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旧海軍兵学校を訪ねて [紀行]

2017年4月1日の日記

旧海軍兵学校.jpg 旧海軍兵学校 

春休みですね~。全然春らしくなくて,結構寒い春休みですが,体調を崩されませんよう,ご注意ください。

さて,わが家では子供たち(♀,♂)が春休みでいつまでも朝は寝ているし,ついでにわが家では母親まで春休みに入ってしまっていていつまでも寝ているので,いつもiruchanは朝早く起きてゴミ出し,洗濯をして自分の朝めしを作って出勤しています......orz。

せっかくの春休みなので今日は愚息を連れて旅行に行きます。残念ながら娘はそろそろ受験生なので連れて行きません。

どこへ行こうか,と言うことになりますが,鉄ちゃんのiruchanはいつもだったら絶対,北海道なんですけどね.....。といって, "北斗星" が廃止になっちゃって,どうしても魅力半減,と言うところです。 

と言うことで,唯一残った夜行寝台特急 ”サンライズ瀬戸” で四国へ行くことにしました。四国だと金比羅さんへ行って,道後温泉に行って,さらに対岸にフェリーで渡って,呉の大和ミュージアムを見学すれば,なかなか子供にもいい体験をさせられそうです。フェリーもなかなか子供で体験することはないでしょうしね。

ついでに,iruchanは一度,行ってみたいところがありました。

やはり,一度は江田島へ行ってみたいと思っていました。呉からはフェリーで20分ほどと近いですしね!

ということで,東京駅22:00発の "サンライズ瀬戸" に乗りました。

サンライズ瀬戸発車標.jpg いよいよ出発です。

サンライズは3回目ですが,完全に個室だからとても静かだし,中はとても清潔できれいなのもいいです。子供には夜行列車というのはとてもいい体験ですしね!

それにしてもなんでシングルツインなんて名前なの~~!?

それって,C形4動軸蒸気機関車とか,赤い青信号なんてのと同じじゃないかと思います。  

サンライズ切符1.jpg

ひと晩寝たら異国じゃないけど,遠く離れた異境の地,と言うのもいいです。 "北斗星" や "日本海" だとひと晩寝たらあたりは雪景色......なんて最高でしたけどね......。

そういう意味で,七つ星とかトワイライトエクスプレス瑞風とか四季島だとか,なんだかわけのわからない豪華列車には全く興味ありません。ひと晩寝て着いてみたら隣の県の温泉かよって感じですね........(^^;)。

"サンライズ瀬戸" の魅力はやっぱり朝の瀬戸大橋。前回はいい天気でしたけど,今回は曇り気味でいまいちでした。でも,愚息も大喜びでした。

サンライズ瀬戸(高松).jpg 高松駅に着きました。

連絡船のうどんを再現したお店が営業していますので,朝食です。宇高連絡船は青函連絡船と違って時間が短かったのですが,海を見ながらうどんを食べる,というのがとてもよかったです。 

きつねうどん.jpg でっかい油揚げのきつねうどん。

本当は坂出で降りて,伊予三島行きのEF65牽引の3071レを撮りたかったのですが,なぜか "サンライズ瀬戸" は1時間遅れで,撮影できませんでした。どうも小田原駅で線路上に人が立ち入ったらしく,そんなところから遅れてしまったようです。 

さて,20年ぶりに琴平駅に着きました。駅もレトロ調にきれいに改装されていました。

琴平駅.jpg 琴平駅

ここから,例の膨大な参道の階段をどんどん上って金比羅さんにお参りします。やはり四国へ来たらここは逃せませんね。

でも,実は,ここはiruchanはリベンジ。前回は本宮をお参りしただけでしたので。今回はさらに奥にある奥社を制覇したいと思います。

しかし.....。

これは本当にきついです。本宮からさらに30分,階段と坂道が続きます。つづら折りになっていて,その折り返し地点ごとに小さな社が出てくるので,もう終わりか? と思うとそこからさらにきつい階段が延々と続いていたりして,本当に大変です。

奥社.jpg ようやく奥社に着きました。

ここでありがたいお守りを買って帰ります。

ちょうど昼なので麓の参道にある田中屋さんで,骨付き鶏セットを食べました。いつも,四国へ来ると夜は骨付き鶏で一杯,というところですが,今回はランチです。子供はさすがに堅いので鶏唐揚げ定食にしましたけど,子供のげんこつくらいある大きな唐揚げに愚息も大満足でした。

ここからは2000系振子気動車と8000系振子電車を乗り継いで松山へ。2000系は登場時に乗りましたけど,そろそろ30年近い車齢なので次の置き換えが検討されているようです。

3079レ(多度津).jpg 3079レ(高松タ~伊予三島)

なんとか,多度津駅で長時間停車中の伊予三島の大王製紙へ行く3079レは撮影できました。残念ながら牽機がEF210なんですけどね。

8000系は初めて。内装も改装されてとてもきれいでした。130km/h運転しているので本当に速いです。カーブも振子電車なので,非常に快適です。子供は見てると気持ち悪い~~と言ってましたけど。

ただ,いくら速いと言っても多度津からほぼ2時間かかるのはしんどい。今治経由で海岸を通るので,松山まで遠いんですね。これじゃ伊予西条から松山へ直行する高速バスの方が30分ほど余計にかかるけど揺れないし,2,400円も安いので快適です。どうしても北海道や四国,九州とかだと,鉄道の方が設備が古く,路線も時代に合わなかったりして高速バスの方が安くて快適なんてところが多いので困ります。本州だと渋滞にはまって全然速くないし,バスも古いのが多いので,まだ鉄道の方が競争力がありますけどね。

ただ,わが北陸でもいずれ,新幹線が敦賀まで伸びますが,大阪や名古屋から北陸に行くのに敦賀で乗り換え,ということだったらバスか自分の車の方がいいや,という人が大部分でしょう。JRはどうするんでしょ? 

泊まりはやはり道後温泉。"千と千尋の神隠し" に出てくる温泉宿みたいな道後温泉本館は見逃せませんね。ここで温泉に浸かってとてもよかったです。

道後温泉本館.jpg 道後温泉本館

前回,来たときは学生でしたけど......。たくさんの外国のお客様が来ていました。 

道後温泉駅.jpg 夜の道後温泉駅 

本当は翌日,松山城へ行くつもりでしたけど,あいにくの雨。しかたないので,朝早めに琴電とフェリーを乗り継いで呉に行くことにしました。

瀬戸内海フェリーに乗ります。船中2時間ほどあるので,食事をしようかと松山駅の駅弁をゲットしました。今回の旅の目的のひとつです。

鈴木弁当店(松山駅).jpg 鈴木弁当屋さんの売店

松山駅にはユニークな駅弁があり,ぜひ一度,食べてみたいと思っていました。ただ,割に早く売り切れてしまうみたいなので,早めに買っておきます。親切なおばさんにお願いして写真を撮らせていただきました。 

醤油ごはん.jpg 醤油ごはん1.jpg

       前から食べてみたかった松山駅の醤油めし

今どき珍しい掛け紙のついたおいしいお弁当でした。愚息にはおむすび弁当を買いましたが,とてもおいしかったと言ってました。う~ん,あとから思えばあな子寿司もよかったな~。今度,買ってみよ~。

少し歩いて大手町の駅から伊予鉄の郊外線に乗ります。それにしてもいつも思うんですが,どうして高浜駅からもう少し,港まで線路を伸ばしてくれなかったかと。連絡バスが出ていますけど,乗り換えはやはり面倒です。

松山観光港はとてもきれいで,待合所やお土産売り場もあり,お弁当も買えます。空港同様,みんなが待つ場所なので,とてもよいですね。また,空港みたいにゲートが伸びていますが,ドアで密閉されていて空調も効いているので寒い思いをしなくてよかったです。でも,さすがに船に乗るときは寒いですけどね.....。

残念ながら今朝から冷たい雨が降っているし,航路は最初のうちはとても静かでしたけど,途中は結構揺れて,客船の窓にも波しぶきがかかる有様で,愚息はグロッキー。オヤジは全然平気でしたけど,さすがにトイレに行こうとしたら満足に廊下も歩けないし,トイレも何かにつかまっていないと用を足せないくらいで,意外に荒れていました。

iruchanはフェリーが結構好きで,海を見ながらのんびりと昼寝もできるし,実際,絨毯敷きの部屋もあったりしてフェリーはいいですよね。子供に体験させたかったのですが,船酔いでまいったようです。 

と言う次第で,今日は予定変更。大和ミュージアムを今日,見学します。港のターミナルすぐだし,見学も便利です。ターミナルは2Fに無料の休憩所もあり,机もあるので,皆さんお弁当でお昼でした。

松山~呉・広島航路.jpg 

  瀬戸内海フェリーの広島~松山航路。2Fには売店と座席,絨毯敷きの部屋があります。

残念ながらフェリーの中には食堂がありません。食事時なら弁当を持参した方がよいです。

さて,呉港に着いたらターミナルビルのすぐ隣にある,大和ミュージアムへ。エントランスにある1/10の巨大な戦艦・大和の模型に驚かされます。映画のセットに使われたのを譲り受けたのはよく知られていますが,それにしても巨大で,かつ精巧にできています。

戦艦大和.jpg 巨大な戦艦大和

やはり大きすぎて普通のカメラじゃ収まりません。しかたないのでスマホで撮りました。 

翔鶴.jpg 空母 "翔鶴"

iruchanは空母が好きで,中学時代,よく空母のプラモを作りました。お気に入りは翔鶴でした......。 

中は数々の戦争に関する資料が展示されていて,iruchanは映像がとてもよかったと思います。特に,呉周辺の映像などはTVでは見ることがないですし,とても貴重でした。 多くの子供たちが来ていましたが,明治から太平洋戦争終戦までの貴重な記録や資料はいい勉強になると思います。

翌日は朝早くホテルを出て,8:35発の江田島小用(こよう)港行きに乗ります。今日は一転,快晴のよい天気です。20分で小用港に着きます。そこからバスで5分の術科学校で降ります。今日は土曜なので,見学開始は10:00です(平日は10:30)。 

旧海軍兵学校1.jpg 旧海軍兵学校生徒館

1888年に東京・築地にあった兵学校を移設したものです。ちなみに今話題? の築地市場はその跡地に建っています。レンガ造りの生徒館は1893年に建てられたものです。江田島の1期生には軍神・広瀬中佐がいます(海軍兵学校としては15期)。ちなみに秋山真之は海兵17期です。現在は海上自衛隊・第1術科学校となっています。バス停も術科学校です。 

大和砲弾.jpg 巨大な大和の砲弾

膨大な資料を保管した教育参考館(中は撮影禁止)の脇に巨大な砲弾が展示されています。手前は三景艦用と書いてありましたから,松島型防護艦用で,口径32cm砲です。これで独クルップ製の30.5cm砲を搭載した清国艦隊の定遠,鎮遠を圧倒したわけですね。 

奥はもちろん,戦艦大和の46cm砲。射程は42kmです。さすがに目視で弾着を確認できませんから,艦に搭載した零式水上観測機と呼ばれた水上機で確認します。

なんか,正直言ってすこし間の抜けた話,という気がします。当然,敵艦や敵戦闘機はその水上機を標的にしますし,こちらはいくら零戦の仲間と言ってもフロートがついて邪魔なので速力が大きく劣りますしね。無線で連絡すると言っても日本の無線はAM(振幅変調)なのでノイズが大きく,うまく艦に連絡できたのでしょうか。

残念ながら,大和はこの巨大な砲弾を敵艦に発射することはありませんでした。一発でもお見舞いしてやればひと泡吹かせてやれたのに,という気がします。

奥の潜水艦は特殊潜航艇 甲標的です。目的を秘匿するため,わざとこんな名前にしてあるようです。魚雷2本を搭載し,本来は特攻兵器ではないのですが,速力が劣るため,実際には決死の攻撃兵器です。本来は偵察,通商破壊用の潜水艦を通常の水上艦艇と同じ,攻撃兵器として用いたのが日本海軍の特徴ですが,大型の潜水艦も速力が遅く,魚雷を放ったら海底近くで隠れているしかない,と言う作戦では敵に見つかりやすく,潜水艦乗員の損失は激しいものがありました。

教育参考館の中は日本海軍の歴史的資料を保存していますが,特攻隊の隊員の皆さんの遺書も多数展示されています。漢字仮名交じり文でとても子供には読めませんが,愚息は熱心に見ていました。両親について感謝の気持ちを書いたものが多い中に,"遺言ナシ" と書いたものがあり,愚息にも読めたらしいのですが,強く印象に残ったのか,しきりに話をしていました。本当は書きたいことがたくさんあったのに,何も書かず,死に臨んだ隊員のお気持ちを考えると涙なしには読めません。

特攻隊員の殉職年齢は平均,19.2歳だそうです。当日,高校生が研修のためか来館しておられましたけど,17歳とのこと。"皆さん,あと2年で死ななきゃならんのですよ" とのガイドの方の言葉に神妙にしてました。我々は多くの人命の犠牲のあとに生まれていることを忘れてはなりません。

見学は1時間半ほどで終わります。あっという間でした。校内はさすがにかつて世界の3大兵学校(あとは英ダートマス,米アナポリス)のひとつと呼ばれただけあって,とても広いです。

iruchanは反体制派? で,会社じゃ冷や飯食ってますけど.......(^^;),海軍の井上成美をとても尊敬しているので一度,兵学校へ行ってみたいと思っていました。最後の海軍大将として有名ですね。

井上は海軍三羽烏の1人で,戦前,三国同盟や対米英開戦に強硬に反対しました。米内光政や山本五十六と同様,海外経験があり,英米の底力をよく知っていて,必敗だと考えていました。結局,主戦派が勝ち,海軍次官の山本は連合艦隊司令長官,井上も第四艦隊司令長官に異動させられます。正しいことを言う人は邪魔なやつとして,中央から外して現場に飛ばしてしまえ,と言うわけですね。陸軍でもたとえば,硫黄島守備隊の栗林中将もワシントンに駐在した知米派と言うことから最前線に異動させられています。自分たちにとって不都合なことには目をつむり,正論を言う人を排除する,日本の社会は今も昔も同じ,という気がしますね。また,よく,陸軍=悪者,海軍=いい子というイメージで語られますし,事実,A級戦犯で処刑されたのは陸軍関係者ですが,実際,石油が半年しか持たないからと開戦を急がせたのは海軍です。

その後,井上は海軍兵学校長に転じますが,日本の敗戦を見越し,優秀な生徒たちが戦後日本の復興に役立つはずと考え,英語教育に力を入れたのはよく知られています。戦前,海軍兵学校と言えばエリート中のエリート養成校でしたからね。実際,多くの海兵卒の人が戦後の日本を支えました。iruchanの周辺にも戦時中最後の海兵卒,という先生などがいらっしゃいました。

井上成美は戦後,多くの生徒を失ったことや開戦の責任を感じているかのごとく,横須賀の山中に逼塞して暮らしていました。iruchanは尊敬している人物が関与したところへ訪問できてよかったと思います。

江田島桜.jpg 桜はまだつぼみでした。 

帰る前にちょうど昼時なので江田島クラブで食事をして帰ります。昔なら水交社ですね......(^^)。もちろん,カレーを食べて帰ります。 

カツカレー.jpg やっぱ,カツカレーですね!!

少し甘め(海軍のカレーは実は甘かったらしいです)でかなりのボリュームですが,カツも熱々で,とてもおいしかったです。カレー大好きな愚息はぺろりと平らげました。

帰りはさすがにバスがない時間(12時台はありません)なのでタクシーで小用港へ行きました。

呉からは広島空港までバスが出ています。

残念ながら,Googleのルート検索でもYahoo!路線情報でも呉~広島空港間のバスは検索しても出てきません。さすがに呉は大きな街だし,連絡バスがあるはず,と思ったんですけどね。結局,ホテルのフロントにパンフレットがあり,それで時刻がわかりました。案外,Googleも頼りになりません。こちらに時刻が出ています。


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