須です。 

十勝三股.jpg 十勝三股の平野

橋を見学したあと,十勝三股へ案内していただきました。かつては戸数1,500を数え,小学校や神社,郵便局もあって林業で栄えた十勝三股も外材の普及で寂れ,現在は民家が2戸あるだけの寂しいところとなってしまいました。 

驚いたことにこれだけの山の中なのに十勝三股はかなりの平野が広がっています。最近の研究で,カルデラだったことがわかっています。 

十勝三股車両修理工場.jpg 林鉄の車両修理工場

かつては十勝三股駅の駅舎が廃屋となって残っていたそうですが,最近,撤去されたそうです。ここから伸びていた森林鉄道の修理工場の建屋が修理されることもなく保存されています。 

十勝三股駅跡.jpg 十勝三股駅跡

    ここから川を下って糠平に戻っていきます。 

第5音更川橋梁.jpg  第5音更川橋梁

幌加.jpg この駅名標はレプリカです。

途中,幌加駅跡に立ち寄ります。ここは線路が残り,交換用のポイントが上下線とも残っています。ホーム上に鉄道電話のボックスが寂しく建っていました。 

幌加駅跡.jpg きれいに除草されています。

う~ん,なんかしみじみ......。今にも列車が走ってきそう......。ホームの左側には貨車の引き込み線跡が残っていました。 

第3音更川橋梁.jpg 第3音更川橋梁

糠平から帯広寄りにもいくつか美しいアーチ橋が残っています。特に第3音更川橋梁は川面に橋が映え,とても美しい光景です。 

第2音更川橋梁.jpg 第2音更川橋梁

旧線上にある鉄橋です。分岐点はこの写真の左手で,新線はこのずっと山の上を走っています。 

第2音更川橋梁は旧線の上にある橋梁で,この欠落した部分はプレートガーダー橋となっていました。全線廃止後に撤去されたそうです。 ところが,その工事の際にその橋桁が落下し,2人の方が亡くなっているそうです。ほかにも,新線工事中の落盤事故で9名の方が亡くなったり,急勾配で貨車が暴走する事故が相次いでいます。 

今日の泊まりは糠平温泉。透明な温泉につかって山野草の天ぷらのご飯を食べて寝ました。

翌朝は糠平周辺を散策します。 

トロッコ線路.jpg トロッコ線路

もとの糠平駅には上士幌町鉄道資料館が建っています。残念ながら新設のもので,もとの駅舎を利用したものではありません。中はタブレット閉塞機や保線用具などが展示され,なかなか見応えがあります。帯広~糠平間の前面展望映像が見応えがありました。駅舎の裏からトロッコが運転できる線路が敷設されています。

上士幌鉄道資料館.jpg  上士幌町鉄道資料館

廃線跡.jpg 廃線跡です。

さっきの線路は新たに敷き直したもので,そのほかの廃線跡はこのように砂利が残るだけです。一部,遊歩道になっていますので,きれいな空気を吸いながら散策もよいですね。 

本当に楽しめました。29年ぶりに一度,行ったところを訪ねてみて,とてもなつかしかったです。

さて,帰りは糠平温泉から帯広へ十勝バスで出て,帯広から根室本線の新得~滝川間が未乗のため,普通列車に乗りました。かつては帯広から広尾線も出ていたのですが,こちらは乗らないまま廃止になってしまいました。乗っていたら相当自慢できたのに.....と残念に思っています。

御影駅.jpg 御影駅にて

2434Dをスーパーとかち8号が抜いていきました。御影駅なんていうと,どうしてもiruchanは阪神の御影駅を思い出しちゃうんですけどね......(^^;)。

それにキハ261系は例の石勝線事故など一連の事故以来,車体傾斜機構は使わなくなっていて,tilt261の表示は誤りなんですが.....。 

次の平野川信号場でスーパーとかち5号と交換しますが,これが遅れていて,ずいぶん待たされました。 

hiri hiriスープカレー.jpg hiri hiriの厚切りベーコンスープカレー

札幌に戻り,駅西高架下のhiri hiriさんでスープカレーで夕食。数量限定の厚切りベーコンスープカレーが食べられて大満足です。スープカレーっておいしいですね!!!!

上に写っているアナ雪の布は嫁はんに作ってもらったカメラバッグです.....(^^;)。 


高橋是清邸訪問記 [紀行]

2016年2月26日の日記

今年は2.26事件から80年だそうです。これを機に,事件の犠牲になった高橋是清のお屋敷が公開されているので見に行ってきました。

東京都小金井市の小金井公園の中にある,江戸東京たてもの園に保存されています。普段は内部非公開ですが,現在,中に入ることができます。

私は高橋是清をとても尊敬しているので,一度,見に行きたい,と思っていましたが,内部は非公開だったのでいままで行きませんでしたが,中に入れる,と言うので遠路はるばる愚息を連れて見に行ってきました。

中央線武蔵小金井駅からGoogleマップで2.4kmと出ます。歩くと30分くらいかかるのでちょっときついです。子供がいなければ健康のため歩くのですが小さな子供と一緒では厳しいのでバスにしました。

小金井駅から小金井市のCoCoバスというコミュニティーバスが出ています。20分間隔なので利用しやすいです。料金も100円なのでとても助かります。北東部循環系統というバスに乗ります。たてもの園入り口というバス停で降りて玉川上水を越えて近くです。

途中,玉川上水を渡ります。幅3mほどの浅い水路にきれいな水が流れています。よくこんなのを江戸時代に作ったな~と感心します。でも,どうしても玉川上水というと太宰治の入水自殺を思い出しちゃいますね~。太宰が自殺したのは少し下流の三鷹市ですが,こんな水量ではおぼれて死ぬ,と言うより頭を打って死んだのか,と思いましたが当時はいまよりずっと水量が多かったそうです。京都の疎水のような水量があったのでしょうか。

玉川上水.jpg 玉川上水

小金井公園はとても広く,とても都内とは思えない静かでのどかなところでした。中に梅林があり,とてもきれいな花が咲いていました。

梅林.jpg もう梅が咲いていました。 

さて,西側奥にある江戸東京たてもの園へ。大人400円で,小学生以下は無料です。

江戸東京たてもの園.jpg

中の資料館は残念ながら次の展示のための休み,と言うことで見学できませんでした.....orz。

この建物を出てすぐ右側に高橋是清邸があります。

高橋是清邸.jpg

まずは大きなお屋敷にびっくり。明治村で最近展示された最後の元老・西園寺公望の坐漁荘くらいかとおもっていたらその倍くらいはある大きなお屋敷です。

高橋是清邸玄関.jpg 玄関

中もとても広く,1Fは広間と食堂,仏間などがあります。

寝室.jpg 2Fの寝室。

この部屋に寝ているところを青年将校たちが乱入し,6発の銃弾を浴びせた上,銃剣で刺したそうです。今日は命日と言うこともあり,花が供えられていました。

都電7500型'.jpg 鉄ちゃんなので......。

もと都電7500形が展示してあります。新潟鐵工製7514号です。もっとも都電って濃緑とクリームのツートンだと思いましたが,7500形からこの塗色になったとは知りませんでした。

都電⑥⑨⑩系統図.jpg こんな路線が残っていたら.....。

ほかにもいろんな建物が残っており,当時の商家がどんなものだったかよくわかります。保存された洋館を利用したレストランもあって,とても楽しめました。 

1936(昭和11)年2月26日未明,昭和維新を唱えて決起した陸軍皇道派の青年将校たちは現在の政治体制を打ち倒して天皇による親政を実現し,天皇中心の新体制を打ち立てようとしました。 

岡田啓介首相は誤認されて義弟が殺されたので難を逃れましたが,高橋蔵相や斉藤実内大臣など政府要人が殺害され,一時は政府転覆も成功したかに見えました。

しかし,昭和天皇は激怒され,反乱軍として鎮圧するよう命じられたため,29日(その年も閏年でした)には鎮圧されました。

幸いにもクーデターは成功せず,首謀者は死刑など,処罰されましたし,陸軍皇道派の決定的敗北となって以後,皇道派の将軍たちは前線に飛ばされ,統制派が陸軍の行動を決定するようになります。

しかしながらこれで世の中が正常化されたかというと,言論の自由が封殺され,議会制政治も終焉を迎えて戦争への道を突き進むこととなるのは周知の事実です。

また,震災手形が焦げついて発生した1927(昭和2)年の金融恐慌を収拾し,その2年後には,米国発の世界大恐慌のさなかに浜口首相と井上蔵相が実施した金解禁が裏目に出て,まさしく暴風雨のさなかに窓を開け放つ結果となって円が暴騰し,経済破綻寸前だった日本経済を歳出拡大で救った高橋是清も出口戦略として軍費削減を進めたため青年将校の標的となりました。

と考えるとまさに震災後の近年,マイナス金利の導入というのはどうも平成の金解禁なのではないか,と思います。どうにもいまの状況は2.26事件前の状況に似ているのではないかと......。 

昭和のターニングポイントとなった家がいまも保存され,見学できるのはとても素晴らしいことだと思いました。 

帰りは東小金井駅前のキッチンブラウンさんでおいしいビーフシチューをいただいて帰りました。愚息は煮込みハンバーグをぺろりと平らげ,こちらも喜びました。 


nice!(0)  コメント(0) 

瀬野八(セノハチ)にて [紀行]

2016年2月6日の日記

ようやく念願の山陽本線・瀬野~八本松間の通称,瀬野八(セノハチ)へ行ってきました。 

EF67 103(5066レ)s.jpg EF67 103(5066レ)

私が学生の頃,まだEF59が活躍していたところなのでその頃に行っておれば,と思うのですが,どうにもその頃には行くことができず,今ごろになって訪れることができました。あの頃に行っていたらEF58先頭の荷物列車を押すEF59の写真が撮れた,と思うのですが後の祭りです。たぶん,後補機だし写真に撮ってもあまり見栄えがしないし.....とでも思ったのだと思います。ただ,すでにEF59がいなくなってから25年たちますし,その後継機のEF67ですら引退が間近になっています。 今のうちに行っておこう,と思いました。

EF67はEF59の後継機として,1982年に登場しています。現在も活躍している100番台は0番台がEF60を種車にしているのに対し,EF65を種車としています。すでに0番台は姿を消していますし,EF210 300番台も登場していますので,100番台が姿を消すのもそう遠くない話だと思います。

広島へはやっぱりヒコーキ! 山陽新幹線はトンネルばかりで退屈だし,そのトンネルや高架橋はいつ崩壊してもおかしくはない? ので大阪から西へ行くときはいつもヒコーキです......orz。 

それにしても広島空港は初めてですが,広島駅まで遠い! 高速道路を使って小一時間,というのは相当なものです。同じように高松空港や熊本空港もこんなくらい時間がかかりますが,これらの空港は一般道経由ですからね。広島空港は空港を出てすぐ高速に乗って,市内に入ってからも駅近くまで広島高速を走るので,45分もかかるのは異常です。これなら尾道三原空港とでもした方が観光客がたくさん来ていいかも,という気がします。

さて,瀬野八での撮影行ですが,ダイヤを見ると早朝7時前後くらいまでにガンガン上りが出たあと,8時を過ぎるとぱたりと止まり,あとは1時間~2時間間隔というところになるので朝が勝負です。肝心のEF67も運用が減っているので,1本EF210だったりして次のまで2時間待つということだと大変ですしね。

と言う次第で,早朝,広島6:08発の西条行きに乗ります。でも,八本松に6:38に着いても,そこから歩いて30分はかかるので,撮影場所に着くと7時を過ぎます。  

ただ,さすがに2月の瀬野八は寒いし,時差もあって陽が昇るのが遅く,朝が遅いのでなかなか撮影は厳しいです。瀬野八を7:00前後に上りの1050レと1054レの2本が連続して走って行きますが,暗くて撮影不可でした。これが撮れればいいんですが,まあ,この2本を逃しても10時くらいまでに6本は撮影できそうです。

撮影できなかった1054レはEF67が後補機でした。と言うことはすくなくともそれが帰ってくるので午前中にEF67を撮影できるのは間違いなく,安心します。 

八本松の駅で降りて,普通なら国道486号線~2号線沿いに瀬野方向へ戻るのでしょうが,Googleマップを見ると駅前に県道があり,そこを歩く方が近いようです。まだ真っ暗な細い道を歩いてJRの八本松変電所すぐそばの番堂原第4踏切に向かいました。瀬野八の定番ですね。

白市行き.jpg この踏切です。

  ずいぶん陽が出て暖かくなった時間ですけど......。10:01通過の1538M 

この踏切の頭上を西条バイパスが走っています。この奥にもいい撮影ポイントがあるのですが,徒歩ではきついのであきらめました。それに,猛者はこのバイパスに上って坂の上から俯瞰写真を撮るそうで,とてもいい写真が撮れるようです。 

Googleマップでは2.8kmと出ますが,しっかり30分歩かされました。疲れた~~。それに寒い~~~!!

霜.jpg 

朝7時半頃はこんな感じです。それに山間なのでまだあと1時間くらい陽が当たりませんでした。おぉっ寒~~っ!! 

周囲は雪こそないけど,霜で真っ白だし,吐く息が5mくらい白くなります。昔は"ゴジラ~~っ!" とか言って遊んでましたけどね。あとでアメダスをみたらこの日,東広島の最低気温は-3.4℃だったようですし,そもそも八本松駅は標高255mで,山陽本線の最高地点だそうです。

5074レ.jpg 北九州発東京行きの5074レ

    この日,1本目の5074レ。寒~~っ!! それに暗いので粒子が粗くなっちゃってます。

5074レ+EF67 102.jpg 

   単機回送のEF67 102と離合しました。結構こういう場面はあるようです。 

330M.jpg 330M

JR西日本は広島地区は黄色1色に塗り替え中です。新広島色(と言ってももう旧色ですけどね)はこの日,撮影できたのはこの1本だけでした。

337M.jpg 337M

新色はこんな感じで,真っ黄色です。これじゃ総武線。ただ,なんかよく見てみると153系みたいに見えなくもありません。どうせなら黄柑色1色で塗ってくれればいいのに。ついでに,オヤ35つないでEF67に後押ししてもらって急行「宮島」なんちゃって~~.......(^^;)。

5070レ-3.jpg 国鉄コンビ? の5070レ 

5070レ-2.jpg 5070レ

本来ならEF210牽引の福岡発仙台行き5070レはこの日,1時間遅れでの運転だったようです。そのせいか,牽引機はEF66に変更となっていました。後補機はEF67 104で,国鉄コンビでした。まあ,EF66の100番台はJRになってからの投入なのでちょっと変ですけど。まあ,原設計は国鉄と言うことで.....。

2070レ-1.jpg 2070レは今日はEF210でした。

福岡から長駆札幌まで行く2070レは本来なら吹田までEF66牽引ですが,今日はEF210でした。今日は機関車を差し替えたのでしょう。

EF67 104.jpg EF67 104

EF67 105.jpg EF67 105 

この日,EF67は102~105まで運用されていたようです。0番台だとこちら側にデッキがありましたが,100番台は手すりだけです。 

1091レ.jpg 1091レ

この日,下り貨物は帰り間際に1091レ(沼津~福岡)のみ撮影できました。貨物列車ってダイヤが偏っているのでなかなかうまく撮影できませんね。このあと,しばらく下りがガンガンきます。 さすがに,この次の上り貨物列車は1時間あとだし,その次はさらに2時間後,と言うことになるので撤収しました。

Kawakami ammo depot.jpg 弾薬庫です。

行きがけに通り過ぎた施設を写真に撮りました。Kawakami Ammo Depotと看板に書いてあるので,ammoって何? って感じで知らない単語でしたが,ammunition(弾薬)の俗語ですね。 戦時中に旧日本軍が作った弾薬庫を米軍が接収したものです。八本松駅西側に米軍川上弾薬庫があります。

ただ,Googleマップで見ると広大な空き地が表示されるだけで何も施設の名称は表示されません。やっぱGoogleって米政府の手先? なのでしょうか。戦前,日本の地図にはあちこちにこういう明らかに周囲とは異なる奇妙な空白や畑などの農地がありました。これを戦時改描と言いますが,これもそうかよって思いました.......。

なんてこんなことを書いていると昔なら軍機保護法違反で引っ張って行かれますね.......。 

八本松.jpg このグレーの部分は何?

帰りはまた八本松駅から電車に乗って白市へ。ここから路線バスが広島空港へ出ています。

白市駅.jpg 木造のいい感じの白市駅舎

駅舎は木造で中はとてもきれい。外観は町に溶け込んで,とてもいい感じです。こういうきれいな古い駅舎はとても大事です。 

芸陽バス広島空港行き.jpg 広島空港行きバス

白市駅からほぼ1時間に1~2本,空港行きバスが出ています。撮影行にはとても便利です。

芸陽バス時刻表.jpg ご参考までにバス時刻表。

尾道ラーメン(広島空港).jpg 広島空港の半ちゃんセット

広島空港では尾道ラーメンのひろと言うお店が出ています。半チャーハンセットを頼んで満腹です。ちょっと魚のだしの利いた背脂入りのだしがとてもおいしいです。 

帰りはまた広島空港からヒコーキで帰りました。EF67も撮影できたし,天気もよかったし,最後にまたラーメンが食べられたし,いつ崩壊するかわからない山陽新幹線に乗らずにすんだし(爆),とてもよい1日でした。 

 

2016年4月27日追記

Googleマップを見てみたらいつのまにか米軍川上弾薬庫が追加されていました。

本ブログで戦時改描ではないかと指摘したので追加したのではないでせうか.........(^^)。

在日米軍川上弾薬庫.jpg 追加されていました。


nice!(0)  コメント(0) 

網走まで......~さよなら石北本線・白滝シリーズ & はまなすツアー~ [紀行]

2015年12月27日の日記

13Dオホーツク3号('15.12.25 下白滝)-1.jpg 

   下白滝を通過する "しろぼうず" 先頭のオホーツク5号('15.12.25) 

クリスマスだというのに子供を放ったらかして24日から北海道に出かけてきました........。

実は,ANAのマイルが年末で10,000マイルが消えてしまうのでどこかへ飛んでいこうかというのと,石北本線の白滝シリーズの駅のうち,上白滝,旧白滝,下白滝の3駅が廃止になるためです。 過去,何度も石北本線のたまねぎ列車を撮影しに行っているのに,これらの駅は訪問したことがありません。一度も駅を訪ねたことがないまま,廃止になってしまうのはとても残念です。

それと,何とかもう一度, "はまなす" に乗っておきたい,と思いました。8月に乗車していますが,最後のブルートレインですしね.....。

まずはいつもだと北陸からなので中部空港の女満別便を利用しますが,これはちょっと到着時間が遅いので今回は,羽田発の4777便にしました。これだと女満別着が13:00ですから半日有効に使えます。

驚いたことにAir Doとのコードシェア便でした。Air Do機に乗るのは初めてです。

Air Do winglet.jpg ウィングレットに描かれた熊がかわいい.....。

女満別空港ではトナカイの耳飾りをつけた女性の係員がお出迎えをしてくれました。こちらの女性もマンガから飛び出てきたようでかわいかったです。

ここからはいつも思うんですけど,西女満別まで歩いてそこから北見へ列車で行きたいと思うのですが,雪が深そうなのであきらめました。15:01発の4666Dがあるんですけどね.....。

結局,いつもの北見バスで北見へ。駅レンさんでレンタカーを借ります。冬なので4WD車を借りておきます。

今日のお泊まりはいつもの生田原のノースキング。北見からは1時間ほどです。温泉もあるし,レストランもおいしく,とてもいいお宿です。途中,ぶらぶらと駅に立ち寄りながら,また撮影地の下見をしながらドライブします。146キロポストへ行く林道もチェックしておきます。

過去,2回,冬に行っていますが,いずれも3月で,雪の量は断然,3月の方が多いようです。もっとも,寒さは今回の方が寒いです。

さて,夜は安国ののぶりんでラーメンとミニチャーマヨ丼で夕食。こんな田舎で,というと大変失礼ですが,とてもコクのある味噌味のスープのおいしいラーメンでした。チャーマヨ丼もとても美味。今度,家で作ってみたいと思います。でも,坊主は喜ぶだろうけど,マヨネーズ大嫌いの娘はいやがるだろ~な。

のぶりん.jpg のぶりんの味噌ラーメン。 

8072レ('15.12.24 遠軽).jpg 8074レ('15.12.24) 

クリスマスイブだというのにオヤジは寒い中,北の果ての遠軽駅でバルブ撮影をしておりました.....。赤スカの6号機が牽引していました。この日,ラッセルを待っていましたが,1時間待っても来ませんでした。特にこれまでの日は雪は積もっていなかったので運休だったのでしょうか。

ほとんど一瞬でライトを消してしまうので,タイミングを見計らわないとライトがついた状態で撮影できません。ちょっとぶれていますが,何とか撮影できました。 

4629D('15.12.24 遠軽).jpg 夜のキハ40はとてもきれい。

遠軽21:24着の4629Dです。JR北海道はキハ40の置き換えを発表しましたので,早めに撮影しておこうと思います。

さすがに寒いので,駅そばを,と思いましたが,北一そば屋さんは今日はお休みでした......orz。

遠軽駅開駅100周年記念エンブレム.jpg 遠軽駅は開駅100周年です。 

遠軽駅キオスク.jpg キオスクはなくなってしまいました....。

残念ながら,開駅100周年だというのに11月末でキオスクは閉店になってしまったようです。火災から再建した駅弁のおかむらさんもオホーツク車内の駅弁販売がなくなってお店を閉められた,とのこと。毎回,帰りのオホーツク車内で買って食べるのが楽しみでした。どちらも本当に残念です。 

翌日はいつも通り,早く起きて撮影に出かけます。

ただ,残念ながらこの日の日の出は6:48(根室)なので,6:30頃通過の白滝発祥の地はとても撮影は無理です。7:00通過の瀬戸瀬くらいが撮影の限界だと思います。丸瀬布で撮影しようと思いましたが,ビデオがせいぜいでした。3月だと旧白滝~下白滝間の白滝発祥の地で撮影できますから,やはり3月の方がよいと思います。

8071レ('15.12.25 146kp).jpg 146kpは大雪です。

残念ながら,25日は大雪。子供放ったらかして鉄ちゃんした罰ですね......orz。

もっとも,私も北陸の人間なのでわかりますが,これほどの雪はたいしたことありません。写真じゃ大雪に見えますが,実際にはそんなにひどい雪じゃありませんでした。

このあと,11:25頃通過のオホーツク1号まで粘りたいところですが,それじゃ凍死しちゃうので,1時間半ほどいて,特快きたみを撮影して下山しました。

オホーツク1号('15.12.25 56号線踏切).jpg オホーツク1号。おぉっ,寒~っ!

オホーツク4号('15.12.25 56号線踏切).jpg オホーツク4号 

先頭車はお座敷車のキハ183-6101です。なかなか赤いキハ183というのもかっこよいですね! 

ただ,どうもこれは明るい話題ではなくて,先頭車が足りなくなって仕方なく運用しているらしいです。そういえば,昨晩,遠軽で見た7号に入っていましたが,お客さんは中にいなくて,どうも変だと思っていました。締切扱いだったようです。 

ノースキングであんかけチャーハンのおいしい中華ランチを食べて,いよいよ白滝シリーズを攻めに行きます。

まずは奥白滝信号場から,と思いましたが,ダイヤを見てみるとオホーツク3号が撮影可能なようなので,逆に,下白滝から訪問することにしました。先に奥白滝へ行くと撮影はできませんので。

【下白滝駅】

下白滝駅.jpg 下白滝駅

下白滝駅名標.jpg 下白滝駅名標

残念ながら駅舎の内部の写真はぶれてしまっていました。いつも,ニコンを使っていたくせで絞り優先にしてしまうのが失敗の元ですね。プログラムだとこういう失敗はしないのですけど.....orz。 

駅の前の牧場のわんちゃんが駆け寄ってきます。吠えるわけじゃないし,人に馴れているようです。駅に誰か来ると,寄ってくるようです。 

【旧白滝駅】

国道333号線から見えるところにあるのですぐにわかると思います。 棒線1本だけですが,立派な木造の待合室があります。行ってみたら中に人がいるのでびっくり。同業者のようでしたが,挨拶をしても何も返事しないし,いやそうな顔をしていました。感じわる~! 

旧白滝.jpg 旧白滝駅

残念ながら,ここは廃止になると待合室も保線区の詰所としてつかわれていないようですし,解体されてしまうでしょう。 

旧白滝1.jpg 左は国道333号線

奥の踏切は墓地踏切というようです。ちょっと不気味な名前だな,と思ったら写真で言うと左奥に墓地があります。白滝開拓時に亡くなった方の墓地のようです。 

切符運賃表(旧白滝).jpg 

       これらの運賃表も不要になりますね.....。

旧白滝駅名標.jpg 

【白滝駅】 ※ もちろん,この駅は廃止になりません。

この駅は白滝村中心部の駅で,土地がやせていたため旧白滝地区から住民の皆さんが引っ越ししてできた町です。中は割に賑やかで,電器店や商店があります。でも,北海道でどこに行ってもあるセイコーマートがないくらいなので,やはり町はごく小規模な感じです。駅は特急の停車する駅なのに1992年から無人駅のようです。そういえば,同じく特急停車駅の留辺蘂も来年3月に無人化されるようです。

白滝.jpg すてきな時計台のある駅舎。

白滝駅名標.jpg 両側の駅が廃止になります。

とうとう,白滝の名前のつく駅はここだけになってしまいます。

【上白滝駅】

上白滝.jpg 何ともいい雰囲気の駅舎

上白滝1.jpg さびし~!

上白滝駅舎内.jpg きれいに清掃された駅舎内

上白滝駅名標.jpg

防風柵が駅の反対側にもうけられていることからも,ここが豪雪地帯であることがわかります。実際,このあたりから雪がひどくなり,どんどんやばくなってきます。国道も,"夜間は除雪作業をしません" なんて看板が出ているくらいで,車もほとんど通りませんし,道路沿いに人家はないし,もし,夜中にスタックしたりしたら命に関わります。危険なので早めに帰ろうと思います。 

【奥白滝信号場】

ここは一足早く,2001年6月30日に廃止になっています。駅は保線区の詰所になっているらしく,ガラスもきれいに磨き上げられていますし,正面にトラックが止まっていて,ポイントの除雪作業をしておられました。本当にお疲れ様です。 駅としては廃止になりましたが,列車の交換設備は必要なので除雪などの作業も必要となります。

奥白滝信号場2.jpg 旧奥白滝駅舎

裏に回ると改札口のラッチが残っていました。公衆電話が残っているのか,と思ったら中は鉄道電話が設置してありました。でも,どう見ても前はNTTの公衆電話。使う人がいたのでしょうか。  

奥白滝信号場1.jpg 改札口跡

奥白滝信号場.jpg 鉄電の公衆電話?

残念ながら当然のようにカーナビには出てきません。昔の地図を見るしかないと思いましたが,Googleマップで見ると,それらしき痕跡がありますし,Earth表示で見ると線路が2本あるのでわかります。道の駅しらたきのすぐ近くです。国道からも取り付け道路があるので,何とかわかります。

ただ,それにしてもものすごい雪。路面も雪が積もり始めているし,吹雪くと全然前が見えなくなりそうで,このまま先へ進むと危険です。早めに帰ることにし,旭川紋別自動車道の奥白滝ICから生田原に帰りました。 

でも,本当言うと,上越信号場(1975年までは上越駅)まで行ってみたかったのです。石北トンネルを出たところにあって,徐行しながら通るので車窓から駅の看板も見えて,いつか行ってみたいと思っているのですが.....。でも,北見峠を越えて訪問する,というのは冬だとやっぱり自殺行為ですね.....。 

【金華駅】

生田原から留辺蘂方面へ走ると金華峠を越えたところにあります。ここを訪れるのは2回目です。前回は10月でした。

生田原~金華間の常紋峠越えのため, 9600やD51などの補機の付け替えのため賑わった金華駅も廃止になります。駅前に農家が数軒あるだけの寂しい駅です。 かつては人口も多かったらしく,川と道路を挟んだ反対側に金華小学校があり,その跡地に常紋トンネル工事殉難者慰霊碑があります。最初に常紋へ撮影に来たとき,お参りしてきました。

金華駅.jpg 金華駅

金華駅名標.jpg 駅名標

かねはな駅.jpg 重厚な木造の駅名標

ここで折り返す列車が上下3往復あるのに驚きますが,西留辺蘂の高校の通学生のためです。駅が廃止になっても,西留辺蘂での折り返しは不可能でしょうから,ここで折り返すはずです。

帰る予定の26日はどうしようか迷いました。いつもだと追っかけをして,北見でレンタカーを返すので146kpへは行かないのですが,昨日は大雪であまりいい天気でなかったので今日も山を登ることにしました。

8071レ('15.12.26 瀬戸瀬).jpg 瀬戸瀬にて。

瀬戸瀬で何とか8071レを撮影した後,また生田原へ戻って146キロポストへ向かいます。残念ながら12月では瀬戸瀬より西では撮影は無理です。 

ただ,麓は快晴のいい天気でしたが,山を登るうちに曇ってきて,8071レの通過時は小雪が舞っていました。でも,昨日よりはよい天気でした。 

8071レ('15.12.26 146kp)1.jpg 

      12月26日撮影。今年最後の運転です。

さて,帰りはオホーツク6号です。いつもだと北見10:19発のオホーツク4号ですが,実を言うと石北本線はまだ完乗していません。北見~網走間が未乗です。北海道のローカル線を乗りつぶしていた頃,ここは湧網線を優先して乗りませんでした。急行 "大雪" にも乗らなかったので未乗のまま残ってしまいました。あのとき,中湧別で名寄本線に乗り換えたのですが,中湧別~湧別間も未乗のまま廃止になってしまいました。清水港線が1日1往復でしたが,ここも1日2往復しかなかったので乗っておけば,相当今ごろ自慢できるな......と思っても後の祭りです。

ただ.......,昨日からTVでは北海道の暴風雪を伝えています。暖冬だというのにこの冬一番の寒気が来て,昨晩から大雪との予報。実際,昨日は白滝が全道で最低気温だったようです。

という具合で,生田原でも夕方からひどい雪。今日は遠軽駅に行くのはあきらめてホテルのレストランから8074レの通過を見ます。でも,全然来ません。オホーツク5号が1時間遅れで通過していったので,金華でずっと交換待ちしていているはず,と思ったので,45分くらいは遅れます。ただ,こうだと後続の4678Dまで遅れちゃうので,留辺蘂で待避していたかもしれません。でも,予想通り轟音をたてて20:25くらいに生田原を通過していきました。

明日,ちゃんと帰れるか心配になってきましたが,何とか夜7時くらいから月が見え始め,積雪もそれほどじゃなくなりました。翌朝も雪は降っていないし,道央では豪雪のようで,先が心配ですが,何とかなりそう,と考えて網走に向かいます。 

北見10:45発の4659Dに乗って網走へ行き,石北本線の完乗を果たしました。 

オホーツク6号('15.12.26 網走).jpg オホーツク6号(網走にて)

"しろぼうず" こと,キハ183-104先頭のオホーツク6号です。留辺蘂の2号線踏切で撮影していた鉄ちゃんにはいいプレゼントだったでしょう。 

石北トンネル付近は豪雪でしたが,オホーツク6号は定時で運転。札幌着も駅進入時にホームが詰まっていたせいか,ちょっと待たされて2分遅れでしたが,何とか無事に札幌に着きました。

それにしても翌27日早朝,函館本線・伊納~近文間の嵐山トンネル内で漏水防止用の塩ビパイプが外れて架線に触れ,火災になって函館本線が不通になりました。29日昼まで運休だったようで,よく無事に帰れたものと思います。 

ほぼ定刻で札幌に着いたので,ESTA10Fの札幌ラーメン共和国で夕食を摂って近くの七福湯さんへ。ANAホテルから東にちょっと歩いたところにあります。 疲れた体を銭湯で温めました。やっぱ銭湯はいいですね~(^^)。

さて,旅の締めくくりは "はまなす" です。今日は堂々の12両編成。寝台車は3両でした。

札幌駅はホームがあまり長くなく, "北斗星" の時も駅撮りでは先頭からちゃんと撮れませんので,ホームの途中で通過写真を撮りました。

余談ですが,生田原でTVニュースを見ていたら,北海道新幹線の札幌駅ホームが問題になっているそうです。本州では全然話題にもなりませんが,大問題になっているようです。

最初はタワーズ側の現在の#1,#2線を新幹線用に転用し,在来線が玉突きで移動して#11,#12線ホームを作る予定だったらしいのですが,コストが高いため,#11線のみにしようかとか,新幹線の方をけちってタワーズとの狭い隙間に1本だけホームを作るとか,そんな話になっているようです。そもそも,以前からタワーズの位置がホームに近すぎ,おかしいと思っていました。新幹線が来ることはわかっているのだし,もっとタワーズを南に建てる必要があるんじゃないの? と思ってました。Googleマップなんかで見ると駅が北に偏っていることがわかりますね。札幌や名古屋など,駅を高架化するときは旧駅を営業したままやらないといけないので,高架駅はずれたところに作ります。名古屋駅なんて,いまは駅前になっているところをSLが走っていたりする写真があってびっくりしますね。でも,札幌開業は2030年度の予定なのであと15年もありますが,どうなるんでしょうか。 

それに,いつも思うんですけど,札幌駅の待合スペース(室じゃない!)はどうなってるんでしょ。そもそも札幌駅は山手線の通勤客だけを対象とする駅みたいになっていて,ろくに待合室がありません。いったい,何を考えてこんなバカな設計になっているんだ,と思います。待合スペースはコンコースのど真ん中に自販機で囲った? 程度で木の長いすが何脚か置かれているに過ぎません。冬は寒くて大変です。近くに石油ストーブが置いてある,なんて状況もとても近代的な駅とは思えません。札幌で特急を乗り継いだり,長距離のお客さんの交通結節点となっているわけですから,きちんと待合室を用意しないといけないと思います。

はまなす('15.12.26 札幌).jpg 急行はまなす(札幌)

やはり道北の大雪のせいで "スーパー宗谷" が遅れているので "はまなす" は札幌駅33分遅れで22:33に発車となりました。

それにしても車内は同業者ばかり。もちろん,それはかまわないんですが,車内で大声でしゃべるのはやめてほしい。実際,私の乗った車両でも2人組が通路のいすを引っ張り出して自慢大会。いくら周りが同業者ばかりだからと言ってマナーはわきまえてほしいもの。さすがに11時半を過ぎてもずっとしゃべっているので注意してやろうかと思ったら通りかかった車掌さんが注意しました。本当にグッドジョブ! です。

ようやく静かになったので後は寝ました。

"はまなす" はDD51 1両牽引なので牽引定数が足らないのか,渡島砂原回りです。こちらの線も乗っていませんので完乗できました。といって爆睡していたので全然気がついていませんけど.....。

がくっと減速したので目が覚めたら函館駅でした。ここで,通常だと1時間ほど停車ですが,今回は札幌発が30分ほど遅れたせいもあり,函館駅の停車時間は半分です。でも,何とか起き出してED79を撮影しました。

急行はまなす(’15.12.27 函館).jpg ED79ともお別れです。

それにしてもここでフラッシュ焚いているバカがいたのに驚き。運転士さんの迷惑も考えろっちゅ~の。 

特急「白鳥」.jpg 

        これも撮っておかないといけませんね~。

最後の485系です。"白鳥" も廃止になります。 それにしても青森~函館間の特急の名前が "白鳥" と言うのは北陸の人間としては違和感ありまくりでしたけどね。大沼の白鳥をイメージした名前なのでいいのでしょうけど。来年3月,北海道新幹線が開業しますが,列車名は "はやぶさ" のままのようです。将来,札幌まで伸びたらぜひ, "白鳥" にしてもらいたいと思います。当然,新青森行きは "はつかり" ですねっ!!

長尾ラーメン.jpg 長尾ラーメンの醤油ラーメン。

さて,お腹もすいたことだし,朝食に津軽ラーメンを食べに行きます。駅前の長尾ラーメンはすぐそばの市場に来るお客さんのため,朝7時から開いているので本当に助かります。

大雪の青森駅から歩いてすぐの小さなお店に行きます。店内はこぢんまりとしていて親切な店長さんがおいしいラーメンを作ってくれます。津軽ラーメンは2回目ですが,煮干しのだしがきいてちょっと中華そばと言うよりは日本そば,という感じがするあっさりとしたラーメンですが,非常に口に合います。それに大盛り650円で,ライス無料という驚きの値段にも感激。 何より大雪の寒い朝に温かくておいしいラーメン,というのは本当にありがたいです。

9:52発のはやぶさ14号で帰ります。やはり新幹線は速い! 盛岡からは320km/hなので速いです。でもトンネルの中は特にうるさいですね~。結構,長いトンネルだとうるさくて苦痛です。宇都宮から275km/hに減速するのでひと安心ですけど。また函館まで開通したら家族つれて函館へ遊びに行きたいと思います。 

では,本年もどうも大変お世話になりました。皆さん,よいお年をお迎えください。 

【おまけ‥‥‥急行 "はまなす" 車内放送】

ちょっと,音を収録してきたのでupしておきます。いくつか,周囲の鉄がうるさいのはカットしました。 

下り急行 "はまなす" 青森駅発車放送('15.8.31)

下り急行 "はまなす" 札幌駅到着放送('15.9.1) 

上り急行 "はまなす" 札幌駅発車放送('15.12.26)

上り急行 "はまなす" 青森駅到着放送('15.12.27)

 


nice!(1)  コメント(4) 

西武E52に会いに...... [紀行]

2015年11月7日の日記

今日は,西武鉄道秩父線横瀬駅すぐの横瀬車両基地にて開催される西武トレインフェスティバル2015に出かけました。

実は,前から行こうと思っていたのですが北陸からじゃ秩父は遠い......。でも,今日は天気よさそうだし,来年も晴れるとは限らないので出かけました。

お目当てはこの機関車です!

E52.jpg 西武E51形電機E52

もと国鉄ED12形です。スイスBrown Boveri社の製造です。今はスウェーデンののAseaと合併してABBとなっていますね。

1923年,東海道線の電化に際して鉄道省は各国から機関車を輸入しました。本格的には蒸気機関車同様,国産化を考えていましたが,その見本となる機関車を購入することにしました。見本機なので各国から数両ずつ購入しています。といって,当面は国産化は望めないのである程度,本格的に使用する機関車を決める目的もありました。

E52-2.jpg Brown Boveriの銘板です。 

もとより見本が目的なので数両しかなく,西武鉄道が所有している機関車はこれらの輸入機の払い下げ機です。 私鉄ではそんなに大量の機関車が必要なわけではないし,小型で小出力のものが多いので便利だったのでしょう。

このED12はブーフリ式駆動装置で有名なED54とよく似ていますが,駆動機構は通常の吊掛式です。

もっとも,鉄道省が本格的に使用する目的で一気に28両も大量発注した英English Electric製のED50(のちのED17)が失敗だったのはよく知られていますね。他の形式が数両なのに対し,異常です。どうも最初から出来レースで大量発注先は英国と決まっていたのではないかと.....。五輪エンブレムや新国立競技場も疑わしいですね~。今も昔もこの国は同じようです。

いずれにしてもED54のブーフリ式の複雑な機構は論外としても,ED12も米国流の合理的な構造とは異なり,精密機械のような機構や構造はED12も2両しかないことも相まって,取り扱いに困ったことでしょう。

でも,上から見ると八角形の車体や,ひさしのついたデッキ,背中に背負った元空気ダメなど,米国流の箱形車体一辺倒になってしまった国産の電機とは異なるスイス風の優美なデザインがとても好きで,昔,夢屋から出たED12の模型を組み立てたこともあり,一度,会いたいと思っていました。

E61.jpg GE製のE61(もとED11)

私も模型で作ったED14とそっくりですね。こっちは台車がイコライザ台車なので違いますけど。 

E43.jpg EE製のE43(もとED36)

近江鉄道のED4001とおなじEnglish Electric製なのでよく似ています。近江鉄道のは東武鉄道に里帰りし,東武鉄道博物館で展示されています。 

ED10 2.jpg ED10

もとは西武鉄道E71形ですが,国鉄時代の型式番号に戻され,車体色も茶色になって展示されています。Baldwin & Westinghouse製です。国鉄のED19同様,丸みを帯びた車体に可愛いひさしがついた格好はとても優美で,好きな形態です。

E851.jpg E851

前からこの機関車は撮影したいと思っていました。もちろん,現役で貨物を牽いているときに,でしたけど....。一度も撮影できなかったことが残念です。

現地は都心からかなり遠いところだというのにかなりの人。子供も喜んでいました。こういった古いものに触れて何か感じることはとても大切なことだと思います。

ひととおり機関車を撮影し,屋台で軽く食事したあとは歩いて西武秩父へ.....。別に歩いて行かなくても電車があるんですけどね。健康のため歩きました。Googleマップで1.7kmと出ました。20分ほどで西武秩父へ着きました。

お目当てはこれ。

秩父釜飯1.jpg まるなかさんの秩父釜めし

埼玉県は駅弁が少ないそうで,まぼろしの駅弁と呼ばれているそうです。西武秩父駅の仲見世の中の売店で買いました。いまどき515円という値段に驚き! 

秩父駅駅弁.jpg こんな風に売ってます。

秩父釜飯.jpg おいしそ~~。

実際,とてもおいしかったです。山菜やごぼう,こんにゃくの味付けが絶妙でした。 紅ショウガというのも釜めしじゃ珍しいと思いましたが,とてもマッチしていました。

特急ちちぶ26号で帰途につきました。帰りの車内で駅弁です。しあわせ~~!! 

それにしても正丸トンネルってトンネルの中に信号場があるんですね! ちちぶ26号は交換のため停車しました。トンネルの中の信号場って面白山トンネルの他,長崎トンネルくらいしか知りませんでした。 なにか,信号場って人里離れた山の中にあったりしてとても好きですので....。

天気もよく,2km弱の道のりを歩いて若山牧水の碑を見たりできましたし,充実した1日でした。でも,私が横瀬に着いたのは10:15くらいでしたが,日が出ていたのはほんの1時間ほどだったようで,きれいな写真が撮れたのはわずかな時間だったようです。 


nice!(0)  コメント(0)